本稿では、小説の中に描かれた職場や仕事を紹介し、人事とは何かを探ってみたい。もちろん、小説はフィクションである。しかし、優れた文化的コンテンツの中には、現実の社会を鋭く切り取り、働く人々たちの潜在意識を顕在化させてくれる作品がある。人事担当者として専門知識やスキルを身に付けるだけならば、小説など読まずに、ビジネス書を読めばよいのだろう。ただし、最近のビジネス書の中にも、一見ビジネスとは遠いアートや文化が紹介されることもある。働く人たちの感覚や感情に近づくための教養力が求められているとは言えまいか。小説を読みながら人事について考える時間もきっと必要だと思うのである。

法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏

執筆者:法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏
大阪大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)
専門領域は労働経済学、教育経済学、人事組織経済学
近刊は『大学生の内定獲得: 就活支援・家族・きょうだい・地元をめぐって』(法政大学出版局)


◆ハケンアニメとは?

 今回取り上げる小説は、『ハケンアニメ!』である。多くの人は、この書名から若者にも人気のアニメ業界の話だと推測するであろう。

 正解である。この小説の舞台はアニメ業界で、アニメの制作者たちが主人公である。ここまではわかる。では、「ハケン」とは何か。「派遣」という言葉が浮かぶかもしれない。アニメ業界は、非正規労働者が多い業界である。苦労している派遣労働者が描かれているのではないかとも想像してしまう。

 ところが、これは不正解、正解は「覇権」である。現在、深夜枠のアニメは過当競争なのだが、同じ時期にアニメファンからの最も熱い支持があり、DVDや関連グッズなどの売り上げも大きかった作品を「覇権アニメ」として評価する。つまり、アニメ制作者たちは、このNo.1を目指して作品作りをしている。

 この小説は、同じ物語世界であるが、主人公と脇役が次々に入れ替わる代わる連作である。それゆえ登場人物は多い。第1章の「王子と猛獣使い」は、9年ぶりに新作を手掛ける天才監督と、彼に振り回されつつも、作品のために支援を続ける女性プロデューサーが主人公である。続く第2章の「女王様と風見鶏」は、天才監督に挑む若手女性監督と、彼女とコンビを組むやり手プロデューサーが主人公である。第3章は、地方都市にある下請け企業のアニメーターの女性と、アニメでまちおこしをしようとする公務員が主人公である。その後、最終章が続く。

◆芸術家と職人がいる職場

 この小説を読むと、楽しいアニメの裏側には、制作現場の過酷な仕事、そしてそれを乗り越えて良い作品を作ろうとする製作者たちの大きな熱量があることがわかる。彼ら彼女らに焦点を当てることで、この小説は第一級の仕事小説となった。

 大手メーカー、大銀行、大手スーパーなどの巨大組織が舞台となった仕事小説では、組織意思決定の息苦しさ、その中での個人の葛藤がテーマになることが多い。しかし、アニメ業界の組織は、従来型の日本の会社組織とは異なるようだ。

 もちろん、アニメの制作にかかわる会社も組織ではあるのだが、そこには監督や脚本家に代表される「芸術家」や作画を担当するアニメーターや声優などの「職人」たちが存在する。普通の大企業では、芸術家と職人がいるゴロゴロいる職場は少ない。仮にそのような人がいても日本の会社は、そのような個性をつぶしてしまうのではないか。多くの会社では、凸凹した人材を均質化することが円滑な組織運営になっている。

 そこに日本企業の停滞の理由があるとは言いすぎであろうか。組織競争力が創造性(creativity)に依存するようになれば、同質性よりも異質性の方が強いと考える方が当然ではないか。問題は、その異質性がもたらす組織内摩擦である。

◆異質性を排除しない「仕事コミュニケーション」の強さ

 芸術家は、気まぐれな自由を楽しみ、組織内の規律を破壊しているように見える。実際、天才監督は失踪し、組織に散々迷惑をかけた後に、ようやく脚本と絵コンテを完成させた。しかし、これを全部否定し、締め切りのみを求めれば、作品の質は低下する。どんなに気ままに見えようとも、そして本人が気ままな天才と見られたいと思っていても、芸術家は「まだ存在しないゼロのものを、たとえそれが頭の中にあるにしろ一から立ち上げて形にしなきゃならないプレッシャー」と戦っている。

 声優やアニメーターたちの仕事も過酷である。でも「賃金が安く、勤務環境も劣悪と呼ばれるこの業界で最後に残るのは仕事にかけるプライド」なのだ。そして、この最後のプライドが作品の品質を上げてくれる。

 「組織優先の組織」は、目的と手段が逆転する。組織運営が円滑であることが第一目標となる。要するに、仲良しならば良いのだ。異質な才能やこだわりを排除すれば、それで完成である。最低のアニメができるのだろう。

 この小説のプロデューサーたちは、どんな苦労しようと、会社としての収益と板挟みになろうと、芸術家や職人を否定しない。むしろ、その才能とスキルを尊敬していると言ってもよい。この小説は、異質性を排除しない「仕事コミュニケーション」の摩擦と快楽を描いていると言えよう。

 「仕事コミュニケーション」の特質は、たとえ相性が悪い相手でも関係ない点である。苦手なタイプやり手プロデューサーが、うまい興行の方法を思いついた時、アニメーターは「この人を、喜ばせるのは癪だ」と思う一方で、安心するし、うれしく思う。なぜならば、人間的には合わず、収益を目指すプロデューサーも、同時に作品を愛しているし、そして彼の仕事は信頼できるからである。

 私にとって仕事のコミュニケーションのすばらしさを描いた小説の最高のメッセージは、以下のようなアニメーターの心の語りで表現されている。

「職種も、生い立ちも、あるいは容姿や、女子度だとか、そういうものさえも超えて、私たちは同じ仕事で繋がれるのだ。」

 この小説を読みながら、自分の会社の組織内コミュニケーションを見直してはどうであろうか。目先の「仲の良さ」を捨て去った先に、真のコミュニケーションと仕事の快楽があることに気づくであろう。