「管理職に就くことになったが経営・マネジメントに関する体系的な知識がない」と嘆くビジネスパーソンが未だ多くいらっしゃいます。日本では多くの大学で昼夜問わずMBA(経営学修士)を習得できるコースがそのニーズを満たす1つと言えますが、習得のためには多くの時間とおカネを割かねばなりません。本シリーズは「そこまで労力は割けない」と考える方々へ向けて、マネジメント全般に関する知識のessential(必要最低限)を分野ごとに取り上げます。
第1回目は「経営戦略」について富士ゼロックス総合教育研究所コンサルティング部長で、首都大学東京大学院ビジネススクールでも教鞭をとる坂本雅明氏に解説いただきます。

坂本 雅明 氏

坂本 雅明(さかもと まさあき)
首都大学東京 大学院ビジネススクール非常勤講師(戦略経営)
株式会社富士ゼロックス総合教育研究所 コンサルティング部長 兼 研究室長

事業戦略策定ガイドブック

1969年生まれ。1992年上智大学卒業、2005年一橋大学修士課程修了(MBA)、2009年東京工業大学博士後期課程修了(博士(技術経営))。一橋大学イノベーション研究センター非常勤共同研究員(2005~2006)。2012年より首都大学東京大学院ビジネススクールの非常勤講師として、戦略経営(戦略の策定と実行管理)を担当。また、2006年より富士ゼロックス総合教育研究所コンサルティング部長兼研究室長として、経営戦略と次世代リーダー育成の研究・コンサルティングに従事。主要著書に『戦略の実行とミドルのマネジメント』(同文舘出版、2015年)、『事業戦略策定ガイドブック』(同文舘出版、2016年)。


◆経営戦略と人事戦略
―戦略策定プロセスから考える人事部門への期待―

 突然ですが、簡単なクイズからはじめます。次の文章を読み、あなたが社長だったらどうするかを考えてください。

A社は捕鯨業者です。A社の社長兼船長には、その日に鯨がいそうな海域を的中させる類まれな能力があり、かつてはかなりの漁獲高を誇っていました。
しかし海外の反捕鯨国の圧力によって、日本では調査捕鯨しか行えなくなってしまいました。A社でも、近隣海域には鯨は沢山いるにもかかわらず、一定量しか捕鯨できなくなりました。反捕鯨の流れは日本にも伝播し、特に若い人は鯨は「食べるもの」ではなく「観賞するもの」と考えるようになってきました。
このように捕鯨に対する風当たりは一層強くなっています。かといってA社には鯨以外の漁業能力はありません。A社は今後どうすればよいでしょうか。

◆1. 戦略検討の2つのアプローチ

 そもそも戦略とは何なのでしょうか。この質問に答えることは非常に難しいです。なぜならば、戦略には定義がないからです。正確に言えば定義がないわけではありません。学者の数だけ定義があるとも言われています。
 こうした様々な角度から語られる戦略ですが、大雑把な定義付けはできます。「到達目標とそこに至るルート」です。到達目標は、利益や市場シェアなどの定量目標だけでなく、「○○分野で世界一になる」など、やや理念的な場合もあります。本稿で詳しく説明したいのは到達ルートの方です。
 あなたが数人の登山隊を率いて、難関の山に挑むとします。頂上へのルートは1つではありません。各ルートの難易度や登山隊のスキルとの相性、あるいは天候状況などを考慮して、どのルートを使うかを決めることでしょう。複数のルートに隊員を分散させればいいという意見もあるかもしれませんが、それだけの資金を集めることはできません。いずれかのルートを選択しなければならないのです。

 戦略も同じです。限られた経営資源を効果的に活用するために、複数の戦略代替案の中から、より少ない労力でより大きなリターンを得られる1つを探し出さなければなりません。
 そうした検討は容易ではありません。様々な角度から検討する必要があるでしょう。ただし突き詰めていけば、以下の2つのアプローチに集約されます。

    <戦略検討の2つのアプローチ>
  • 強みを活かす
  • 機会に乗じる
◆1-1. 強みを活かす

 例えばある企業が画期的な事業を始めたり、ニーズに合った新商品を投入したとします。初めのうちは高い価格を設定できますが、やがて競合企業が模倣し始めます。すると価格競争が始まり、超過利益が消されてしまいます。ところが、長期間にわたって超過利益を維持し続けているケースもあります。

 わかりやすい例を挙げれば1990年代のビデオカメラ業界です。当時はソニーとパナソニックが国内シェアを二分していました。そこにシャープが割って入ってきて、あっという間に25%ものシェアを奪いました。その理由は明白です。液晶画面を搭載したのです。それまでのビデオカメラには液晶画面が付いておらず、ファインダーからのぞかなければなりませんでした。シャープが液晶画面を付けたことで、操作性が格段に向上したのです。もちろんソニーもパナソニックも、シャープのビデオカメラがヒットした要因はわかっていたはずです。しかしなかなか類似商品を投入しませんでした。というよりも、投入できなかったのです。というのは、当時液晶技術が蓄積されていたのはシャープだけだったからです。
 この事例からもわかるように、自社ならではの能力を活かして事業展開ができれば競合企業の模倣を排除することができ、長期にわたって超過利益を得ることができるのです。こうした考えは、リソース・ベースト・ビューもしくは経営資源アプローチといいます。

◆1-2. 機会に乗じる

 ある日突然、行列のできる飲食店が突然オープンすることがあります。パンケーキ、熟成肉、高級ハンバーガー、○○家系ラーメンなど、その時々で業態は様々です。そうした繁盛店に行ったことのある人も少なくないでしょう。その中には、後から考えれば飛び抜けて美味しいわけでもなく、雰囲気が良いわけでもなかったと感じるお店もあります(もちろん、そうでないお店が大半ですが)。しかし当時は確かに行列ができていました。理由は簡単です。ブームに乗ったからです。
 つまり、たとえ独自能力がなかったとしても、外的環境が良ければ超過利益を得ることができるのです。好ましい外的環境を見つけ、そこに自社を位置付けるという考えは、ポジショニング・アプローチという経営理論の中に見出すことができます。

◆2. 検討上の留意点

 2種類のアプローチを統合して事業の方向を検討するフレームがSWOT分析です。自社の強み(Strength)と弱み(Weakness)をふり返り、また外部環境の機会(Opportunity)と脅威(Threat)を分析し、どの方向に進むのかを決めるものです。
ここでようやく冒頭のクイズに戻ります。捕鯨業者の事例をSWOTで整理すると、ホエールウォッチング事業という方向が浮かび上がります。「クジラは鑑賞するものと考えるようになってきた」という機会と、「クジラがいそうな海域を的中させる類まれな能力」という強みがうまくマッチしています。
 恐らくSWOT分析は、企業の中で最も利用されている分析ツールの1つだと思います。頻繁に使っているがゆえに、ありがたみを感じられない人もいることでしょう。しかし、1960年代に原型が作られたこのツールが今でも生き残り続けている意味を考えてみてください。毎年多くのツールが生まれては消えていく中でのことです。4つのボックスを使うかどうかは別として、「強みを活かす」と「機会に乗じる」は、いつの時代でも欠かせないポイントなのです。

◆2-1. 強みを軸にした検討と留意点

 捕鯨業者のクイズのように、機会と強みがうまくマッチする幸運にはなかなかめぐり合えません。実際は、機会と強みのどちらかを軸にして検討を進めることになります。
 強みを軸にした検討は強みの棚卸しから始まります。例えば今や写真フィルムのイメージがしなくなった富士フイルムです。同社ではフィルム事業で培った要素技術を徹底的に棚卸しし、1年半かけて検討した結果、医薬品や化粧品事業などの事業機会にたどり着きました。
 ただしこのアプローチは思わぬ失敗もあります。強みに固執するあまりに外的環境変化から取り残されてしまうことです。デジタルカメラへの転換に乗り遅れたポラロイドは、カメラ本体ではなくフィルムで利益をあげるという成功モデルが経営層での支配的考えとなっていたがために進出が見送られたといいます。環境が大きく変わっていたとしても、それまで成果をもたらしてくれた技術や成功パターンを手放すことはなかなかできないのです。こうした現象はコンピテンシー・トラップ(能力の罠)などとよばれています。

◆2-2. 機会を軸にした検討と留意点

 機会に着目して検討する場合はタイミングがすべてです。手をこまねいていては戦略の窓が閉まってしまいます。
 サイバーエージェントは、このアプローチで飛躍を遂げたといえます。いまでこそインターネット経由のゲームやブログで知られる同社ですが、もともとはインターネット広告の代理店です。インターネットビジネスの成長が加速した頃の2006年に本格参入を決定し、10年間かけて広告代理店事業と同等の規模まで拡大させました。
 このアプローチで困難なことは、短期間で高レベルの能力を獲得しなければならないことです。成長市場であるがゆえに、逐次的な能力開発ではいつまでたっても存在感を出せません。サイバージェントの話に戻すと、広告代理店だった同社の社員のほとんどは営業職で、インターネットビジネスのノウハウもなければカルチャーも全く違いました。初めのうちは社内が大混乱し、ほとんど前進できなかったといいます。そこで経営幹部を総入れ替えし、技術者を大量採用し、そして社長自らが進退をかけて陣頭指揮を執ったのです。
 優良な市場機会には多くの企業が群がります。こうした思い切った投資やリソースシフトを決断できなければ、これら競合他社とのタイムベース競争に勝つことはできません。

◆3. 戦略策定プロセスから考える人事部門への期待

 ここまでお読みいただいてお分かりになると思いますが、人事部門が活躍しなければならないのは、「機会に乗じる」アプローチで戦略を検討した場合です。短期間で大幅な能力獲得をしなければならないからです。
 能力獲得にはいくつかの方法があります。すぐに思いつくのは教育や採用でしょう。しかし人が育つには時間がかかるので、特に重要になるのが即戦力の中途採用です。その場合、成長市場に参入しようとする多くの企業との人材争奪戦に勝たなければなりません。
 また、アライアンスやM&Aも能力獲得の手段になります。M&Aは人事部門が主導するわけではないですが、事前の人事デューデリジェンスや事後の風土融合、優秀人材のリテンションなど、人事部門にも多くのことが期待されます。

 経営戦略が確定してから能力獲得策検討に着手するのではあまりにも遅すぎます。戦略検討と同期してなされなければなりません。とはいうものの、戦略策定部門と人事部門とが分断されているに近い状態の企業も少なくありません。日本人材マネジメント協会には、こうした問題の解消にも尽力いただけるものと期待しています。

【参考】 『事業戦略策定ガイドブック―理論と事例で学ぶ戦略策定の技術』

首都大学東京大学院ビジネススクールでの講義内容をもとに、戦略策定ステップごとにその検討方法と背景理論を解説した戦略策定の教科書。全ステップを一貫したケーススタディーも付属しており、インプットとアウトプットを繰り返しながら、戦略策定技術を習得ができる。本寄稿は同書の第1章をベースに書かれている。

  • 第1部 事業の方向性
    • 第1章 環境分析と事業アイデアの検討
    • 第2章 事業コンセプトの評価と決定
  • 第2部 市場戦略
    • 第3章 差別化戦略の策定
    • 第4章 状況別の差別化戦略
  • 第3部 競争・協調戦略
    • 第5章 競争戦略の策定
    • 第6章 協調戦略の策定
  • 第4部 利益モデル
    • 第7章 経済性の概念整理
    • 第8章 利益構造の選択
    • 第9章 マネタイズ方法の検討
  • 第5部 ビジネスシステム
    • 第10章 ビジネスシステムの設計




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