「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、日本の神話では、須佐之男命(すさのおのみこと)が倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣とされています。そして、古来歴代の天皇によって、三種の神器の一つとして大切に受け継がれて来ました。現代に至るまで、いつの世にも、剣、そして、日本刀は、常に日本だけでなく、世界中から注目を浴びています。今回は、この日本刀の伝統を紡いできた人々に焦点をあてたいと思います。

取材:インサイト編集部員 中田 尚子

◆先人の知恵への誘い

 「真剣」「もとのさやに収まる」「しのぎを削る」「一刀両断」「諸刃もろはの剣」「相槌あいづちを打つ」
これらは、刀にまつわる言葉の数々だ。日本刀と言うと、時代劇で使われる道具、骨董品を連想する人も多く、特定の場所でしかお目にかかれないもの、という印象が強いかと思う。しかし最初に紹介している言葉は、日本人の生活にとけ込み、当たり前のように毎日の生活の中で使われている。日本刀の歴史は古い。長い時を超えて日本人とともに歩んできた。古墳時代には剣の製造が始まった記録もあり、その後、公家や武士の時代、明治から現代までの時代、武器として、権威の印として、精神的な象徴として、美術品として、さまざまな改良が重ねられてきた。

 特に武器の一つとして発達した日本刀は、室町時代には評判をあげ、中国に多くの日本刀が海を渡った。そして、江戸時代の終わりから明治にかけて、万国博覧会を通じて西欧にも多く伝わっている。一方で、明治維新後の「廃刀令」により、多くの刀匠は職を失い、廃業に追い込まれ、また、第二次大戦後、武器の製造禁止命令で、製造することさえできない危機に見舞われた。そんな困難な時代を経て、受け継がれてきた日本刀。そこには伝える人がいたからこそ残る技術がある。「玉鋼(ルビ:たまはがね)」の技術を伝える人々、そして、刀の伝統技術を守る刀匠たち、刀の装飾に携わる人々。日本刀の材料、製造過程、それを支える人々を紹介することで、先人の知恵に触れられたらと思う。

◆「日刀保にっとうほたたらと玉鋼たまはがね

玉鋼

玉鋼

 現代使われている鉄のほとんどは、明治以降に日本に入ってきた「西洋鉄」と呼ばれているもので、それ以前は「和鉄」と言う日本独自なものだった。鍛冶屋で作られる農機具、包丁などの刃物、そして、鍛冶屋の頂点をいくプロフェッショナル集団、刀鍛冶によって作られる日本刀など、用途によって和鉄の種類が分かれる。特に日本刀の作刀に使われる最上級の鉄「玉鋼」は、千年余にわたって受け継がれてきた伝統的製鉄法「たたら製鉄」によって作られた。古代以来、江戸時代までは、日本全国でたたら製鉄による鉄つくりが行われた。しかし、明治以降は量産性のある西洋鉄に押され、大正時代の終わりに、和鉄を供給するたたら製鉄は途絶えてしまっている。日本美術刀剣保存協会が文化庁の後援を受けて、ようやく「日刀保にっとうほたたらが創設されたのは、昭和52(1977)年になってからである。この「日刀保たたら」は、古来から近代に発達した製鉄法「たたら製鉄」による玉鋼を唯一生産し、全国の刀匠に供給している。

 玉鋼の原料となる砂鉄には、「赤目あこめ砂鉄」や「真砂まさ砂鉄」などがある。砂鉄の採取で有名だった中国地方では、山を切り崩して土砂を流し、その土砂を流す過程で砂鉄をとる。この方法を「鉄穴流しかんなながし」と言い、この地方の地形に大きく影響を与えてきた。「たたら製鉄」には、2つの方式、「ずく押し法」と「けら押し法」がある。「けら押し法」は、炉の中に砂鉄を入れ、番子と呼ばれる人がふいご)に70時間にわたり風を送り続ける。ちなみに、この3人1組の番子が交代で作業を行うことが、「かわりばんこ」の語源になったと言われる。この「たたら操業」のあとに、炉の中にできた粗鉄の塊が、「けら)」で、それをさらに粉砕した中から取り出される良質なものが、「玉鋼」と呼ばれるものである。その中でも、上質な「玉鋼」が、刀匠の手によって日本刀に生まれ変わってゆく。

一振ひとふりの日本刀ができるまで

 独自な製法で作られる日本刀は、世界の鉄工芸品でも最高峰に位置付けられる。武器として発達した刀の製作には、人々の工夫と努力の積み重ねが現れる。また、制作は流派によって変わると言う。一般的な日本刀の製作工程を、日本美術刀剣保存会の記述を参考に簡単に説明したい。

  1. みずへし・小割こわ
    玉鋼を熱してうち伸ばし、さらに、割って良質なものだけを選別する。
  2. 積沸つみわか
    小割りにした良質のものをテコに積み、ホド(炉)で熱して塊にする。
  3. 鍛錬たんれん皮鉄かわがね造り熱した塊を鍛錬する。鉄金槌でたたいては伸ばして折り曲げての繰り返しを15回おこない、不純物を取り除き、皮鉄を作る。この鍛錬の結果、自乗計算すると約33,000枚の層になると言う。
  4. 心鉄しんがね造り・組み合わせ
    炭素量が少なくて軟らかい心鉄を、炭素量が多くて硬い皮鉄でくるむ。折れず、曲がらずの特徴を作るための方法となる。
  5. 素延すのべ・火造ひづく
    くるんだ心鉄と皮鉄を熱して、打ち延ばし、小槌で形状を整えてゆく。
  6. 土置き(土取り)・焼き入れ
    刃文をきめる土塗りをし、約800度に熱したのち、急冷する。
  7. 仕上げ・めい切り

詳しくは、(http://www.touken.or.jp/seisaku/koutei.html)

 日本特有な製鉄方法「たたら」で作られた素材は、その中でも炭素量0.03~1.7%のものという。そしてさらに選別したものを「鍛錬」と言う方法で、刀匠がさらに不純物を除く。最高の質の鉄工芸品として生まれ変わった日本刀の刀身は、続いて研ぎ師によって磨き上げられ、鞘師さやし塗師ぬりし柄巻師つかまきし、白金師、彫金師などが、装飾を加え、一振ひとふりが出来上がる。その製法には、特有な、そして気の遠くなりそうな過程があり、その高い技術で作られた日本刀は、美しさも兼ねそなえる美術工芸品となる。

 日本刀には、姿(すがた)、地鉄(じがね)、刃文(はもん)、沸(にえ)、匂い、帽子、刀身彫刻に違いが出て、それぞれの流派で築きあげてきた特徴が現れる。特徴の一つの地鉄には、「板目(いため)肌」「杢目(もくめ)肌」「柾目(まさめ)肌」「綾杉(あやすぎ)肌」などがあり、刃文や他の特徴と合わせ、日本刀の魅力を引き出している。これらの日本刀のさらなる特徴は、日本美術刀剣保存協会のサイトの説明に譲る。日本刀を愛でる楽しみは、ぜひ、実物をご覧になっていただきたい。

 独特な方法で作られた日本刀の魅力は、奥深い。この見事な鉄の最上級品を作り出すのは、刀匠。お二人の刀匠を、広島と奈良に訪ねてみた。

◆日本刀を鍛える人を訪ねて~広島

刀の製造工程がわかりやすく展示されている

刀の製造工程がわかりやすく展示されている

刀匠 三上 貞直 氏 現全日本刀匠会会長
 広島市から北へ車で一時間、中国山地の盆地にある町、山県郡北広島町。そこに全日本刀匠会現会長である三上貞直刀匠の日本刀鍛錬道場がある。この場所は、山陰と山陽をつなぐ街として古くから発達し、中世には砂鉄の産地としても栄えた。戦国武将・毛利氏、吉川氏の城跡や、世界無形文化遺産の「壬生の花田植え」、地域に伝わる「神楽」も有名である。今年の7月、この鍛錬場を訪れた。

 三上貞直氏は、人間国宝月山貞一氏に師事し修行を積み、昭和55(1980)年、この土地に日本刀鍛錬道場を開いた。刀匠、そして、しばしば刀鍛冶と言われる方々に、最初とても近寄りがたいと言う印象を持ってしまう。しかし、そんな心配は全く必要なかったように、三上刀匠は、人懐こい表情で家に迎え入れてくれた。家の敷地には、刀の鍛錬に使う炭を作る施設、刀を鍛錬する場所、そして刀に土置きや刀身彫を施す施設がある。砂鉄の実物や、刀の制作工程がわかるよう展示がされていて、刀を知らない人にも刀の製造工程がわかる。資料のあるお部屋には、様々な書籍が古いものから現代までならび、日夜研究が欠かせない。作業場や刀を説明する姿勢には、「刀を知ってほしい、伝えたい」と言う熱い気持ちが伝わってくる。すっかりその熱意に圧倒され、時間の過ぎるのも忘れて話に耳を傾けた。

三上貞直氏 日本刀鍛錬道場前で

三上貞直氏 日本刀鍛錬道場前で

 刀を作り、弟子を育て、そして、世の中の方に伝えていくために奔走している三上氏は、作刀をする傍ら、全日本刀匠会会長をつとめ、日本刀の普及へと奔走している。鍛錬に必要な炭作りとその技術の保存、それらにも気を配るなど、実に多忙な日々を送る。特に、後進を育てることについては悩みは絶えない。「育てた弟子が独り立ちして生計を立てて、うまくやっていけるだろうか?」「(世にでる刀匠を養成するには、)承認審査の基準をどこにおくべきか?」など頭を悩ませ、取り巻く環境の変化に合わせて、次世代の育成に心を砕く。

 その三上氏が、自ら企画を手がけるイベント「日本刀の愉しみ」展。広島市内にある「頼山陽史跡資料館」で開催されていると言うので、翌日出かけてみた。地元で活躍する刀匠の方々の作品が並ぶこの展示には、三上氏のこだわりがうかがえる。刀の本来もつ魅力を来場した人々にできるだけ見てもらうために、照明にこだわる。どの光がいいか?どの角度がいいか?また、様々な人にもみてもらうために、身長の差や、車椅子に座ってみる角度さえも考える。手作りからスタートした照明は特注のもの。刀の美しさ、刃文、地肌などを見せられるよう工夫されたその場所で、数々の日本刀と対面をさせていただいた。姿、形、大きさ、反り、色艶、刃文、地肌、刀身彫刻、それぞれの刀匠の創意工夫のあとが見られる刀。一つ一つじっくり見ていると、次第に表情が変わって見えてくる。それが楽しくて、時間を忘れてしまうほどだった。

◆日本刀を鍛える人を訪ねて~奈良

三輪山麓にある月山日本刀記念館に飾られた名刀

三輪山麓にある月山日本刀記念館に飾られた名刀

刀匠 月山貞利 奈良県無形文化財保持者
 昨年、白金台にある八芳園で一般社団法人日本文化継承者協会が開催した文化講座第七講講座に登壇した月山貞利刀匠。日本刀の歴史、刀の製造工程、そして刀の鑑賞の仕方までお話をいただいた。月山一門というのは、鎌倉時代初期、奥州月山鬼王丸を起源に約800年続く一門。江戸時代の終わりに大阪に移住し、今では、奈良県の三輪山麓に「月山日本刀鍛錬道場」を構え、数々の日本刀を世に送り出している。

 現在、月山日本刀鍛錬道場の当主は、月山貞利氏。明治の廃刀令から日本刀を守り抜いた一人、帝室技芸員の月山貞一氏(初代)は曽祖父、そして人間国宝月山貞一氏(2代)の三男である。平成18年に文化庁から刀匠として承認を受けた長男月山貞伸氏とともに、名刀を作り出すべく、日々鍛錬に励み、後進を育てている。一方で、春日大社国宝「金地螺鈿毛抜形太刀きんじらでんけぬきがたたち」の復元や、関東大震災で被災した水戸徳川家伝来の名刀「太刀児手柏たちこのてがしわ)」の復元にも携わり、その伝統技術を将来に伝えるべく、技術研鑽に努め、自身の技術を高めている。

三輪山麓にある月山日本刀鍛錬道場の前で、中央 月山貞利氏、左 月山貞伸氏

三輪山麓にある月山日本刀鍛錬道場の前で、中央 月山貞利氏、左 月山貞伸氏

 その熱意は、刀匠になると決めたいきさつからも伺える。貞利氏は大学卒業後、就職先まで決まっていた。しかし、戦後の苦難を乗り越えた父二代目貞一氏を目の前で見てきた貞利氏は、現代まで伝わった尊い技術を守りたいと、決まった就職先を丁重に断り、父に弟子入りすることとなる。貞利氏は、こう語る。

 「刀鍛冶にとって、道具を使い日々腕を磨いていないと技術は衰える。戦後その製造を全て禁止されるという時代は、刀鍛冶として全てを奪われたのと同然」。

 そのような苦労を目の前に見てきた氏は、受け継ぐ決心をしたと言う。そんな師を思い出しながら、「刀の製造過程の鍛錬は、叩いて火花を散らすことで、鉄の中の不純物を打ち出す。そうすることで上質の鋼が出来上がる。人についても同じことが言えるのではないだろうか?(人として、そして、名刀を鍛えるために)今でも、師匠にもっと鍛えてもらえば良かったと思う」と話す表情が印象的だ。

 銘を入れて、世の中に出る日本刀。「銘を入れた日本刀を世に出すことには、とても慎重を期す」と話す。後世に残り、いつか自分の残した日本刀が一振でも国宝となれば、そんな素晴らしいことはないと繰り返す。そのために、貞利氏は、今日も刀を鍛える。

◆次世代を育てる、伝統を伝える

 剣製造から数えれば、一千年以上続く日本の伝統工芸品の一つ日本刀と、それを支える人々。たたら製鉄で働く人々、三上刀匠、そして月山貞利刀匠、貞伸刀匠の親子。それぞれが、それぞれの立場で、それぞれの職業を全し、次世代を育てること、そして長く伝わってきた伝統を守ることを常に考えている姿があった。現代社会で生活していると、変化の多い世の中に、目の前の事に流されがちだ。しかし刀匠たちの視点は、目の前のことだけにあるのでなく、常に先の先まで見通した、はるか遠くある。質の向上を図り、且つ、変わらないものを残すことには、多くの人々の年月をかけた試行錯誤の末の知恵が詰まっている。お近くのある展示会などで、日本刀をじかでご覧になり、先人の知恵に触れてみてはいかがだろうか。



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