企業の経営者・人事担当者が「労働者性」の問題と真正面から向き合うときがきた!

松岡太一郎氏

あさやけ法律事務所 代表弁護士 松岡 太一郎 氏

執筆:あさやけ法律事務所 代表弁護士 松岡 太一郎 氏


◆1.労働法の労働者性の問題のキモ

 昨今、芸能人、フリーランス(本業はサラリーマンで副業はフリーランスという場合も含む)やインターンシップを利用する若者の労働法上の労働者性があらためて問題になっている。

 特に、副業のフリーランスについて政府は、いわゆる働き方改革によって時間外労働を軽減して、副業を推奨し始めている。
 厚生労働省がリリースしているモデル就業規則においても、平成30年1月、労働者の遵守事項の「許可なく他の会社等の業務に従事しないこと。」という規定を削除し、「副業・兼業の促進に関するガイドライン」をリリースした。
 このため、副業・兼業のフリーランスはこれから増加傾向になり、その労働者性の問題も増加する可能性が出てきた。

 また昨今、自社に合う社員の採用にはインターンシップが良いという、経営学では結構有力な見解が日本の実務で浸透してきたことに伴い、インターンシップを利用する若者の労働者性の問題も増加する可能性が出てきた。
 この問題については、日本人材マネジメント協会執行役員にして、私のMBA同期の岡田英之氏が主催する人事制度研究会でも何度か扱ってきた。
 私自身も、弁護士業務や理事を務めさせて頂いている「NPO法人わかもの就労ネットワーク」にて、この数年、いわゆる中間的就労(一般就労と福祉的就労との間に位置する就労で雇用契約に基づく労働及び一般就労に向けた就労体験等の訓練を総称するもの)やインターンシップにおける若者の労働者性の問題と向き合ってきた。

 労働法といっても、実はそのものズバリの法律はない。以下の議論をわかりやすくするために、ここでいう労働法とは労働基準法に限ることにする。
 労働基準法9では、「この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」と定められている。
労働法の労働者性の問題とは、この労働基準法9条の労働者とは何ぞや?ということに帰着する。これを論じる実益は何か?
 上記フリーランス(副業の場合も含む)やインターンシップを利用する若者が仮に、労働基準法上の労働者と認定されれば、各種労働者保護法規(労働基準法、労働者災害補償保険法、最低賃金法等)が適用され、正社員となれば簡単には解雇されなくなることにある。
 このことを予期していなかった受入企業にはある意味では予想外の負担になる。

 かかる労働法の趣旨は、各種労働法規の適用対象外の無権利状態を意図的に生じさせ、それによる労働力の不当な搾取という違法状態を生じさせてはならないことにある。
 ただ、この問題を難しくしているのは、その労働基準法上の労働者にあたるか否かの基準と判断権者にある。
 その基準は、昭和60年12月19日、労働基準法研究会によって作成された「労働基準法の『労働者』の判断基準について」という報告(以下、「労基研報告」という。)である。
 その内容としては、要は、労働基準法上の労働者にあたるか否かを「指揮監督下の労働」や「報酬の労務対償性」等の観点から判断するというものである。
※「指揮監督下」か否かは、仕事の依頼や業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無、業務遂行上の指揮監督の有無、拘束性の有無、代替性の有無にて判断する。

 これは極めて実質的かつ個別具体的な判断基準であって、ボーダーラインのケースでは境目のないところに境界線を作るようなもので、基準としては曖昧に失する面がある。
 その基準を少しでもクリアにして予測可能なものにすべく、昭和の時代から行政は各種の通達等を出してきたものの、その実際の対応は自己責任として企業の経営者や人事担当者に委ねられてしまった。

 行政からその対応を委ねられてしまった企業の経営者や人事担当者は、そもそも労働基準法上の労働者性の判断基準に対する理解が十分ではない。
 そのため、当初から各種労働法規の適用を受けることを予定していないにもかかわらず、その適用を受けて想定外の重い負担を強いられるという不測の事態を招くおそれがあった。
 なぜ、「不測」になるかと言えば、その事案で労働基準法上の労働者にあたるかどうかの決定的な判断をするのは労働基準監督署ないし裁判所であって、企業の経営者・人事担当者ではないからである。

 副業のフリーランスやインターンシップを利用する若者を受け入れる企業の経営者・人事担当者の立場からすれば、入り口の段階では主に短期的な視点がメインであって、副業の者や就業体験をする者を労働基準法上の労働者と見て雇用契約を締結しようという意識にはなりにくい。
 すなわち、フリーランスであればそれなりの専門性のニーズに基づいた単発的な依頼であるので、企業側でこれに対して社員に対すると同等の指揮命令をするという話にはなりにくいはずである。
 また、インターンシップであれば、あくまで短期的な就業の体験であって長期的な就労ではないわけで、企業側がこれに対して社員に対すると同等の指揮命令をするという話にはなりにくいはずである。

 しかし、労働基準監督署や裁判所が「労基研報告」によって彼らを労働基準法上の労働者と評価した場合、受入企業は事後的に副業の者やインターンシップを利用する若者と期せずして雇用契約を締結せざるを得なくなり、予想外のコストを負担する事態が想定されるのである。
 例えばフリーランスであれば、企業側で全く指示をしないわけにはいかず、こうしてほしいという企業側のニーズは伝えるはずである。
 この部分が事後的に、労働基準監督署や裁判所によって、その企業の社員に対する指揮命令と変わらないとされ、労働基準法上の労働者と評価されかねないのである。
 またインターンシップであれば、企業側もやる気のある若者の態度を意気に感じて、つい熱心に指導してしまうこともあるはずである。
 この部分が、同様に労働基準監督署や裁判所によって、その企業の社員に対する指揮命令と変わらないとされ、労働基準法上の労働者と評価されかねないのである。

 あえて、ここまで「負担」ないし「コスト」と表現をしてきたが、フリーランスないしインターンシップを利用する若者と受入企業との関係が円満あるいは円滑なら何の問題もないのだ。
 例えば、短期的な視点での関係性ではあっても、受入企業がフリーランスないしインターンシップを利用する若者を最初から有期雇用で受け入れればいいのだ。
 上記予想外のコストを負担する事態とは、事後的に、受入企業とフリーランスないしインターンシップを利用する若者との関係が法的な紛争になってしまっている事態である。
 すなわち、フリーランスないしインターンシップを利用する若者が労働基準法上の労働者であると主張して、受入企業を相手に訴訟を提起するような事態である。

 ここまでくると、受入企業とフリーランスないしインターンシップを利用する若者は互いに憎しみ合い、それは憎しみの螺旋になって両者の心に深く傷として残ってしまうこともあるのである。
 経営者も人事担当者も、フリーランスもインターンシップを利用する若者も、皆「心」をもった「人」なのである。この現実とどう向き合うか?
 まさに、企業の経営者・人事担当者が「労働者性」の問題と真正面から向き合わざるを得ない時代が本格的に到来したといえる。

◆2.どう向き合うのか?

 ひとつの在り方としては、「労基研報告」とその具体化された通達とこれらを利用している過去から最新までの裁判例を愚直に追っていくことである。
 どうなれば労働基準法上の労働者と認定されるのか?裁判例の判旨のニュアンスに変遷があるか?常に最新の裁判例にアンテナを張って愚直に探究していくやり方だ。
 これはこれで必要なことなので、愚直に継続していくしかない。
 しかしこのやり方は、「労基研報告」というある意味ケースバイケースの判断基準が曖昧さを持つこと、その判断権者が労働基準監督署や裁判所であることにより限界がある。
 もっとシンプルで根本的な解決手法はないものだろうか?あるいは、せめてそのような手法を目指す方向性はないだろうか?

 私の弁護士としてのライフワークの1つが理想的な労使関係の探求だ。
 私のようないわゆる町の弁護士が扱う事件の中で多いのは、対立当事者が憎しみ合って当事者同士ではもうどうにもならなくなったものである。労使関係とて例外ではない。
 私は労働事件を通じて、経営者・人事担当者の数々のリアルな心の叫び、社員の数々のリアルな心の叫びを受け止め、この憎しみの螺旋をどうにかできないかと理想的な労使関係をリアルに探求していくうちに法学では限界を感じた。そのため私は経営学に答えを求めた。
 人事労務専攻で経営学修士(MBA)になり、労使関係の知見を深め、その先あった経営者の心や社員の心の理解のために心理学や精神医学に答えを求めた。
 産業カウンセラーや精神保健福祉士にもなった。
 それだけやってよくよくわかったことが「人の心はわからないものだ」というのは情けない話ではある。
 それでも、やらないよりやった分だけ、経営者の心の有り様や社員の心の有り様の実態に、少しだけかするようにはなったのかもしれない。しかし私は諦めるつもりはない。

 わからないものを諦めずになんとかしようとするのが学問だということを、私は、MBAの師匠・西村孝史先生から学んだつもりだ。
 MBAの手法を借りるなら(MBAに限らないかもしれないが)、ある問題の解決に向けての出発点は現状分析である。
 経営者・人事担当者と社員ないしそれに準ずる者との関係は、過去からの流れを見て、現状でどんな変化を遂げているのか、あるいは変化を遂げていないのか?
 弁護士業務や上記人事制度研究会等での研鑽を通じて見えてきたのは、組織と個人との関係は平成以降変化し、組織の論理で個人を拘束することの限界が見えてきたということである。
 無論、経営学上でも実際問題でも、規模に関係なく社員1人1人が経営者の経営理念を明文・暗黙知・フィーリングにて共有してこそ、企業組織においてまとまって機能することは明らかだ。
 そこに変化はないと思う。
 しかし現実問題として、自分の成長につながることを企業選びの第一とする若者が増え、会社よりも自分の私的な時間や人間関係を大切にして、転勤や残業を拒否する社員は増えている。
 これは否定できない変化だ。

 どうやら、原因はともかく、経営者よりも社員の心の変化の方が著しいようであり、それならば、経営者が変わらねばならないのではないか。あるいは、労使ともにか。
 私が、弁護士、産業カウンセラー及び精神保健福祉士として、社員のことで悩みの中にある経営者や人事担当者の相談をお受けするときにお勧めする手法のひとつが個人面談だ。
 ありきたりだが、経営者も「人」、社員も「人」なら、相互理解のためには、愚直にフェイストゥフェイスで話すしかないのだろう。
 個人面談といえば堅苦しいが、要は経営者と社員の心の交流ができればいいだけであって、「個人」も「面談」も限定的に解しようとするこだわりはない。

 私が知っているある企業は、クライアント企業の経営者と社員が一緒に社内を掃除することを通じてコンサルをしている。
 掃除中、そのコンサルの心憎い数々の仕掛けと掃除の力でクライアント企業の経営者と各社員とのコミュニケーションを促すのである。
 以上は、受入企業と副業のフリーランスないしインターンシップを利用する若者との関係にも当てはまるはずだ。
 彼らも心をもった「人」だからだ。
 両者の関係は、入り口については、確かに短期的なものが出発点なのかもしれない。
 しかし、人と人との関係性の綻びはコミュニケーション不全から起こることが多い。

 短期的な関係といっても、副業のフリーランスの場合には受入企業から継続的なお仕事の依頼がくる関係になるかもしれない。
 また、インターンシップを利用する若者の場合、ひょっとするとその受入企業に就職する関係になるかもしれない。
 そのような関係構築の可能性がある場合、当事者のどちらかがその関係構築を大いに期待したのに裏切られるなど、憎しみの螺旋へつながる火種は短期的な関係性の中にもいくらでもあるのである。

 少なくとも私は弁護士として、労使関係ないしこれに準ずる関係に限ってみても、短期的なご縁であるにも関わらず両サイドが憎しみ合っている…といった案件を扱ってきた。
 今後については、長期的あるいは短期的な労使関係ないしこれに準ずる関係性の中で、どんな円満かつ円滑なコミュニケーションの取り方があるのか?それがあるとしてそのような手法を前提にした人事制度の構築が可能なのか?などの問題について、副業のフリーランスやインターンシップの問題も含めて、人事制度研究会等にて研究を重ねていきたい。

以上


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