本稿では、小説の中に描かれた職場や仕事を紹介し、人事とは何かを探ってみたい。もちろん、小説はフィクションである。しかし、優れた文化的コンテンツの中には、現実の社会を鋭く切り取り、働く人々たちの潜在意識を顕在化させてくれる作品がある。人事担当者として専門知識やスキルを身に付けるだけならば、小説など読まずに、ビジネス書を読めばよいのだろう。ただし、最近のビジネス書の中にも、一見ビジネスとは遠いアートや文化が紹介されることもある。働く人たちの感覚や感情に近づくための教養力が求められているとは言えまいか。小説を読みながら人事について考える時間もきっと必要だと思うのである。

法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏

【執筆者】法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏
大阪大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)
専門領域は労働経済学、教育経済学、人事組織経済学
近刊は『大学生の内定獲得: 就活支援・家族・きょうだい・地元をめぐって』(法政大学出版局)


◆大ヒット作に隠された現代性

 今回紹介するのは、大ヒット作の『下町ロケット』である。作者の池井戸潤氏は本作で直木賞を受賞した。その後、テレビドラマ化されているので、この小説を知っている人は多いかもしれない。

 この小説の設定は、傲慢で官僚的な大企業と、エネルギッシュで人情味溢れる中小企業という典型的な対立構造である。負担を押し付けられる可哀想な中小企業も、しかしその一方で経済の元気の源は中小企業であるという二面性が物語を生み出してきたと言えよう。つまり、中小企業は判官びいきの対象だったのではないか。大企業の上から目線の嫌な奴が登場すると、思わず怒りが湧き上がってくるし、この小説の主人公、佃航平社長の率いる佃製作所が、その技術力で大企業の鼻を明かす場面にページをめくる指先に力が入ってしまう。

 佃社長は、かつて最新ロケット開発の研究者であったが、ある時の打ち上げ失敗がきかっけで研究者を辞めて父親の精密機械製造会社を継いだ。彼は、中小企業ながら技術力では負けない会社に育てようとしている。

 ところで、この小説を読んでいない人は、佃製作所を中小企業時代のホンダのような企業ではないかと想像してしまうかもしれない。実際、佃製作所を語る際にホンダという社名も登場する。しかし佃社長は、本田宗一郎とは違う。佃社長は、研究開発にかける熱い思いはあるが、同時にその思いが社員に通じるのかについて悩んでいる。この点が、この小説の現代性なのである。

 小説の中でも最新の特許をベースに大手の帝国重工への部品供給に夢を描く佃社長に対して、多くの若手社員がついていかない。部下の一人は、今どきの若手を代表する次のようなセリフを言う。つまり、夢や信念は、今の会社ではなかなか伝わらないのである。

「社長自身の夢はわかるけど、オレたちのことは考えてくれたのかなって、でっかいクエスチョンマークが胸に浮かんだんですよね。」

 その一方で、社長の夢を支持する若手社員もいて社員同士の議論が生まれる。つまり、夢に向かって簡単には一丸にはなれないけど、本当は自信が持てる「何か」を求めているような話し合いが続くのである。この意見のバラバラ感が今の会社のリアルを表現しているのである。佃社長自身も、夢を語りつつも不安になり、「俺にだって人生はあるんだぜ」と悩む。社長とは立場は異なるであろうが、管理の仕事を担う者たちは、このような悩みに共感できるのではないか。

◆「弱さの開示」の強さ

 こんなバラバラな社内を一つにしたのは、皮肉なことに帝国重工による部品採用の可否を審査であった。彼ら評価チームは、佃製作所を審査で落とすこと前提に評価し、とことん中小企業を馬鹿にした。このやり方が、社長の方針である部品供給に反対していた社員たちのプライドに火をつけた。反対していた部下も、次のように発言し、部品採用を目指すのである。

「お前らは所詮中小企業だ、いい加減だ、甘ちゃんだって。だけど、そうじゃないだろ?」

 ここで生まれた一体感は、この小説で最も盛り上がる場面であろう。つまり、社員の仕事へのプライドに火が付いたわけであるが、それまでの佃社長の管理職としての行動もこの一体感につながっているのではないか。たしかに部下たちは、社長の夢は非現実的であると批判していたし、彼が悩んで狼狽える、かっこ悪い姿も見てきた。佃社長は、部下に弱さを見せてしまう正直な社長である。

 しかし、だからこそ、最後の最後で社員の支持を得られたのではないかと思える。つまり、不器用で時に自信がない社長や彼の夢を自分が批判するのは許せるが、他社のお前が批判するのは許せんぞ、という感情が社員の裏側にはあったのだ。この「裏側の感情」が一体感に火をつけた。

 この小説を読むと、現在の会社におけるマネージャーが如何に難しい仕事であるかがわかる。マネージャーには夢を語ることも必要なのだが、ただ立派で強くあればよいわけではない。弱さを見せる方が、それを隠すよりも、さらに弱さがないよりも良いことがだってある。

 「弱さの開示」の強さが、現代のマネージャーには求められているのである。


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