『液状化(リキッド・モダニティ)する社会における組織と個人の関係とは』

 突然ですが、みなさんは最近自己紹介をする機会はありますか?そんな場面でどんな話をされていますか?よくあるケースでは、生年月日、身長や血液型、趣味、好きな食べ物などを話すのかも知れません。これらに加えて出身地や出身校、「会社員です」「弁護士です」「自営業です」というような職業や「二児の母親です」というような家族役割、あるいは「本業の他に○○という組織で活動しています」というようなパラレルキャリアも増えているのかもしれません。いずれにしても、社会との接点を示すプロフィールを思い描くのではないでしょうか。

 自己紹介の内容はみなさんにとって重要なアイデンティティです。昨今社会学の分野では、個人のアイデンティティが以前より捉えにくい状態へと変化していると指摘されています。個人と社会のつながりが固定的で永続的であった20世紀は、人間関係も比較的固定化され、流動性に乏しいものでした。自己紹介の内容もそうそう変化するものではなく、お互いがよく認知していました。そもそも個人の生活スタイルも周囲から丸見えの状態(向こう三軒両隣)でしたので、自己の社会的な立ち位置を敢えて説明する必要もありませんでした。

 しかし21世紀に入り、個人と社会のつながりは多様で複雑になり、一時的で弱体化するようになりました。ある著名な社会学者は「液状化」という表現で説明しています。個々人のアイデンティティについても同様です。社会がこのように変化してくると、個人の寄せ集め状態に近くなり、社会共通イメージを描くことも難しくなってきます。企業組織やコミュニティにおいても成員構成が「液状化」により同様の状態になっていることは多くのみなさんが感じられていることかと思います。「液状化」が進行すればするほど、かえってお互いを認識するための社会的地位(ステイタス)が重要になってしまいます。ある意味バイアスです。このことが昨今の階級・格差問題の根底にあるように思います。

 今号(2018年度夏号)特集では、格差や階層について取り上げています。社会学分野における格差社会論では、そもそも解消しえない物事に注文をつけている状態であると論じています。解消できないとわかっていながらも気になってしまうのが人間の性なのでしょうか。

 格差社会になると、一面では人々の暮らしが流動化していくといわれます。流動化の結果、個人と社会の関係が不安定化し、今まで通りの生活を維持できなくなるといわれます。他方で格差社会が進むことにより、人々の立ち位置が固定化していくことも危惧されています。固定化の結果、チャンスやメリットが特定の人間に集中し、不当な偏りが生じてしまうといわれます。どちらも実感として理解できますが、一体ニッポンは流動化しているのか固定化しているのかどちらなのでしょうか?おそらく混在しているのでしょう。企業組織内の人材マネジメントを考えてみても、流動化と固定化の議論が錯綜し、効果的な人的資源の活用が実現されていない場面が見られます。

 さらに、組織や個人の多様化が進むと「分断」というキーワードも注目されるようになっています。私たちの記憶に新しいのは、2016年の米国大統領選挙以降、トランプ大統領が頻繁にこの「分断」という言葉を使っているというニュースです。そもそも米国は、民族や階級の境界が日本よりも明確な社会です。だからこそ境界のない融合が目指されてきました。人々の違い(異なり)を尊重する共生社会をめざすべきだということから、「民族のサラダボウル」という表現が定着しました。米国社会にとって古くからの問題であり、歴代大統領もこのことに配慮してきました。しかし、トランプ大統領はこの問題に対するスタンスを変え、米国分裂の危機を招きました。不思議なことに時期を同じくして欧州各国でも、国民国家分断の動きに代表されるように、これまでとは異なる大きな変化が散見されました。

 翻って日本社会、いや、みなさんの所属する組織ではいかがでしょうか?ダイバーシティや働き方改革など職場の多様性を進めようとすればするほど、個人間に潜在していた「違い」が格差として顕在化し、組織を分断してしまうという状況(意図せざる結果)に陥っていないでしょうか?今回の特集をヒント(格差と階層、固定化と流動化、分断と共生)に、これからの組織と個人の関係について俯瞰的視野から再考していただけたら幸甚です。

岡田 英之

JSHRM 執行役員
Insights編集長 岡田 英之


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