「こじつける」という言葉は、「故事」という単語から来ていることをご存じであろうか。
今号では、この「故事」という言葉をキーワードにして、日本の伝統を継承してきた人々に焦点をあてたい。

寄稿:インサイト編集部員 中田 尚子

◆「有職故実(ゆうそくこじつ)」という研究分野

 日本人ほど研究熱心な民族が他にいるだろうか。現在も、多くの大学や組織で、研究をされている方々がいるのは、皆さんもご存じのことと思う。では、「有職故実」という分野で、時代を超えて多くの日本人が研究し、その知識や技術を紡いできたのをご存知だろうか。

 「有識故実」とは、
朝廷及び武家の礼式・典故・官職・法令などに関する古来のきまり。(広辞苑第六版より)
 更に、鈴木敬三著「有識故実図典」では、こう説明する。「元来、有識故実は、事に臨んで実際に施行するために、旧儀・先例を参考として、此のような場合は、如何なる装束を、どのように著用して、如何に行うか、などと言うことを調査して、最もその場にふさわしく取りまとめるための研究であり、如何なる先例であっても其の時の環境に相応しない時は執り行われなかったのであり、それにそむいた時は、有識家の非難を蒙ったのである」
日本で儀式・典礼というものが完備し、公服の制が成り立ったのは、飛鳥時代に聖徳太子が十二階の位を制定された頃にさかのぼる。その後、奈良時代や平安時代を通じて、天皇家や公家によって形式化し定着してゆくこととなる。その儀式・典礼で身に着ける装束は、衣服令によれば、以下の種類に分類される。

“礼服 即位・朝賀などの朝廷の儀式に際して五位以上の料とした
朝服 諸臣参朝の料として
制服 無位の官人または公事奉仕の場合に着る

 当初、装束は唐風に導入された。その後、日本の国民性や生活様式の変遷に合わせ改良されてゆく。天皇家やそれに仕える公家により、引き継がれてきた儀式や儀礼は、時代の変化とともに興味深い変遷をたどる。

 公家社会であった平安時代のあとは、武家社会である鎌倉時代に世の中は移り、新たに政治の担い手となった武士によって、儀礼や儀式は受け継がれてゆく。しかし、室町時代に起こった応仁の乱は、その儀式・儀礼に大きな影響を与える。11年も続いた争いは、京の街を荒れ果てさせ、儀式や儀礼に使われる服装を作る職人たちは、都を離れ散り散りになってしまう。天皇家や公家も、生きることが精一杯でそれどころではない。長きに渡り、この伝統は中絶せざるを得なくなってしまい、その復活は、豊臣秀吉の治世まで待たないといけなくなる。長きに渡る中断により過去の技術は途絶えてしまうが、残っていた資料を調査研究し、装束に使う織物の技術も唐織という技術を使って、再現されてゆく。

 江戸時代になると、更に儀礼・典礼の見直しが進み、有職家たちの熱心な研究結果も相まって形式が整ってゆく。明治維新の後、装束が急速に西洋化する中、旧来の装束は天皇家の宮中行事(大正、昭和、平成の大礼など)や儀礼を通じて、今日まで継承されてきた。天皇即位の際に行われる大礼、伊勢神宮遷宮、春日大社など、限られた儀礼・典礼においてだが、その行事の中で日本の伝統文化や国産品の保護もされ、今日我々も目にすることができる形で残された。有職織物、ボンボニエールなどに見る素晴らしい工芸品の中に、我々一般人にもその形式や技術を見る事ができる。

◆衣紋道(えもんどう)~装束を着装する技術

 有職故実の成り立ちを見てゆく中に、装束の着装を専門とする人々が登場する。「衣冠装束」や「十二単」に代表される公家装束や女房装束を着ける際に必要な知識や技術の体系を「衣紋道」と呼ぶ(学習院大学史料館ミュージアム・レターより)。

 唐から入ってきた装束は、一人で着装できた柔装束なえしょうぞくから、平安時代には、権威をより表わす強装束こわしょうぞくの登場で一人では着装できなくなる。そこで、衣紋道を身に着けた衣紋方えもんかたという方々の手が必要となってくる。衣紋道の祖と言われる源有仁に始まり、徳大寺家とくだいじけ大炊御門家おおいのみかどけが天皇の着装を担い、室町時代になると高倉家と山科家が家職として着装の技術を明治時代になるまで受け継いでゆく。明治時代の半ばに宮内省に引き継がれ、そして、現在では、宮内庁や一般社団法人霞会館・衣紋道研究会等に継承されている。

◆有職織物(ゆうそくおりもの)~装束を作り出す織物

 有職織物は、平安時代以来、宮廷をはじめ公家階級に用いられた装束や調度などに使われた絹織物で、綾、浮織物、二陪ふたえ織物、錦、こく、紗などの種類がある。奈良時代に唐より伝来した織物が、色調や文様が日本人好みに和様化されて、公家の装束や調度品に用いられたものが有職織物である。織りで文様を表し、幾何学的な構成の繰り返しが特色である。 現在も皇室の儀式用装束や神宮式服、神宝、袈裟などに用いられる一方で、帯という形で一般人の目にもふれる事ができるようになってきた。

 この有職織物につながる高級織物は、京都の西陣に起こった「大舎人座おおとねりざ」という技術集団の人々によって製織がおこなわれてきた。大舎人座31人の内の1家、俵屋喜多川家は江戸の終わりから有職織物を手掛けるようになり、17代喜多川平朗は、有職織物における人間国宝に認定されている。昭和3年に行われた昭和天皇即位大典儀式用の装飾、装束織物を製織し、翌4年第58回伊勢神宮式年遷宮の御神宝織物、6年新築された国会議事堂衆議院、貴族院の玉座や装飾織物などを製織。宮中や神宮、神社への調達用の織物も数多く手がけた。その喜多川平朗氏は家業を継ぎながら、織史や染織技術史の研究を続け、古代より伝わってきた装束を研究調査をして、数々の復元模造作品を世に残している。

 その研究調査の中で、喜多川平朗氏が収集した裂見本「喜多川平朗旧蔵大正大礼調度及装束裂等貼交屏風」は、有職織物の数々の文様や織り技術を伝え、現代のわれわれに、その技術の高さを教えてくれる。

喜多川平朗旧蔵大正大礼調度及装束裂等貼交屏風 個人蔵

◆平和外交と伝統工芸を支える人々

 一方、製織の俵屋に対し、装束調達の高田と言われ高田家。その当主であった高田義男氏を忘れてはならない。「戦後、GHQ占領下におかれた日本で、高田義男制作平安時代女房装束雛形は、大きな役割を演じる。GHQ高官の奥様方に紹介されることで、日本の素晴らしい織物の技術を紹介するだけなく、敵意のない姿勢をしめすことで平和外交の一端を担った」と、田中潤学習院大学史料館研究員は話す。

 又、このミニチュア版装束は学校等に頒布され、それまで、ほんの一部の人々にしか知り得なかった十二単の姿を紹介される機会を与えた。

 更に、伝統工芸を守る上で、ボンボニエールの存在は無視はできない。皇族や華族の慶事が行われる際に配られる引き出物として発展したボンボニエールは、銀製素材が多いが、漆塗の木製や色絵のついた陶器なども見られ、いずれも意匠を凝らした小さな工芸品である。

 明治中期からボンボニエールの配布は始まり、現在の皇室の慶事にあたる皇室行事に配られることでその習慣は続いている。皇室が発注し、時代の職人たちが、その慶事に相応した品々を自身の持つ技術を凝らし作成してきた。ボンボニエール制作に携わる伝統工芸などの作り手は、自身の作り出す成果を披露することから、技術の向上を図る機会を得る。この事は、皇室が日本の優れた工芸品の維持向上を支えるスポンサーであった事を物語ってくれている。写真は、檜扇型桜藤文ボニエールで竹田宮恒徳王・三条光子結婚披露の際に配られたものである。

檜扇形桜藤文ボンボニエール 学習院大学史料館所蔵

◆学習院大学史料館展覧会「宮廷装束の世界」

2017年4月1日(土)~5月27日(土)開催
その有職故実の中の一つの分野、装束に関わる展覧会が学習院大学史料館で行われた。特に、田中潤学習院大学EF研究員のギャラリートークは人気で、多くの人々が宮装束の話に熱心に耳を傾けている姿を目にした。筆者は、5 月の半ばに、この展覧会を訪れた。

 展覧会には貴重な装束が展示され、主なものだけでも挙げると、

  • 山階芳麿侯爵夫人寿賀子所用袿・檜扇
  • 北白川宮永久王妃祥子殿下料五衣唐衣裳
  • 喜多川平朗旧蔵大正大礼調度及装束裂等貼交屏風 右隻・左隻
  • 昭和大礼束帯
  • 槍扇形桜藤文ボンボニエール 竹田宮恒徳王・三条光子結婚披露

などがある。

 宮廷装束の世界は、あまりに遠く、われわれ一般人にとっては、縁のない世界という印象が強かった。しかし、この展覧会で見たことや聞いたことから新たな発見をした。有職故実を研究し時代の変化に対応していった先人の存在。応仁の乱によって中断を余儀なくされた後にも復活させた人々の努力と熱意。更に研究を重ねてよりよいものを追及する姿に、同じ日本人でありながら、感動し驚いた。その先人たちの努力の結果、私の目の前に現れた日本工芸の最高品の数々。その技術の高い品々に、展覧会に訪れた多くの人々が惹きつけられていた。

◆人々の弛まない努力とそれを見守る環境

 技術の継承には多くの人の努力が必要である。その素材を製造する人々、素材を組み合わせて製品とする人々、製品を発注する人々、そして、それを評価できる目をもった人々、その製品を保存できる人々。それらの人々がそろって初めて、長きに渡って継承される。戦後、瓦礫の中から素晴らしい工業製品を生み出し、世に送り出してきた日本人。それぞれの組織で、その技術の継承は引き続き行われている努力であろう。

 田中潤EF共同研究員との会話で、田中氏は興味深い事を話してくれた。
「継承には、伝える人と伝えられる人とのともに過ごす時間が必要です。そして、伝える人が安心して、伝えられる人に技術を継承する環境があればこそできるのです」

 伝える人々の地位が、脅かされることのないように技術の伝承ができた組織こそ、長く続くのかもしれない。

【参考文献】

  • 有識故実図典 - 服装と故実 -鈴木敬三著 吉川弘文館 1995
  • 学習院大学史料館ミュージアム・レター34号 2017 年4 月1 日発行
  • きもの用語大全 Powered by 創美苑 http://www.so-bien.com/kimono/

田中潤氏のプロフィール
学習院大学史料館EF 共同研究員。同大学・お茶の水女子大学非常勤講師。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程修了。

学習院大学史料館
1975(昭和50)年、学習院大学史料館は、史料の収蔵、整理・保存と公開を行うことを目的として設置されました。
現在、収蔵している史料は、中世以来続く公家・地下官人、近世から近代にかけての大名・華族や大名家家臣や幕臣、また村の名主家史料、および近代から現代にいたる学習院関係者史料などで、総件数はおよそ13万件を数えます。
このうち、整理や調査・研究を終えた史料群については、『学習院大学史料館収蔵資料目録』および『学習院大学史料館紀要』によって、その成果を公表しています。また仮整理段階にある史料については、常設展示・特別展示を利用して、公開に努めております。(ホームページより)
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/