このコラムでは、日本で長く続く伝統やそれを守る人々を取り上げて紹介をしています。
今号では2018年3月8日(木)に行われたInsightsセミナー「伝統文化から学ぶ人材開発:極めれば、無色無形」をレポートしたいと思います。今回の講師は、小笠原流弓馬術礼法次期宗家、小笠原清基おがさわらきよもと氏。鎌倉時代から31代続く小笠原家は、流鏑馬やぶさめなどに代表する伝統文化を継承してきた家。その長男として生まれ、これからその伝統を紡ぐ小笠原さんに、小笠原流とは、その歴史、そして継承のために行っていることや考えをお話しいただきました。

小笠原清基
小笠原流弓馬術礼法おがさわらりゅうきゅうばじゅつれいほうの次期宗家。
父である第31世宗家清忠氏とともに、全国の神社にて行事を執行。家業を生業にしないという家訓により、神経科学博士を取得後、製薬企業にて新薬の研究を行う。著書に『小笠原流 美しい大人のふるまい』(日本実業出版社)など。
【小笠原流弓馬術礼法のサイト】小笠原流弓馬術礼法 www.ogasawara-ryu.gr.jp

小笠原流弓馬術礼法おがさわらりゅうきゅうばじゅつれいほう

最初に、今回の講師を務めた小笠原清基さんから、小笠原家の歴史、弓馬術礼法とは何を意味するか?をビデオを使いながら、説明をしていただいた。

【小笠原家の歴史】
平安時代の頃、56代清和天皇の流れをくみ(清和源氏せいわげんじ)、鎌倉幕府の初代将軍源頼朝の弓馬術礼法の師範となった初代小笠原長清おがさわらながきよから始まる家である。同じ清和源氏の流れをくむ家として、源家、足利家、新田家、武田家がある。小笠原という性は、80代高倉天皇から紫宸殿に出た魔性を矢で退散させたことから賜ったと伝わる。1187年源頼朝に請われ、糾法きゅうほう(礼法・弓術・弓馬術)師範に任命された。当時、政治の中心は京都から鎌倉に移り、武士と言う集団が政治の担い手となってゆく。そこで必要になったのが武家の礼法。当時京都で学んでいた初代小笠原家の当主に白羽の矢がたった。
「礼儀なくして人は従わない」
と言われ、公家式を参考に武家式礼法が出来上がってゆく。その後小笠原家は、歴代の将軍家(足利家や徳川家)に仕え、明治に至る。

 一般的に「礼法」はマナーのようなイメージを持たれがちだが、小笠原家が伝える礼法は儀礼的なものも含まれる。例えば、人生の通過儀礼の中から、七五三の儀礼や婚礼式などがそれだ。実際どのように行われるか、スライドを見ながら説明をいただいた。5歳の男児が初めて袴を身につける儀式が「袴着はかまぎの祝」。7歳の女児が初めて帯を巻く「帯直しの祝」。これらの儀式を執り行うことが小笠原家の伝えてきた礼法にあたる。

 次に「弓術」。弓術とは「弓をひく」。具体的なものとして、「草鹿式くさじししき」というものがあり、源頼朝が家臣のお稽古として作った式法である。単に矢が鹿の形をした的にあたればいい(勝てばいい)というものでなく、中り方も判断されると言う。この他にも「大的式おおまとしき」や「蟇目ひきめの儀」がある。

 そして最後に「弓馬術」。騎射三物きしゃみつものと言われる「流鏑馬やぶさめ」「笠懸かさがけ」「犬追物いぬおうもの」のうち、小笠原家では「流鏑馬」と「笠懸」を今も行っている。お話とともにこれら礼法、弓術、弓馬術をビデオを使ってご紹介いただいた。

 「礼法」「弓術」「弓馬術」を伝えてきた小笠原家。武士の時代が終わり明治の時代に変わる頃、28代清務氏が家訓「家業を生業にしない」と定め、徳川家にお伺いを立てて、現在の神田に小笠原教場を開設。こうなった背景には、次のようなことがある。それまでの時代は、武士の家に生まれれば、生まれながらにして武士、農家に生まれれば、生まれながらにして農民というように、それぞれの世界の家庭のしつけがあった。明治になり、家庭のしつけが異なる人々が集まって一緒に働くようになると、共通した礼法が必要となり、礼法が学校教育に取り入れられていく。これから「小笠原流イコール礼法」と言うイメージがついたのではなかろうか。現在の宗家の頃から海外でも流鏑馬などの執行が行われ、フランス、ハワイ、ニュージーランド、イギリス、フィンランド、メキシコなどでも行われた。海外でも人気のようで、フランスで流鏑馬のポスターが貼ると同時に盗まれたと言う。それまでは任意団体だったが、現在では一般財団法人やNPO法人を設立し、流儀を伝えてきている。

◆体験-立つ、お辞儀、椅子に座る

 ここで少し参加者の方にも体験をしてもらうために、武家の礼法である小笠原流の「立つ」「お辞儀」「椅子に座る」の動きを、小笠原清基氏と一緒に行ってもらった。

◆小笠原流が行う継承について

 いよいよ、今回の本題の「継承」について話が移っていった。まず、小笠原流の考えの根底にある考えをいくつかの例を挙げて説明していただいた。鎌倉時代から社会の中心にいた武家は、武芸(武芸十八般)を嗜みながら道を見出してきたと言う。その中でも「弓馬槍剣きゅうばそうけん」は特に重んじられ、さらに、六芸りくげいと呼ばれる「戦術、礼、弓、馬、書、歌」が武家の六つの教養で、そのうち三つを小笠原家が担ってきたことになる。では、なぜ小笠原家がそれほどまでに重用されたか?それは礼法を大切にしてきたからではなかろうか。力があるだけではなく、礼があって人が従う。礼とは、人としての最低限のマナーである。

 更に、話は進む。例えば、コートは家の外で脱いで家に入る。それは日本には畳の文化があるので、ちりを家に持ち込まないためだったと、言うように意味があった。となれば、何か問題を起こさないようにするためにルールを作るのではなく、本質を捉え、目的を共有していればそう難しいこと(ルール)は必要ないと考える。ルールを作ることで覚えることが増え、少しでもルールに外れると大騒ぎになるのを見ていると、かえって自分たちの首をしめているのではと感じる。コンプライアンスが重要なのは仕方のないことだが、やり過ぎな感がする。

 小笠原流では「型は求めない」。そして、実用的で省略できるものはできるだけした結果、美を求める。この美においては、日本では、省略の美を求め、西洋では、盛り付けの美を求めているではないだろうか。本質を求める事を中心に、時代に合わせたり、支援者に合わせることは末節だった。この考えを表す小笠原家に伝わる歌を披露された。
「成り姿(なりすがた) 流れ流れに変わるとも 奥意は同じ谷川の水」
(川(考え)は、下流になればなるほど枝分かれするが、上流では一つの川だった)

 次に伝え方について話が移った。

  • 口伝
     小笠原家の伝書の中に「体用論」と「修身論」とがある。ここには、伝えなければならないことしか書いていない。具体的にどうするということは、口伝で伝えた。スポーツは、万人が同じことをできるようにマニュアルがあるが、武術は人それぞれ骨格、性格が異なり、現状を見てその人にあった教え方をした。
  • 正しく伝える
     正しいものを正しく伝えるために、宗家が唯一の先生であり、門人は700人(他の流派と比べると少ないのでは)。生徒の個性を理解し、それに合わせて指導をするようにしている。
  • 反復稽古
     本質を伝えるためにどうしているか?基本の動作である「たつ」「座る」「歩く」「まわる」「おじぎ」「ものを持つ」。食事作法ができているけれど、猫背ではいけない。応用として「行き交いの礼」「ものをすすめる」などがある。常に同じ事をくり返し、お稽古をする。なぜならば、一つの事を学び、違った事をやったあと、また同じことに戻ってくると、違った見方ができることに気がつくからだ。そして、自ずと全てに共通する考え方が見えてくる。

最近は、教えすぎではないだろうか。ここを理解してくださいと指導しても人は育たない、と言うのが小笠原流の考え方と言える。一方で、日本の職人さんの世界で言われる「見て学べ」があるが言葉ばかりが先行している。何も知らない人に「見て学べ」と言っても無理があり、ある程度のベースまでは教えてあげる。こうして繰り返し行うことから本質を見極めてゆく。

◆「極めれば、無色無形」

 ここである質問が出た。「型を求めないと言うことは、どう言うことでしょうか?」これに対して小笠原さんはこのように答えた。「例えば、入り口に近いところを上座と決めると言うことは『型』。小笠原流では状況によって上座は変わる。一例として、床の間の脇床が、床の間の右側にあるか左側であるかで、上座が逆転する。最初のように上座を決めてしまう(型を求めてしまう)とマニュアル化してしまい、自分で考える力をなくし、応用がきかなくなると言う考え方。」

 小笠原家の伝書「体用論」と「修身論」があり、それぞれが、体のこと、心のことを記している。例えば、「おもてなし」を例に挙げて説明をすると、「おもてなし」は心だけ、体だけではできない。心と体が練りあい、はじめて「おもてなし」ができる、と言う考えをこの二冊で表している。

 さらに、ゆとりのある動きをしていると、当たり前のことを当たり前にできるようになる。このことが重要だと考える。小笠原家に伝わる言葉の一つに、このようなものがある。
「心に一張の弓を持ちなさい」
弓を使用できる状態にしている時、弓には一定の力がかかっている。そして、その緊張感を持ち続けられた人は間違いなく人の上に立てる、という考え方である。例えば、お客として出かけると、一定の緊張感をもって行動する。一方、家ではそうは言えない。伊達政宗の言葉に「この世に客にきたと思え」があるが、それは上に立つものは一定の緊張感を持ち、一定の考えを持っていることが必要だと言う例だ。

 そして、適切な物の考え方ができ、どのような場合にもちょうど良い距離感が保たれる行動をしていると、「色」が出てこなくなる。小笠原流では「色」を出さず、人から滲み出る魅力を出すことを大切にしている。「何か、この人は凄そう」と言うことが「無色無形」に繋がるのではないだろうか。そのためには呼吸と動きの一致が重要で、常に稽古を行う。

 また、人に伝えることと言うのは、教えることになりがちだが、宗家も「指導をする」と言う言葉は使わず、「さあ、稽古をしましょう」と言う。こうやって伝えることを行なっていると、自分も学ぶことができる。そして、指導される側もいつまでも稽古という意識を持って稽古を続ける。

◆参加者からの質問

 参加者の中からは、実にさまざまな質問が出た。その一つ一つに丁寧に小笠原さんが答える。

たとえば「専業にしないというのはなぜ?」と言う問いに対して、
「お金と指導を分けた。お金を稼ぐために指導に走る人がいる。しっかり考え、立てるべき筋が何かを大切にしている。お金、生活、継承を分けて考えたいからだ。」
「他の流派との交流はないのか?」と言う問いに対して、
「例えば、流鏑馬の流派に武田流があるが、平安時代に遡れば兄弟だった。また槍の構えは馬の乗り方にもある共通点がある。茶、花、香りには、生きるか死ぬかの瀬戸際にある武士にとっては心をリセットするものだった。というように、それぞれが共通点を持ち、違いを補いあっていることがある。」

 最後に、小笠原流の流儀とともに歩んできた小笠原清基氏自身の過去を振り返っていただいた。流鏑馬神事での落馬で、自分のことが一番後回しに考えるようにと教えられた経験、自分の行動には責任をもつようにと言う教訓、人の上に立つものは常に孤独であると思い知らされた経験など。笑いを交えて話をしていただいたが、覚悟を示す出来事の数々だった。

 今回講師を勤めていただいた小笠原さんのお話しに何度も出てくる「本質を捉える」と言う言葉。それを求めるために行っていることは、ごく当たり前のことを当たり前にできるようになるためのお稽古であり、お稽古をくり返すことだった。お話を終わってから、参加者の皆さんから惜しみない拍手が送られ、さらに参加者からは、次々と「良かった」と言う御言葉をいただいた。小笠原清基さま、貴重なお話を誠にありがとうございました。

取材・文:中田尚子(Insights編集部員)