『家(イエ)』意識から考える日本的経営

 『家(イエ)』という言葉から何を連想するでしょうか。国家、家族、家庭、家紋…サザエさん一家など。国語辞典的意味では、(1)人が住むための建物。家屋(2)夫婦・親子・兄弟など血縁の近いものが生活を共にする小集団(3)祖先から代々続いてきた血族としてのまとまりなど様々な意味があります。私個人的に腹落ちした意味としては、「日本においては家族生活の場であり、伝統的な社会の構成単位である親族集団をいう。」という内容です。家族、伝統、親族という単語から復古的・保守的な価値観がイメージされますが、日本における復古的・保守的価値観とは何でしょうか?Wikipediaによれば、「従来からの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方などを尊重し、革命などの急激な改革に反対する社会的・政治的な立場、傾向、思想などを指す用語」と記載されています。何やら変革や変化を好まない現状肯定的考え方という印象です。

 日本的経営に関しては、1950年代以降今日に至るまで内外多くの研究者や実務家によって諸説語られ、理論的・実証的に検証されてきました。日本的経営の特徴とは、三種の神器(終身雇用、年功序列賃金、企業別労働組合)論(Abegglen(1958))、集団主義をベースにした経営家族主義・経営福祉主義論(間、1964:1979)、生活共同体論(津田(1977))などが代表的です。敢えて共通項を探ってみると、「個人」という概念が明確に存在する欧米の経営に対し、個人という概念が曖昧で、集団全体にフォーカスされた経営スタイルが日本的経営の大きな特徴として捉えられます。勿論こうした特徴は欧米をはじめとした諸外国企業でも散見され、程度の違いが議論されてきました。

 バブル崩壊時期までの議論の中心は、各企業現場で働く従業員が知的熟練を身につけており、柔軟で迅速な異常時への対応が可能である点に競争優位性があるという内容でした。しかし、その後バブル崩壊に伴う日本企業の業績低迷に伴い日本的経営の議論は一気に沈静化していきました。その後、失われた30年の期間、グローバル化が進展し、国際標準に合致した経営システムの構築が急務となりました。しかしながらこれに対しては未だ遅れをとっている(先送りと無策)のが現実です。

 少し強引ではありますが、『家(イエ)』という言葉と日本的経営とを結びつけてみると、国際標準(所謂グローバルスタンダード)に遅れをとった理由の一旦が透けて見えます。復古的・保守的価値観に由来する小集団、変革や変化を志向しない親族集団の多くが、300万社とも400万社とも言われる中小企業に該当します。特に従業員規模30人未満の企業においては、家族生活の場であり、地域に密着し、従来からの伝統・習慣・制度・考え方などを尊重した上で経営を行っています。こうした経営スタイル自体は決して否定すべきものではないのですが、問題なのは、様々な変革圧力に晒された際に、『家(イエ)』という言葉を巧みに利用(企業理念や組織文化に浸透させる等)し、従来からの伝統・習慣・制度・考え方などの変革を拒否してしまうことです。その結果、個人の革新的で未来志向のアイデアや行動が犠牲になる場面も頻発します。こうした場面に直面した個人は、閉塞感や疎外感を感じることとなります。しかし、血縁に近い家族生活集団においては、集団や共同体の存続という大義名分に従わざるを得ません。集団でサバイブ(生き残る)ためには、社会心理学で言われている「集団的無知」という状況を知りながら甘受するしかありません。

 21世紀に入って以降、組織と個人との関係は変化し、個人の自律と尊厳も重視されています。企業のみならず学校や家庭といった組織でも多様性や柔軟性が求められています。『家(イエ)』という言葉が意味する内容でどこまで個人の自律と尊厳が担保されるのか?『家(イエ)』という言葉が意味する内容で組織と個人の関係をどこまで規定できるのか?『家(イエ)』という言葉が意味する内容で中小企業の経営はどこまで刷新されるのか?日本人の深層心理に染みついている『家(イエ)』的考え方について、令和元年のこのタイミングで会社や家族、地域、コミュニティでみなさん一緒に議論してはいかがですか。そこから新しい『家(イエ)』の輪郭が見えてくるでしょう。輪郭が見えてきた時が未来の輝かしい日本的経営について、議論を再開するよきタイミングかもしれません。

岡田 英之

JSHRM 執行役員
Insights編集長 岡田 英之


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