産業医 大室 正志

産業医 大室 正志

ゲスト:産業医 大室 正志おおむろまさし 氏
医療法人社団同友会 産業保健部門 産業医
産業医科大学医学部医学科卒業
産業医実務研修センター、ジョンソン・エンド・ジョンソン統括産業医を経て現職
専門は産業医学実務。現在日系大手企業、外資系企業、ベンチャー企業、独立行政法人など約30社の産業医業務に従事


これまでもそしてこれからも企業におけるメンタルヘルス問題への対応(メンタルヘルスマネジメント)は経営上重要なテーマであることは論を待ちません。多くの企業でこの問題に真剣に取り組み、各種施策(ラインケア・セルフケア・ストレスチェック等)を実施されてきたことと思われます。しかし、残念ながら成果は芳しくないのではないでしょうか。特集2では、これからのメンタルヘルス問題を考える際の新しい視点を皆さんに提供したいと思います。メンタルヘルス問題は、働き方改革という雇用・労働問題にも大きく影響します。民俗学的・文化論的に捉えてみることで解決のヒントが見つかるかもしれません。

<聞き手>:編集部 岡田 英之

岡田英之(編集部会) 今回はメンタルヘルスについて大室先生にお話を伺います。まずこれまでの活動やご専門分野についてお話しいただけますか。

◆産業医の視点から過労自殺企業を分析

大室正志(医療法人社団 同友会 産業医) 私は産業医科大学という産業医を専門に養成する大学を卒業しました。研修医を経て、大学に戻り産業医の研究、研修を2年間行った後、統括産業医としてジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社に5年間在籍しました。
 今は首都圏を中心とした人間ドック専門機関である医療法人社団同友会に所属して、産業医業務を受託する産業医室にいます。大手企業、独立行政法人、外資系企業、スタートアップベンチャー企業など、約30社の産業医をしています。最近は働き方改革がキーワードになっていますから、産業医の立場から、働き方や今の会社組織のあり方についてお話しする機会も増えています。

岡田 集英社新書から『産業医から見る過労自殺企業の内側』を出版されましたね。出版された背景を含めて、著書についてお話しいただけますか。

大室 電通の女性社員が自殺した件で2016年10月に労災認定が下されたことは、非常に大きなニュースになりました。それに対する考察をネットメディアで書いたところ、出版の依頼がたくさんあり、今回の出版となりました。それだけ世間の関心が高かったのだろうと思います。著書の中では、過労自殺の話、企業社員の話、組織の話などを書いています。

◆「背中を見て覚えろ」はもう通用しない

大室 多民族国家と言われているアメリカでは、環境、宗教、民族など、さまざまな文化背景がある人をまとめるために、分かりやすい言葉で伝えることが非常に重要です。一方で、日本社会には忖度(そんたく)という言葉があるように、言葉にしない部分に真実を置くコミュニケーションを使うことが非常に多いですね。例えば、上司の顔色を見ながら「あれは実はこういう意味だ」と考えたりします。
 毎日同じ所で何十年も顔を突き合わせる「村社会」的な人間関係では、多くの言葉を使うとむしろうるさい人になってしまうためです。また、同じ環境の人だけが分かる言葉を使う「ハイコンテクスト」文化があります。体育会系文化の会社で言う「死ぬまで働け」とは「おまえら、頑張れ」程度の激励の意味だったりするのが、ハイコンテクストの例です。
 日本ではハイコンテクストのコミュニケーションを好む傾向があると思います。的確な表現を検討することなく、「背中を見て覚えろ」などと言ってきました。たしかに、20年、30年と同じ上司の背中を見ていれば、言われなくても分かるかもしれません。しかし今は、次々とプロジェクトに配属され、頻繁に上司が替わります。また新卒の社員はそもそも文化環境が全く違います。

岡田 転職して入社してくる人もいますね。

大室 社内の体制が村社会ではなくなったにもかかわらず、言葉にすることを良しとしない文化環境だけがあまり変わっていません。今は明確に言わなければ理解されません。背中を見て分かってほしいというのはもう無理です。
 部下側も言葉にする努力が必要です。上司から大丈夫かと言われて、「いや、大丈夫です」と答えるとします。部下は、この「いや」という言葉で、なんとなくニュアンスで伝わってほしいと考えるのです。しかし、今は上司もプレイングマネジャーで忙しいため、部下の顔色を細かく見て「今日の言い方は元気がなかったな」と分かる人は多くありません。自分の身を守るためにも、部下は自分の気持ちを言語化していかなければいけません。

◆家族主義の会社から多様な働き方ができる会社へ

大室 欧米社会は、文化環境が違うと「あなたは他人だ」という諦めからスタートして、「だから言葉を尽くしていこう」と考えるカルチャーです。
 最も流動性の少ない人間関係は、家族です。家族は生まれた頃からほとんど変わりません。日本では会社に家族的な関係を持ち込んだので、言語化しない会社文化になったのだと考えられます。かつて松下幸之助は「社員は家族である」と家族主義を打ち出しました。疑似家族として成り立つ会社が理想形であると考えられたためです。
 疑似家族にすることは、忠誠心を高めるのに非常に良い作用があります。社員は会社に忠誠を尽くす代わりに、会社に一生守ってもらえました。良くも悪くも、滅私奉公と俸禄のバランスが取れていた時代でした。
 しかし、今はリストラがあり、昔のように年功序列で給料が上がるわけでもありません。封建的な関係のバランスが取れなくなっているにもかかわらず、上司側は部下に悪い意味で家族のように接するわけです。電通事件は、このような家族主義の悪い弊害だったのではないかと思います。環境が変わっているのに、文化が追いついていません。

昭和的家族主義の会社は変われるのか・・・

昭和的家族主義の会社は変われるのか・・・

岡田 今は働き方改革と並行して、ダイバーシティが進んでいます。多様性のある組織、集団にしていこう、個性を尊重しようというのは、日本社会にはハードルが高いのではないでしょうか。

大室 日本の会社は、もともと健康な成人男性が構成員であることを前提としています。女性は一般職として補佐的な存在でした。会社は扱いやすい健康な成人男性だけを採用してきましたが、それだと今は人材が確保できなくなってきています。また、ビジネス環境も変化しており、会社も社会の多様性に対応していかないと業績が伸ばせないようになってきました。
 多様な働き方に変更するのは、いわばコンピューターのOSをバージョンアップするようなものです。産みの苦しみがあり、不具合も起こり、不便なことが多々起こります。
 しかし、時の流れは変えられません。次の段階へ進むためには必要なことです。働き方改革で不具合があっても、この不具合を社会として許容しないと、新たな社会へ進めません。中小企業も含めて社会全体が変わるには、もう少し時間がかかるかもしれません。



◆ビジネス環境の変化から働き方の変革が求められている

岡田 家族主義にもメリットはありましたが、ビジネス環境や消費者のニーズ、産業構造などが変化し、会社や組織も変革が求められているわけですね。

大室 そうです。環境が変われば、人も、コミュニケーションのスタイルも全てを変えていかなければいけません。メンバーありきで進めるメンバーシップ型よりも、必要なメンバーをアサインするプロジェクト型になりつつあります。プロジェクトごとにメンバーが変わる環境に対応していくためには、スキルの標準化と分かりやすい言語が必要です。しかし、日本人はこの「分かりやすい言語」が苦手です。

岡田 人員の流動性が高くなることで、雇用が不安定になるという心配はありませんか。

大室 雇用が不安定になる心配はあると思います。今まで抑圧され固定化されたものが崩れ、規範が緩むということは、たしかに多様な働き方のマイナス面かもしれません。働く人にとっては不安が強くなるかもしれません。

岡田 特にメリットを享受していた人には不安ですね。

大室 マイナス面はありますが、全体として考えた場合、固定化されたメンバーシップ型より流動性の高いプロジェクト型のほうが、社会全体としてメリットがあると思います。

◆メンタル不調になる人には二つのタイプがある

メンタルヘルス疾患に陥りやすいタイプは?

メンタルヘルス疾患に陥りやすいタイプは?

岡田 産業医として30社近くの企業や組織をご覧になって、現場のメンタルヘルス環境に変化は感じられますか。

大室 メンタル不調になる人に二つのタイプがあると感じています。それは最終手段として辞めようと考えている人と、辞める選択肢がない人です。この二つは全然タイプが違います。
 転職ありきの人は、悪い言い方をすると我慢弱いのです。選択肢があるがゆえに、どうするのがいいのか選択肢の間で葛藤が起きて、しんどくなります。それで「もう無理だ」と投げ出して、会社に来なくなります。これは適応障害と言って軽症な病気です。早ければ1カ月ぐらい休むとよくなります。
 一方で転職することを考えていない人は、逃げ場がないので我慢します。地方にいる大手大企業の中高年などに多いです。20年勤めてきたが会社の環境が変わって合わなくなってきた、けれども外へ出たところで今より良い環境はないから、会社を辞めるという選択肢はない。このタイプは八方ふさがりになり、重症なうつ病になる可能性があります。

◆当たり前の話こそ言語化する必要がある

岡田 若者の早期離職を防ぐため、企業側はいい面も悪い面も含めて情報を開示すべきだという意見がありますが、どうお考えになりますか。

大室 情報を開示することは大事だと思います。しかし、新入社員には会社側の言葉を全く違う意味に捉えてしまうことがよくあります。
 例えば、私がかつて勤めていたジョンソン・エンド・ジョンソンには、企業理念として「我が信条(Our Credo)」という言葉があります。第一に大切なのは顧客、第二は従業員、第三は地域社会、第四が株主という考え方です。新卒採用の説明会などで、学生はCredoについて説明を受けます。ところが、入社後に営業に配属されて売り上げへの厳しさを目の当たりにすると「Credoはうそだったのか」とショックを受けてしまいます。
 会社は利益を追求する組織です。それが大前提ですが、利益追求のやり過ぎが起こらないよう戒める目的で、Credoを持っているということだと思います。企業側がその前提を言語化しなかったので、学生側は誤解してしまうのです。
 会社が利益を追求することは、社会人ならば分かることです。ただ、人はそういう当たり前のことは話さず、当たり前でないことや珍しいことを言語化します。他社と比べて珍しいこととしてOur Credoだけが言語化される。学生は、言語化されていない当たり前の話に目を向けるべきだと思います。

岡田 企業側としても、前提や当たり前のことから言語化する必要がありますね。

大室 その通りです。昔は、会社に入ったら自分を変えて会社に従うことになっていました。それでは弊害が出てきたので働き方が変化した。すると、今度は自分を変えなさ過ぎる人が出てきた。会社から給料が出ている以上、ある程度は会社に合わせる必要がありますが、自分を変えられないがゆえに苦しくなってくる。評価は下げられたくない、でも自分を変えたくない。
 この葛藤からメンタル不調になっていくんです。他人から見たら馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが、最近の20代にはこういうタイプが増えています。

◆自分のキャリアを自分で決めることがストレスになる人もいる

岡田 現在、大学などのキャリア教育では自らキャリアを選び取るよう指導をしています。そのために、実際に会社に入っても自立的に動けば選択肢を増やせるという錯覚を起こしてしまうのでしょうか。

大室 自分に忠実であれと言われて、スティーブ・ジョブズぐらいまで突き抜けられるなら問題ないかもしれません。そこまでの覚悟はないのに、「自分を変えたくない」と意固地になってしまうのは、良くありません。昔のように、何でも会社の言うとおりというのも良くありませんが、会社のやり方と自分の考え方に折り合いをつけて、うまくバランスを取ることが大切だと思います。

岡田 働き方を変えていくことも、ストレスになりますか。

大室 なります。固定化されたものがストレスな人もいる一方で、自由であることにストレスを感じる人も多い。日本人は自分で決めることが苦手な人が多いです。抑圧のストレスから解消されると、今度は決めるストレスが出てきます。
 この本の最後に、『自殺論』を提唱した社会学者のデュルケームについて触れましたが、抑圧された村社会では自殺が増え、自由な社会では不安定さが増します。抑圧と自由のバランスは難しいのです。

◆能力の高い女性は周りの要求に応えるあまり苦しくなる

岡田 産業医の矢島新子さんの著書に『ハイスペック女子の憂鬱』があります。高学歴で、ステータスが高い仕事に就いているハイスペックと呼ばれる女性たちについて書かれていますが、女性がいろいろな分野で活躍する一方で、選択肢が広がって、仕事と出産・子育てとの両立などでストレスがかかり、どんどん女性を苦しめているような印象を受けました。

大室 私もいろいろな会社で、エリートと呼ばれている女性のお話を聞いていますが、苦しいと言っている人は過剰適応の傾向があると感じています。
 男性の場合は、社会的な地位を得たり仕事ができることで、社会的な役割を免罪されます。また、社会的な成功はプライベートの充実にも連動してきます。
 しかし、女性は良妻賢母であれという社会的な要求や、周りの評価の全てに応えようとします。そして、ハイスペックの女性は能力が高いので適応できてしまうんです。

岡田 こちらは諦めようと、意志をコントロールできないのでしょうか。

大室 それができる人はなかなかいません。大人になるということは、何を諦めるかということです。しかし、ハイスペックな人は子どもの頃から、親から可能性を広げるためにいい大学に行きなさいと教わります。いつかは可能性を限定していかなければいけないのに広げるばかりになり、結局何がやりたかったんだろうとなるわけです。
 女性に限らず、社会的評価や人の基準で動くことは非常にしんどいことです。メンタル不調でつらくなる人は「べき思考」なのではないでしょうか。こうあるべきだという「べき思考」の人は自分の評価でなく評価軸が他人なので、しんどくなるのではないかと思います。

◆労働者側から見た働き方改革、企業から見た働き方改革

岡田 働き方改革については依然として進んでいない印象を受けます。働き方改革の本質はどこにあるとお考えですか。

大室 どの会社も働き方改革に取り組んではいるけれども、実際のところどうすればいいのか分からないという状況ではないでしょうか。働き方改革というのは、労働者側から見れば労働に対する規制緩和、オーダーメード化、自由化ということです。
 フリーランスとして働くのか正社員かの2択ではなく、固定化されずグラデーション化されていくということです。ある時はフリーランスとして働く、ある時は正社員として働く。また、週3日は大企業で働いて、週2日はベンチャーで働くという人も出てくるわけです。このような働き方はIT業界で特に多いです。ベンチャーか大企業か二項対立ではなく、両方を行き来もできるし、グラデーションでやっている人もいる。これが労働者側から見た働き方改革です。
 企業側の働き方改革は、業種や会社によって力を入れるポイントは違ってくるとは思いますが、多様化する働き方に対応していくということだと思います。今までのように、たくさん仕事を受注して社員に夜中まで働けと言っていたら、社員はやっていられません。そして、そういう会社はだんだんと人材が確保できなくなります。
 オーダーメードで働ける時代ですから、無理な働き方を強いる所はどんどん淘汰されていく可能性があります。企業が生き残るために、長時間労働の是正が必要だと思います。
 30年後の日本人は、徹夜で仕事するなど非人道的だと言うはずです。30年後の人が見た時におかしいと思うことは、やらないほうがいいと思っています。

◆なぜ部下は上司がいたら帰れないのか

岡田 よく、仕事がないのに上司がいるから帰れないと聞きます。非常に非生産的な話だと思います。

大室 日本人は自分で決めることが非常に苦手です。仕事に限らず、全てにおいてそうです。健康のことは自分の問題なのに、「医者に止められている」と言う人が多いのもそうです。主体が自分ではなく他人です。
 だから、上司がいるから帰れないとか、資料に駄目出しをされたらOKと言った人が悪いとか、主体を自分にしたくない。これは日本社会で角を立てないためのやり方でしたが、このやり方の副作用が長時間労働です。

岡田 部下からすると、上司を置いて帰ることによって、会社からマイナスの評価を受けるのではないかと心配しているようです。

大室 まさに空気の勉強ですね。誰もが思ってないのに、その場を決めたのは空気であるというものです。
 クールビズもそうです。みんなが暑いと思っていたけれど、ネクタイを外すわけにはいかなかった。しかし、環境保護のためという大義名分ができた瞬間に、全員ネクタイをやめました。今回の働き方改革も一緒で、大義名分が必要なのだと思います。
 自分たちで決めて変えることが一番望ましいでしょう。ただ、今まで長くあった文化をやめて、新しい文化を醸成していくには時間がかかります。ならば、クールビズの成功を見習って、長時間労働などは一斉にやめたほうがいいと思います。電通事件の影響もあって、今なら世間が聞く耳を持っています。このタイミングで誰かが旗を振ってしまうのが一番早いのではないかと思います。

◆相手は他人だと認識してコミュニケーションする

岡田 最後に、読者である人事担当の皆さんに向けて一言お願いします。

対談を終えて

大室 日本人は、自分の意図を分かってくれない人間に対して非常に冷たい視線を浴びせることがあります。しかし文化や環境は多様化しています。意図を言語化しないことや相手に自分と同じ感性を期待することから、いろいろな行き違いが起こります。
 「言わなくても分かる」、「自分がこう思うから相手もこう思うはず」という考え方はもう無理です。全てを分かってくれるという期待を裏切られると、「なんで分かってくれないんだ」と怒りを覚えます。
 この考え方を変えるべきです。相手は他人だと諦めて、言葉を再構築していくことが求められています。これからはさらに流動性も大きくなり、プロジェクト型の仕事が増えてくると思います。村社会では言葉にしなくても分かり合えていたことでも、急に一緒に働くことになった人には通じません。ですから、「相手が他人だと諦めることからコミュニケーションをスタートしてください」ということを、メッセージにしたいと思います。

岡田 ありがとうございました。



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