人事は日々の仕事の中で、人と組織に関わる様々な課題に直面している。自身の知識・経験だけで解決が難しい課題に対しては、コンサルタントや社労士といった外部の専門家の助言を受ける、人事労務系の雑誌やセミナーで知識を得るなどして解決策を探る。一方、人と組織に関する調査結果や論文を参考にする人事は少ないが、実務で直面する課題の多くがすでに研究されているのである。実にもったいないことである。本シリーズでは、人事が直面する課題に対して、最新の研究成果を踏まえた対応策と、人事が果たすべき役割について研究者の先生方に語ってもらう。
第2回は「副業・複業」について経営学の視点から早稲田大の山田先生、労働経済学の視点から東洋大の川上先生、「ウェルビーイング経営」について武蔵大の森永先生にお話しを伺う。

聞き手・文:TM(Insights編集部員)

早稲田大学大学院 経営管理研究科(ビジネススクール)教授 山田 英夫先生

ゲスト:早稲田大学大学院 経営管理研究科(ビジネススクール)教授 山田 英夫先生
慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了(MBA)。早稲田大学より博士号を取得。三菱総合研究所にて、大企業の新事業開発のコンサルティングに従事した後、1989年より早稲田大学で教鞭をとり、現在に至る。専門は競争戦略、ビジネスモデル。アステラス製薬、NEC、ふくおかフィナンシシャルグループ、サントリーホールディングスの社外監査役を歴任。経営戦略、ビジネスモデルに関する著書多数


TM(編集部会):本日は『マルチプル・ワーカー「複業」の時代:働き方の新たな選択肢』の著者である、早稲田大学ビジネススクールの山田英夫先生にお越しいただきました。山田先生、それでは最初に自己紹介をお願いできますでしょうか。

◆新しい時代の生き方-マルチプル・ワーカー

山田英夫(早稲田大学ビジネススクール教授):まず経歴や研究分野からお話しします。私は、最初はごく普通の企業に就職し、そこでの経験から、専門職として生きていく決断をしました。それで会社を辞めて自費でビジネススクールに通い、その後三菱総合研究所に転職して、主に大企業の新規事業開発のお手伝いをさせていただきました。35歳の時にたまたま早稲田大学から、ビジネススクール部門を強化したいというお話があり、ご縁があって大学に転職しました。

TM:早稲田大学では具体的にどのような研究をされておられたのでしょうか?

山田:分野は経営戦略で、細かく言えば競争戦略やビジネスモデルになります。転職して前半は、私は大学への後発参入者ですから、他の人と同じことをやっても競争に勝てないので、デファクト・スタンダードという文科系と理科系の狭間のようなテーマで、当時は研究する人がほとんどいないテーマを研究して博士号をとりました。最近は、デファクトからビジネスモデルの研究に徐々にシフトしております。

TM:最初の会社で専門職として生きていこうと決断されたのはなぜでしょうか?

山田:自分のキャリアを他の人に決められてそのまま歩んでいくことが、何となく解せなかったのです。当時は辞令が発表される時期になると、みなさん辞令の張り紙が出た瞬間それにくぎづけになり、泣いたり騒いだり喜んだりしていました。それを見て、自分の運命が会社の白い紙1枚で決まっていくのはどうも肌に合わないなと。自分のキャリアぐらい自分で決めたいという気持ちがありました。

TM:たしかに辞令1枚で飛ばされてしまいます。

山田:はい。それに会社の仕事だけだと、ポキっと折れるともうダメなんですね。担当していた事業がなくなれば、「はい、おしまい」とリストラされてしまう可能性もあります。人間、打たれ強く生きていかなければならないという思いがあり、以前からこのマルチプル・ワーカー的な2つぐらいの専門性を持つことには関心がありました。2つの専門があれば、1本折れてももう1本で戦えます。例えば、大リーグの大谷選手がケガをして投手はできなくても打者で活躍できるのは両刀使いだからで、彼が投手だけならきっと放出されていますよね。

TM:おっしゃるとおりだと思います。

山田:それで、三菱総合研究所のころは「複属」という研究もしていました。今の「複業」とほぼ同じ意味なのですが、大企業に「社員に副業をすることを許していますか」という調査をした結果9割以上がNOでした。

TM:先生がそのような質問項目を設けたのですか?

山田:はい。当時は副業という言葉が調査項目にのること自体ありえないことでした。まだ高度経済成長時代で終身雇用、年功序列も機能しており、会社で一生懸命働けば最後はいい思いができる時代でした。

◆副業・複業ブームの背景にあるものは何か

TM:最近の副業・複業ブームについて、山田先生はどのように分析されておられますか?

山田:働き方改革で副業が推進されている背景には、まず労働力不足があると思います。人口ピラミッドを見ても、今後労働人口が減少していくのは間違いなく、すでに団塊の世代がリタイアしたため、労働力は減ってきています。それで政府は女性や高齢者が働きやすい施策をとり、それでも足りずに、この4月から外国人労働力を受け入れました。でもまだ足りない。そこで4番目の労働力として副業が注目されたのではないかと思います。サラリーマンは土日や夜は空いていますから、この人たちが働けば足りない労働力を少しカバーできます。労働力不足というマクロの環境が、副業推進を後押ししていることは間違いないと思います。

TM:労働者も今はかなり副業に興味を持っています。なぜだと思われますか?

山田:まず、労働者の収入が伸び悩んでいることが理由です。政府主導で賃上げを主導してはいますが、実質賃金はほとんど増えていません。一方で、社会保障費、教育費、住居費などはジリジリ上がってきました。しかも残業が規制されたため、これまで残業で補えた分もカットされてしまいました。その減った分をどうにか補いたいというのが、働く人たちの切実な動機だと思います。

TM:収入面以外に、労働者が副業に興味を持つ理由は何がありますでしょうか?

山田:今の特に大企業の50~60代に、ロールモデルになる人がいなくなってきたことがあります。昔はその年齢になれば、ほとんどが部長か役員、あるいは子会社の社長になれるという、若い人が憧れるようなロールモデルがありました。ところが最近は50代半ばで選択定年制、役職定年制が始まる会社もあります。昨日まで会社に一生懸命尽くしてきた人が、役員になれなかったというだけの理由で、ある日から権限も責任ある仕事も失い、収入もダウンする。一方で年金制度もバラ色とは言えません。若い人たちが自分のキャリアに対して、いろいろ考えざるをえなくなってきたのではないでしょうか。

TM:子会社出向も今はなかなか難しいですからね。

山田:2018年の東大生と京大生の就職希望ランキングをご覧になりましたか?昔なら経済産業省、外務省などが並んでいたところに、マッキンゼーなど外資系ばかり並んでいます。この中に、定年までに勤められる会社はほとんどありません。これはすでに学部生のレベルで、一つのキャリアでは最後までいけないことを自覚しているということだと思います。東大、京大などは就職において選択肢を持てる層ですから、その傾向が顕著に出たのでしょう。

TM:ほとんどコンサルティング会社ばかりでした。学生の意識も変わってきているのですね。

山田:それと、今日お話しする副業の話で断っておきたいのは、副業にはホワイトカラーの起業のような副業と、コンビニのアルバイトのような泥臭い副業がありますが、実は後者の副業はデータに出てこないのです。なぜなら「あなたは副業をしていますか?」という問いにYESと答えたことが、万一会社に知られたら懲戒免職になる可能性があるからです。そういう方に取材もしましたが、あまり話していただけませんでした。ですので、現実には水面下でやっている副業のほうがボリュームとして多いかもしれません。副業を目指す大多数の方は、この本で輝いているような話でないだろうという現実にも、触れておきたいと思います。

◆副業を解禁する大企業、中小企業それぞれのメリット

TM:副業を認める企業も徐々には増えつつありますが、どのようなメリットを期待しているのでしょうか?

山田:大企業と中小企業では理由が違うようです。大企業の場合は新しいことにチャレンジしたり、新規事業を立ち上げたりする一種の予行演習だと思います。OFF-JTでOJTをしてもらうような狙いだと言えます。

TM:副業が新規事業の予行演習になるわけですね。

山田:組織が大きくなると全社的な立場で「人、物、金」をマネジメントできるのは事業部長くらいからです。しかし50代半ばになり、これまで経理だけ、営業だけを経験してき人に、いきなりマネジメントを任せるのは難しいのです。もし自分で小さい事業でも立ち上げれば、ロジスティクス、ファイナンス、人事管理まですべてを経験します。また、弁護士、会計士、警察など、困ったときに相談できる専門家のネットワークを作る経験もできます。

TM:大手企業の方でもそのような専門家のネットワークを作る必要はあるのですか?

山田:大手企業の子会社の経営をまかされた場合でも、いつまでも親会社のスタッフ(法務、人事など)に頼ることはできません。ある会社などは、本社スタッフがサービスを提供すると、そのたびにフィーをとるそうです。そこは自分で構築していかなければならないのです。例えば、海外の為替取引で訴訟された場合に対応できる弁護士は限られます。ネット検索しても本当に欲しい情報が手に入るとは限りません。事業にはノウフー(know who)が大事なのです。そういった経営の勘所をつかませる目的があると思います。

TM:そのほか企業にとってのメリットは何があるでしょうか?

山田:人材のリクルーティングです。ある会社では外資系IT企業の高給エンジニアを引き抜こうとした時に、副業OKという条件でその企業の給与レベルで採用できたそうです。蓼科に住んでいる優秀な人材を、週1回出社という条件で採用できた企業の例もあります。今、例えばビッグデータのアナリストは相当な年収を払わないと来てくれないですよね?特に地方の企業は採用が難しい。そこで週1日でもいいから副業で来てもらうという方法があると思います。副業解禁は、キャッシュアウトのないリクルーティング政策になる可能性があると注目しています。

TM:自社で採用できないような優秀な人材も、副業なら採用できるわけですね。

山田:キャッシュアウトのないリテンションも可能だと思います。自分がやりたいことがあって辞める人は常に一定数います。その方が優秀ならば、リクルートのように会社を辞めても、リクルートの仕事をしてもらう。もしくは勤めながら1日だけ違う仕事を副業でできるようにすることで、リテンション策になると思います。

TM:本来なら辞めるはずだった人と、そういうかたちでつながりを持てるのですね。

山田:中小企業はまた状況が違いまして、これ以上給料を上げられないという切実な問題があります。強いて言えば、中小企業の持っている資源は時間です。副業の時間を提供して収入の糧を増やしてあげるのが、社長が決定できることの一つだと思います。また、中小企業では自社では抱えにくいデザイナーなどに関しては、大手企業のデザイナーに副業で自社商品のデザインをしてもらうなど、今までは中小企業では採れなかったような人材に、副業というかたちで戦力になってもらえるチャンスは増えると思います。

◆副業を認めた場合の課題は何か?

TM:いろいろなメリットもありますが、依然として副業を禁止する企業が多いのはなぜだと思われますか?

山田:まず本業に専念してほしいということ、2番目が秘密の漏洩が心配であること、3番目が社員の健康、4番目が制度面だと思います。私は本業専念と秘密漏洩については、副業とは関係なく個人の倫理観や企業のコンプライアンスの問題だと思っています。ただ3番目の健康に関しては、残念ながら問題が起きる可能性はあります。なぜなら本業の就業時間外に働きますから。身体の弱い人に、副業はお薦めしません。

TM:本業専念、情報漏洩、健康面、それから制度面ですね。

山田:特に4番目の制度面ですね。労基法、労災、残業の規定などのすべてが、日本の場合は一つの会社に勤めるという前提で作られているので、2つの会社で勤めるとなると、いろいろな不都合が生じてくると思います。一般に法律は実態より先に決まることはまずなく、問題が起きてから作られますから、制度については正直これからの課題だと思います。ちなみに副業OKの会社であっても、“他社に雇用される形は除く”という条件の会社は多いです。

TM:労働時間を通算する必要がありますからね。ほかに何かありますでしょうか?

山田:古い組織の場合は、社内のネガティブな反応が圧倒的だと思います。妬みやっかみもあるでしょうし、トップの無理解も一つの課題となるでしょう。本で取り上げた会社もほとんどオーナー企業で、ボトムアップで副業解禁になった会社は少ないです。新生銀行もトップ層の一声がきっかけだと聞いています。しかし、残念ながら多くの企業で現在社長についている方は副業経験がなく、副業の効用をなかなか理解できないかも知れません。

TM:そうですね。トップは副業のメリットがなかなか見えづらいというのがあると思います。

山田:あとは日本の文化が変わるかどうかですね。2足の草鞋をはくことを良しと認めるかどうか。日本の場合、1社だけに誠心誠意尽くすべしという価値観があり、その評価基準が成果よりも先にきてしまう。結局、成果主義じゃないんですね。そのため、「早帰りして6時からバイトしてるらしい」というだけで、評価する側は色眼鏡で見てしまいます。

TM:心情的にありそうです。なかなか難しい課題がありますね。

山田:ただ現在では、パナソニックにも女性の執行役員にジャズピアニストの方がいらっしゃいます。パナソニックという会社は典型的な日本の会社と思われていますが、彼女の例や出戻りで役員になる方も出てきました。もしかしたら、最も古いタイプの会社が最も早く変われる可能性もあるのでは思って見ています。いずれにせよ、ウイークデイは企業の幹部として、土日はピアニストとして才能を発揮されている方が出てくる社会は、素晴らしいと思います。

TM:ちょっと前ですと小椋佳さんがいらっしゃいました。

山田:そうですね。銀行員でそれができたことは、当時の第一勧業銀行がよく許したと思います。彼は会社派遣で米国でMBAもとっています。行員としても、優秀だったのでしょうね。



◆人事担当者へのメッセージ

TM:こちらの『マルチプル・ワーカー「複業」の時:働き方の新たな選択肢』に出てくる副業の4種類の定義がわかりやすいと思いました。簡単にご説明をお願いできますでしょうか?

山田:これは、そもそも副業という言葉に、コンビニの夜のバイトと起業が一緒に語られることに疑問があったため作りました。良い悪いではなく、種類が違うと思ったので分類してみました。収入の軸と、高められる能力という2つの軸で、複業、副業、幅業、伏業の4種類に分けています。

TM:この本は読者の方からどのような反響がありましたでしょうか?

山田:私は35歳ぐらいの読者を想定していたのですが、インパクトはシニアの方にあったようです。「もうちょっと早く知りたかった」「50半ばになって、今はもう外されてしまった」という感想が多く寄せられました。それで後に日本経済新聞に、役職定年などで給料3分の2にするのなら、せめて副業への滑走路を提供すべきではという記事を書きました。要するに、定年になった時から、第2の人生を考えるのではなく、副業を通じて、社員が新たな人生に飛び立てる道を作らせてあげるということです。

TM:副業は滑走路にもなるわけですね。最後に人事担当者へのメッセージをお願いいたします。

山田:4点あります。“成熟社会には選択肢を”というのが第1です。高度成長期には、目標一つに集中する方が楽で、選択肢なんてがたがた言うよりは、1つの型に嵌めていったほうが効率的です。でも今は成熟社会です。フィンランドやスウェーデンなどのように、ある程度のミニマムが保証された上で、選択肢のある生き方に変わっていく必要があると思います。

2番目は性悪説で副業を解禁するなら、やめた方が良いということです。副業を解禁する一方で、ログをとって本業の仕事をしっかりしているかを確認したり、本当に在宅勤務をしているか、家に監視カメラをつけた会社の話も聞きます。それでは副業の本来の良さは期待できません。性悪説で規則を100も作るなら、むしろ解禁しない方が良いと思います。

3番目は大企業で副業を解禁するのなら、できるところからスタートするというスタンスでよいと思います。不都合があればその都度直していけばいい。これは従来の人事部のパラダイムとは逆です。副業のようなものは試行錯誤を繰り返しながら軌道修正していくことができるかが大事です。人事部が問われていると思います。

4番目は解禁するなら早い方が良いということです。日経BPが転職希望者を対象に行った昨年の調査で、「働き方改革のなかで1番魅力があるのは何ですか」という質問に対する回答の1位は「副業可」でした。給料の高さでも仕事内容でもありません。おそらく、副業解禁を自由に働けるバロメーターとして見ているのだと思います。副業解禁は現在は先行している企業だけですから、他社が始めていない時に解禁した方が、パブリシティ効果、リクルート効果が期待できるでしょう。

最後に、人間は本来複数の才能を持っているので、副業解禁が進むことで、隠れた才能が開花し、多様性が認められるような社会になると素晴らしいと思います。

TM:ありがとうございました。以上で、本日のインタビューを終了いたします。



東洋大学 経済学部 経済学科 准教授 川上 淳之先生

ゲスト:東洋大学 経済学部 経済学科 准教授 川上 淳之先生
学習院大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。専門は労働経済学。
著書は『日本経済論』(共著 中央経済社)、『30代の働く地図』(共著 岩波書店)等。


TM(編集部会):本日は東洋大学経済学部の川上淳之先生に副業に関するテーマでインタビューさせていただきます。まずは川上先生、ご経歴やなぜ研究者になられたのかなどの自己紹介をお願いいたします。

◆6つの仕事を掛け持ちした経験から副業研究の道へ

川上 淳之(東洋大学経済学部准教授):僕は、もともと高校時代は演劇部に所属しておりまして、大学では文章を書く勉強をしたいと思っていました。結局、学習院大学の経済学部に入学したため、当初は経済学を勉強する気持ちは特に強くなかったと思います。ただ、大学ゼミに入ってから、データを使って分析をする方法や直接当事者に話を聞きにいく経験などを積むようになり、研究というかたちで自分の仮説を検証することは面白いと考え、大学院に進もうと考えるようになりました。

TM:一般企業への就職を考えずに大学院に進もうと思われたのはなぜでしょうか?

川上:当時は就職氷河期だったこともあり、僕は就職してもしミスマッチだったとしても、おそらく自分は辞める勇気がなくて会社にしがみついてしまうという不安があったのです。それなら、最初から自分で選択できる道に進もうと思いました。ゼミで発表した研究を周りの人が面白いと評価してくださったのも理由です。

TM:就職氷河期だったのですね。その好評だった論文はどのようなテーマだったのでしょうか?

川上:世界の国のデータを使って、乳児死亡率と家族の人数の関係を実証分析しました。世界地図のような正の相関図が描けるのですが、右上に乳児死亡率が高くアンハッピーだけど家族が多い途上国、左下に乳児死亡率は低くハッピーだけど家族は少ない先進国が並びます。一番左下に位置する日本は、これから右側にスライドし、地域や社会などより拡大解釈される家族を構築するとよいのではという内容でした。

TM:なぜそのテーマを選ばれたのでしょうか?

川上:これは、カート・ヴォネガットというSF作家の本に、昔アフリカに存在したビアフラという裕福な国では、一族に優秀な子供が生まれると、その子を例えば医者にするために大家族が全員で支援するという話が紹介されており、家族観や家族のサイズというテーマに関心を持ったことが影響しています。

TM:大学院ではどのような研究をされましたか?

川上:修士課程のときは、最初の開業と2度目の開業のパフォーマンスの差を実証分析しました。その後、学習院大学の宮川努先生から、経済産業研究所で企業の生産性の要因を分析するプロジェクトに誘っていただき、博士課程の間はおもに生産性の分析を続けていました。博士論文は開業をテーマに、起業が多い地域の生産性、競争環境と生産性の関係、既存企業の新規事業参入などについてまとめました

TM:面白そうな研究ですね。副業を研究しようと思われたのは、どのような流れからでしょうか?

川上:当時の僕は経済産業研究所、JILPT(労働政策研究・研修機構)、内閣府の経済社会総合研究所、非常勤講師と6つくらいの仕事をしていました。そうするとそれぞれの仕事に結構つながりがあったり、自分の授業で研究テーマについて話したりすることが増えました。一見、異なる仕事のように見えても補完的な関係があったため、これはほかの仕事でも同じではないかと考えたのが副業の研究を始めたきっかけです。

◆どのような人が副業を持っているのか

TM:『誰が副業を持っているのか』という論文が、副業に関する最初の論文でしょうか?

川上:そうです。最初は異なる仕事がそれぞれ補完的になってパフォーマンスが高まるという観点から研究する予定でしたが、データを見ると収入が足りないから仕方なく副業しているケースが多いとわかりました。本格的に研究する前にもっと副業の多様性を意識する必要があると考え、自分自身が勉強する意味もこめて副業に関するインターネット調査を二次使用させて頂いて分析をしたものがこの論文です。

TM:こちらの共著『30代の働く地図』に川上先生が書かれた第4章「なぜ副業をするのか―自由と制約のあいだで」を拝見すると、日本全体で副業をしている人数は実は減っているのですね。

川上:この本には2012年までのデータを掲載しているのですが、実は2017年に入ってから増えており3.6%から4%に上がりました。兼業農家が減ってパート、アルバイトと正社員の副業が増えています。

TM:副業をする234万人中に正規雇用者が16%しかいないことも驚きました。最近は増えていますか?

川上:あまり変わらないです。副業は非正規社員の方、大学生のパートの掛け持ち、自営業主の多角化、企業の役員が他社で勤務するケースが多く、正社員の比率は少ないです。

TM:この『30代の働く地図』に書かれた内容で、読者に一番伝えたかったメッセージは何でしょうか?

川上:副業を持つ理由はかなり多様であるということです。今は副業の一部の面が切り取られて宣伝されることが多いと思うのですが、ただでさえ生活の大きな部分を閉める仕事にもう一つ仕事を付け加えるからには、さまざまな理由があるのです。例えば、収入を多く得る必要がある、自分の能力を活かしたい、頼まれたのでやっている、単に好きだからというケースもあります。開業や転職の準備としての副業もあれば、大学の先生やお医者さんのように副業を持つのが当たり前の仕事もあります。

TM:年収の高い低いによっても副業をする割合は違いますでしょうか?

川上:本にものせたのですがU字型になっています。年収の低い層が副業を持たれている一方で、年収が高い層でも副業をする人が多いことが重要だと思います。ただ、そこには会社の役員、大学の先生、医者のようにもともと副業を持つことが前提の職業もカウントされていると思います。そして、高い年収の人が副業を持てる環境にあるのか、それとも副業を持つことでパフォーマンスが上がり年収が高いのかに関しては、この図からは言い切れないところが重要です。

TM:相関はあっても因果関係はわからないのですね。副業がうまくいく個人の特性などはありますか?

川上:ヒアリング調査では今のところ2点見つかっています。一つは自分のゼネラルスキル(一般熟練)という社外でも通用するスキルを意識している方。もう一つがネットワークで、副業でどのような人と結びつくかを意識している方は、本業の仕事で困ったときに副業で知り合った方に相談するなど人脈を活かしています。あとは社会保険労務士などの資格をお持ちなら副業に活かせると思います。資格は一般熟練に近いので。

◆副業を持つことでパフォーマンスは上がるか?

TM:政府も副業を推進していますし、副業をテーマにしたメディアの特集も増えていますが、企業側はまだ副業を認めていない会社のほうが多いと思います。なぜだと思われますか?

川上:一つは副業そのものに効果があるかがしっかり検証されておらず周知もされていないことが理由だと思います。あとは働いている人の労働時間を管理できるかということへの不安。競合他社での副業や反社会的な副業をしたらというリスクを想定しておられるケースなどがあるのではないでしょうか?

TM:実際にどのような会社が副業を認めているのでしょうか?

川上:東洋経済新報社のCSR調査のデータを見ると副業を認めているのは大企業が中心です。重要なポイントとしては、副業を認めている企業のほうが年間給与は高く労働時間は短いこと、あとは副業を認めると同時に、労働時間のフレキシビリティと労働時間を短くするような制度を取り入れている傾向があります。また、この調査で見ると、社内ベンチャー制度があるなどイノベーションや新規事業に関心のある企業は副業を認める傾向があります。

TM:大企業が副業を容認し始めたのはどのような理由からでしょうか?

川上:働き方改革が実行されるなかで、モデル就業規則が変わったことが大きいと思います。2017~2018年にかけて副業を認めている上場企業が増えましたが、今後もそういったところを意識している企業は副業を認める方向で進んでいくのではないかと思います。
今のところ副業を認める傾向が高いのは情報通信業、金融や不動産、サービス業です。あと電気、ガスもそれよりやや低めですが認める傾向があります。建設業界は低いですね。

TM:情報通信や金融はスキルを活かしやすい業界なのでしょうか。

川上:プログラミングのスキルなどはまさしく一般熟練なので副業しやすい業界だと思います。

TM:ただ川上先生がおっしゃるとおり、多くの企業は労務管理の煩雑さや情報漏洩のリスクがあるなかで副業を認めるメリットを見出しづらいと思うんですね。例えば、副業を認める会社は従業員のモチベーションが高い、組織コミットメントが高い、業績が高いということなどが明らかになれば、企業も前向きになれると思います。そういったデータはありますでしょうか?

川上:副業を持つことによってパフォーマンスが高くなるかを因果関係まで考慮して分析したのがJapan and the World Economyに掲載している論文です。パフォーマンスについては、本業の仕事が何かによって結果が変わってきます。
まず、運動能力を必要とするような仕事はパフォーマンスが上がっていません。パートタイムの仕事もパフォーマンスは上がりません。接客業、サービス業などコミュニケーションを必要とする仕事ではパフォーマンスが上がっています。それ以上に分析的な仕事、つまり管理職、専門職のような仕事であれば副業を持つことでパフォーマンスが上がるという結果が出ています。副業の持ち方によってはパフォーマンスが上がるということを意識する必要があると思います。

◆社員にとって副業を持つメリット、デメリットは何か?

TM:社員にとって副業することで得られるメリットは、金銭以外に何がありますでしょうか?

川上:副業を持ちたいと思っている人と副業を持っている人を、理由別に集計した比較調査があるのですが、副業を持っている人のほうがより高い幸福度を得ているという結果が出ています。つまり、収入が必要だからという理由であっても、副業を持ちたいと思ったときに持つことができると、経済学でいうところの効用が上がり、幸福度が上がっていると言えると思います。

TM:副業を持つことで社員の幸福度が上がるのですね。

川上:ただし、収入が必要だという理由の場合は副業そのものの満足度はあまり高くありません。副業を持たざるをえないケースでは収入は増えても、やはりワーキングプアであり体力的にも負担がかかります。高齢になって続けられる働き方ではないので、この層については安定した雇用を得られるように政策的に配慮していく必要があると思います。誰に対しても副業を持った方がいいとは必ずしも言えないというのが、僕が研究を通じて伝えたいメッセージの一つです。

TM:ほかに社員にとって副業をするメリットは何がありますでしょうか?

川上:失業のリスクが低くなるため、気持ちに余裕が出てくると思います。ヒアリング調査では、会社に縛られているという気持ちの負担がなくなった、この会社で何とか頑張らなければならないという焦りや不安が軽減されたという話をお聞きしています。

TM:逆に副業が労働者に与えるマイナスの影響は何でしょうか?長時間労働などでしょうか?

川上:長時間労働が一つです。もう一つは副業をすることで余暇のどこかが犠牲になります。休息をとる時間かもしれないし、趣味の時間かもしれませんが、自分が代わりに何を失っているかを意識することも大切です。家族と過ごす時間もそうですね。シングルマザーの副業に関する研究は、子供と一緒に過ごす時間が減ってしまうという問題意識があります。

TM:副業を本業の役に立たせるために必要な要素は何がありますか?

川上:自分の本業の仕事で必要なスキルは何か、副業でどのような経験やネットワークを得ているかを自分自身で把握することが大事だと思います。これは研究結果ではありませんが、おそらくそこで副業を持たれている人の気づきがあって、促進されていく部分が大きいと思います。

TM:逆に副業がうまくいかない人は、どのような要素が考えられますか?

川上:収入だけが目的だとうまくいかない気がします。例えば僕がお小遣い稼ぎにコンビニエンスストアのアルバイトをしても本業の役にもあまり立たず、空いている時間に本業より低い時給で仕事をしているだけなので効率的ではありません。特に30代以上の方は、20~30代でかなり経験を積んできていると思うので、それを活かせる副業を競合他社ではないところですることが大事だと思います。

◆人事担当者へのメッセージ

TM:働き方改革のなかで政府が副業を推進している背景を川上先生はどのように分析されていますか?

川上:働き方改革の実行計画には書かれていないのですが一番目にあるのは労働力不足だと思います。経済学の授業でも話すのですが、労働力の不足する中で経済を成長させるには、労働力を増やすことと、労働生産性を高めるという施策があります。副業の場合は副業そのものが労働力になりますし、労働生産性を高めるための手段として副業が役に立つという考え方もあります。働き方改革の実行計画では後者のみが書かれています。

TM:オープンイノベーションの手段と書かれていますね。

川上:もう一つあるとすれば長時間労働が是正されてサービス残業が減ってきたときに、余った時間が労働力として活用される可能性があるということだと思います。

◆終わりに

TM:最後に人事担当者へメッセージをお願いしたいと思います。今後、人事部は副業に関してどのようなスタンスで向き合うべきだと思われますか?
それから、もう少し大きな視点で人事が果たすべき役割というのをどうお考えかについてお聞かせください。

川上:少なくとも副業に関してはこういう形では認めます、こういう副業は認められませんというメッセージをしっかり周知することが重要だと思います。育児休業制度を導入する際にモデルになる社員を作るようなプロセスを多くの企業が経験されていると思いますが、それを副業にも適用されるとよいと思います。ワークライフバランスの文脈のなかにある、柔軟性を追求していくことが働き方のパフォーマンスや生産性を高めていくという観点に近いものが副業についてもあると思います。

TM:上司のマネジメントスタイルは変わるべきでしょうか?変わらざるをえないですか?

川上:部下から、副業について相談できるような隙や余白みたいなものがあるといいかなと思います。今回の新しいモデル就業規則で認めているようなタイプの副業であれば、それをしっかり話せる職場環境というのは理想的です。相談されたときには「それは我が社のどんな役にたつのかね?」というスタンスよりは「自分のキャリアに一つのいい経験になりそう?」という感じで、本人のキャリアアップという観点からアドバイスできるといいかもしれません。

TM:そういうことを含めてきちんと話ができる上司と部下の関係だといいですね。副業をすることで従業員の方の満足度につながり幸福度も上がるわけですから。

川上:働いている人自身が副業はスキル形成につながると感じているのであれば、それはきっと会社にとってもプラスになると思います。ただ、一番大切なのは健康なので、身体の負担も考えていく必要があると思います。

TM:そこはありますね。本日はどうもありがとうございました。以上で終了いたします。

武蔵大学 経済学部 経営学科 教授 森永 雄太先生

ゲスト:武蔵大学 経済学部 経営学科 教授 森永 雄太先生
神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。専門は組織行動論、経営管理論。
著書は『日本のキャリア研究―専門技能とキャリア』(白桃書房)、『職場のポジティブメンタルヘルス―現場で活かせる最新理論』(誠信書房)、『産業と組織の心理学』(サイエンス社)等。


TM(編集部会):本日は武蔵大学経済学部の教授で『ウェルビーイング経営の考え方と進め方-健康経営の新展開』の著者である森永先生にお話をおうかがいします。森永先生、最初に自己紹介もかねまして、これまでのご経歴などをご紹介いただけますでしょうか。

◆『ウェルビーイング経営の考え方と進め方-健康経営の新展開』について

森永 雄太(武蔵大学経済学部教授):現在、私は武蔵大学の経済学部におりますが所属は経営学科であり、経営学や組織行動論の研究をしています。もともと、神戸大学の大学院時代にモチベーションの研究をしておりまして、その後は従業員のモチベーションに関わる人事施策にも関心を持つようになっています。

TM:組織行動論というテーマにご興味を持たれたのは、どのような理由からでしょうか?

森永:話は高校時代にまでさかのぼりますが、部活で野球部のキャプテンをしていまして、高校生なりに部員たちのやる気をどうしたら高められるかを悩んだり考えたりしていたんですね。その後、大学に進学しリーダーシップやモチベーションという研究領域があると知り、興味を持ったため大学院に進みました。

TM:大学院では具体的にどのようなテーマを研究されていらっしゃったのでしょうか。

森永:経営学の研究では、それまで組織が従業員のやる気をどう引き出すかという考え方が主流だったのですが、ちょうど心理学や一部の先進的な経営学の研究では、従業員自身がどうやる気を高めるのかという自己調整の視点からの研究の知見が蓄積されつつある時期でした。それで、モチベーションや自己調整の研究を始め、若手従業員や大学のMBAに来ている方たちに個人のやる気の高め方をヒアリングしていきました。この中で「自分の仕事を面白く変えていく」という調整法に言及されたMBAの方に出会いました。従業員が仕事環境そのものを変えてやる気を自己調整していくという点が非常に面白いと思いました。

TM:いわゆるジョブ・クラフティングという考え方ですね。

森永:当時の私は文献を読んでいて、ジョブ・クラフティングという考え方も一応知ってはいましたが、それほど強く興味をもっていたわけではありませんでした。このインタビューの中で論文の中で述べられていることが実際のフィールドではもうすでに効果的に行われていることに気づき、興味が増しました。そこから、ジョブ・クラフティングに絞って研究するようになっていきました。

TM:ウェルビーイング経営に関するご著書を出されるまでの経緯を教えていただけますか。

森永:大学院修了後もしばらくは、ジョブ・クラフティングを起点にジョブ・クラフティングが高めると考えられている内的モチベーションやワーク・エンゲージメントを研究領域としていました。ある時から、このような考え方がメンタルヘルス領域でも注目されているということで、産業保健領域の研究者やそういった事業を行う企業の方とお会いする機会が増えていきました。健康経営に取り組む方には医療領域の方が多く、経営学からのアプローチが足りていないという声もあり、近いテーマを研究している私に、いろいろな声がかかることが増えてきたのです。その後、企業と連携して実証的な研究会を実施しようということになり、その研究会での取り組みの成果を中心にまとめたのが今回の書籍となります。

TM:こちらの本について、周囲の方からはどのようなフィードバックがありましたでしょうか。

森永:健康経営やウェルビーイングは言葉だけ聞いたことがあったが、実際に取り組んでいる企業の事例を知ってよくわかったとか、健康経営が自分にも関係のある取り組みだと理解したという感想が多いように感じます。

◆ジョブ・クラフティングでミドル、シニアの経験を活かす

TM:話がもどりますが、ジョブ・クラフティングを実践できる方の特徴などはありますでしょうか?

森永:一つキーワードとなるのは工夫をする種(たね)を持っているかどうかということですね。例えば、その職場で他の人が持っていないような知識、スキルがあると活用しやすいと思います。その前段階として、この仕事で学んでいけるものがありそうだと考えるマインド・セットも必要ですね。

TM:スキル、経験、そしてマインド・セットが大事なのですね。

森永:新しい方法を取り入れると一時的に効率が落ちてしまうことがあります。その際に、プロセスに学びがあれば面白いと思えるようなマインド・セットの方に、クラフティングを実践しているケースが多いと感じます。

TM:そうすると若い方より、ある程度経験を積んだミドル、シニアの方のほうが実践しやすいでしょうか。

森永:そう思います。若い人の中にも素朴な疑問をもとに工夫を盛り込んだり、仕事を拡張したりすることに成功する人はいます。しかし、多くの場合は職場ですでに検討されていたことが多かったりして、新たな仕事の獲得に結びついたり、自分の得意分野を活用することにはつながらないことが多いようです。そういう意味では、ある程度の経験や深い専門知識を持っている方のほうがやりやすいと思います。

TM:ミドル・シニアの方にジョブ・クラフティングをしてもらうには、どのような施策が有効でしょうか。

森永:時間軸を長くもってもらうことも有効だと思っています。ミドルあるいはシニアになっていくと、この先の会社人生は短くなりますが、退職した後も人生は続いていきます。退職後の人生を踏まえた展望を広げることと、現在の職場を豊かにしていく方策を同時に考えるような研修も有効だと思います。そのためにも、昇給や昇進を動機に仕事をしていた方もキャリアのフェーズが変わった段階で、今なぜ働いているのかをもう一度考えてみるといった機会をもつことも、もしかしたら必要かもしれません。

TM:ほかにジョブ・クラフティングを導入する際に組織や管理者が気をつけるべきポイントはありますか?

森永:ジョブ・クラフティングというのは個人が主体的に働く、つまり、工夫したり働く領域を変えたりする行動ですので、こういった行動を許容していくことが前提として必要です。さらに、場合によっては職場で取り組んでほしいことと違うことをするケースも出てきます。その際に、だから自発的な行動というのは困るとすぐに考えるのではなくて、フィードバックを通じて「方向性をそろえていく」というプロセスを大事にすることだと思います。具体的な行動は違くても目的を押さえていればOK、と考えるということですね。

TM:一時的に方向性がずれることはありそうな気がします。

森永:そうですね。フィードバックをする側が「それは違う」と言うことに負担を感じたり、受け取る側も言われ慣れていないために、受け入れられないということも出てくる可能性もあります。

TM:どのように対応すればよろしいいでしょうか?

森永:まず、どのような方向性で取り入れるかを明確にしたうえで、自発性は尊重するけれども、場合によっては方向性を修正してもらうこともあるということに合意してもらいながら、クラフティングを取り入れるとよいと思います。研究の世界でも、「上手な自発性の発揮の仕方」に関する知見が少しずつ明らかになってきているところです。

◆JD-Rモデル(仕事の要求度-資源モデル)とは?

TM:健康経営とウェルビーイング経営の違いを簡単に説明していただいてもよろしいですか?

森永:健康経営もウェルビーイング経営も従業員の従業員の健康に対する組織的な働きかけに注目している点は同じです。しかしウェルビーイング経営では、より広い概念である「ウェルビーイング」に働きかけることにこだわっている点がポイントです。ウェルビーイングとは「幸福感や満足感があり、それほど大きな悩みもなく、心理的・精神的に健康で生活の質も高い状態のこと」と説明する概念です。そして、これに関連していくつかの点で特徴があります。
第1に、健康をやる気や組織への一体感といった心理状態に結び付けていくプロセスにも注目している点です。ウェルビーイング経営では、従業員の健康は最終目的ではありません。健康をウェルビーイングへ、そして最終的には生産性や業績向上へと結びつけていくことが目的です。そのため、アメリカ心理学会が提唱している心理的健康職場という枠組みに従いながら幅広い人事施策とのつながりに注目しています。例えば能力開発やキャリア開発など通常では健康経営とは無関係だと思われている施策とも連携して取り組んでいくことが重要だと考えています。
第2に、私たちは「健康」と聞くと「病気でない状態」を目指すものと考えてしまいがちです。しかし本来の健康経営は、「より良い状態」すなわちウェルビーイングを作り出していく経営を実践することです。その意味でウェルビーイング経営では、特に後者の取り組みの重要性を強調しています。これは健康診断でリスクが高いと判断された層だけでなく、現時点で特に問題を感じていない健康層に対してもより良いコンディション作り、生活習慣作りに向けて働きかけを行っていくことを意味します。この観点からは、いかに施策に関心を持ってもらうのか、参加してもらうのか、という点も重要な問題となってきます。
第3に、従業員自身が健康やウェルビーイングを高めていくセルフマネジメントスキルの向上に注目している点です。会社が従業員のウェルビーイングについて気遣ってくれる、と考えると一見優しいマネジメントのように感じるかもしれません。しかし、これらについて自己管理することも同時に期待されているという意味では厳しい側面もあります。このように組織と個人の一歩踏み込んだ関係性の構築まで想定している点にもウェルビーイング経営の特徴といえるでしょう。健康経営とウェルビーイング経営は重複する部分ももちろんあるのですが、「健康」というとその一部だけを捉えてイメージされてしまうので、あえて広い意味のウェルビーイングという言葉を使っています。

TM:本に出てくるJD-Rモデル(仕事の要求度-資源モデル)の話が面白いなと思いました。従業員の健康と生産性の関連性についてよろしければご説明いただけますか?

森永:JD-Rモデルは、従業員のウェルビーイングが高まる要因を「仕事の資源」と呼んでいます。一方ネガティブに働く要因を「仕事の要求度」と呼んでいます。職場の様々な要因の影響関係を非常にわかりやすくまとめた考え方といえます。
仕事の資源には、仕事に裁量の余地がある、職場でサポートがある、あるいは学習の機会があるような仕事をしているなどが含まれます。一方で要求度というのは、仕事の負担が大きいということです。かなり急いでやらないと終わらないほどの仕事量、難しすぎる仕事、クレーム対応などの感情的な負担が大きい仕事だと要求度が高いとみなされます。

TM:いわゆる感情労働ですね。

森永:そうです。仕事の要求度が強すぎると従業員のモチベーションやエンゲージメントを下げるというのがJD-Rモデルの基本的な考え方です。

TM:仕事の資源をある程度確保すれば、そういったストレスを打ち消す効果もあるということでしょうか?

森永:そうです。要求度が高い仕事であっても、資源を増やしていくことで、要求度の悪い影響を減らすことができるということが主張されています。そのため、JD-Rモデルの知見を応用したストレスマネジメントとして、仕事そのものの負担を減らすのは難しい場合にも、職場内でのサポート環境を増やしたり、働き方の柔軟性を高めることで状況を改善しようという方法がとられることも多いですよね。また、最近では働き方改革で残業時間を減らしましょうとか、休みをきっちりとるようにしましょうという選択肢が出てきていますが、これは仕事の要求度そのものを減らすアプローチといえます。

TM:仕事の資源を高めるために人事として何かできることはありますでしょうか。最近、注目されているノーレイティング、1on1ミーティングなどは仕事の資源を高める要因になりそうでしょうか?

森永:フィードバックの考え方などは、非常に近いです。それを実現するために1on1ミーティングも有効だと思います。また、最近は職場で感謝しあうような機会を提供したり、従業員同士が良いことが起きたときに褒めるツールや機会を作るマネジメントについてお聞きすることもありますが、これらも資源を増やす取り組みの一つかと思います。

◆健康経営、ウェルビーイング経営の取り組み方

TM:健康経営も課題が見えてくる時期だと思いますが、先生から見て何かありますでしょうか。

森永:先週、今年度の健康経営銘柄が発表されましたが、実績を見ると作年の1.5倍の企業が参加しています。そういう意味で、かなり浸透してきたと思います。当初の課題はいかに自社で取り組み始めるかというところにあったかと思いますが、これからは、実際に運用されているのか、多くの従業員が参加しているのかというところに問題点は移りつつあると認識しています。また、成果とのつながりをどう捉えていくかというところを多くの企業が模索中だと思います。

TM:たしかに健康経営の成果は、メタボ検診や健康診断の受診率、健康診断の数値などはありますが、経営にかかわる部分の指標がなかなか見えづらいです。

森永:そうですね。健康経営を始めたら一気に従業員が健康になる、あるいはウェルビーイング経営を導入したら急に従業員のやる気が出るというよう短期的な成果はあまりなく、何年も続けていくことでじわじわと結果が出てくるという取り組みですから、そういう意味では、どのような時間軸で成果を見ていくのか、単年度の実績をどのように解釈するかはなかなか正解がありません。そこを、いろいろな企業が試行錯誤しながら探っている段階かと考えています。

TM:健康経営にしても、ウェルビーイング経営にしても、取り組む企業とそうでない企業がはっきり分かれると思います。ただ、最近はかなり注目されています。実際にウェルビーイング経営を始める場合、最初は何から着手すればよろしいでしょうか。

森永:一つはどのようなウェルビーイングを目指すかを決めることだと思います。例えば、病気でなければいい、病気でないことを目指すことが第一というウェルビーイング経営もあります。古典的な意味での健康という考え方ですね。それだけではなくて、健康をさらに従業員のモチベーションにつなげていくことが大事だと位置づける考え方もあると思います。どちらであっても、起点になる目標をまず確立し共有していくことが大切です。
本ではSCSK株式会社、株式会社フジクラの事例を書いていますが、2社とも始めるときにどのようなウェルビーイング、健康経営を目指すのかを明確にしてから取り組まれています。最近の健康経営銘柄のトレンドとは少し違うかもしれませんが、スタンスがしっかりしているところは参考になると思います。

TM:これは、少しおうかがいしづらいのですが、ウェルビーイング経営を導入することで懸念されることは何かありますでしょうか?

森永:ウェルビーイング経営は従業員に求められることが増えていくという考え方もできます。両立できれば一番いいのですが、例えば、忙しいときも運動しなくてはならいなどある意味の大変さは出てきますので、従業員に意義をしっかり理解してもらうことが大切です。

TM:従業員も努力を求められるので、それが合わないケースが出てくる可能性があるのですね。

森永:そうですね。会社が自分を元気にしてくれるという単純な話ではないということは、理解してもらう必要があると思います。

◆人事担当者へのメッセージ

TM:働き方改革のなかで兼業・副業を認めている会社の採用ブランディングが上がる事例が出ています。ウェルビーイング経営もそのような宣伝効果や採用ブランディングの向上が期待できそうだと思っていますが、いかがでしょうか?

森永:これだけ人材の確保が大変だと言われている時代ですし、就職先がブラック企業ではないかということは、私が指導している学生もみな気にしていますから、採用においては必ずプラスだと思います。そういう意味では大企業でももちろん重要だと思いますが、中小企業にとっても必要な取り組みではないかと思います。従業員の健康を維持していくことは重要ですし、この会社はしっかりした取り組みをしているというメッセージ効果も強いと思います。

TM:一方で、すぐ業績に結びつくものではないため、もっと別なところにお金を使いたいという経営者の方もいると思います。説得するためにはどのような点を一番強調していけばよいと思われますか?

森永:マネジメントの考え方ですので、経営者の方がまったく人のウェルビーイングを考えなくてよいというスタンスであれば、なかなか難しいと思います。ただ、モチベーションの重要性や組織に愛着を持っていると辞めないということなどは、かなり理解されてきたと思います。また、そういったことに従業員のコンディションが関係していることも広く認識されてきたと思います。その関係性をご自身の言葉で語れるかどうかが大事ではないでしょうか。

TM:読者である人事担当者にメッセージをお願いできればと思います。

森永:従業員の健康の問題というのは、医療関係の専門職の方が担当であることが多く、人材開発領域の方からすると、あまり関係ないと感じられることも多かったと思います。ただ、両者が連携することでお互いの施策が効果的になるというのがウェルビーイング経営の考え方ですので、ウェルビーイング、JD-Rモデルなどの概念を理解していただき、ウェルビーイング経営を進展させるための共通言語として使っていただければと思います。

TM:ウェルビーイング経営が浸透して従業員のモチベーションが上がったり、離職率が下がったりしていくことは人事としても期待したいところですので、ぜひ研究を進めていただきたいと思います

森永:そういう意味では、これから研究結果を蓄積していかなければならない領域であることはたしかなので、いろいろな方からご意見をいただければと期待しています。

TM:ありがとうございました。以上で本日のインタビューを終了させていただきます。