人事は日々の仕事の中で、人と組織に関わる様々な課題に直面している。自身の知識・経験だけで解決が難しい課題に対しては、コンサルタントや社労士といった外部の専門家の助言を受ける、人事労務系の雑誌やセミナーで知識を得るなどして解決策を探る。一方、人と組織に関する調査結果や論文を参考にする人事は少ないが、実務で直面する課題の多くがすでに研究されているのである。実にもったいないことである。本シリーズでは、人事が直面する課題に対して、最新の研究成果を踏まえた対応策と、人事が果たすべき役割について研究者の先生方に語ってもらう。
第3回は「会社と従業員の心理的契約」について神戸大の服部先生、「強い人事部門」について一橋大の島貫先生にご自身の人事としての経験も交えてお話しを伺う。

聞き手・文:TM(Insights編集部員)

一橋大学大学院 経営管理研究科 教授 島貫 智行先生

ゲスト:一橋大学大学院 経営管理研究科 教授 島貫 智行先生
一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(商学)。専門は人的資源管理論。
著書に『派遣労働という働き方:市場と組織の間隙』(有斐閣)等。


◆人事担当者から研究者の道に

TM(編集部会):今回は一橋大学で人事部門の役割や機能について研究され、派遣労働に関する著書も出されている島貫智行先生にお越しいただきました。まずは島貫先生の自己紹介からお願いします。

島貫 智行(一橋大学大学院 経営管理研究科 教授):私は大学卒業と同時に総合商社に入社しました。そこで人事部門に配属され、「評価」の担当から始まって「採用」や「人材育成」、「出向転籍」、「退職管理」など、人事部のさまざまな実務を経験させてもらいました。
転機が訪れたのは、入社から丸6年が経ったときです。会社に2年間の休職を申し出てKBS(慶應義塾大学のMBAプログラム)に入ったのですが、修了後に退職して一橋大学の博士課程に進み、研究者を目指すことになりました。

TM:なぜビジネススクールに行こうと思われたのですか?

島貫:当時担当していた業務が「人材育成」で、その中にビジネススクール(MBA)に企業の費用負担で社員を派遣するというものがありました。ただ派遣した先輩方は、帰国すると高確率で会社を辞めてしまいました。ビジネススクールでどういう知識や経営リテラシーが身につくのだろうと不思議に思いましたし、ビジネススクールで学ぶことが自分のキャリアを広げるのにどう役立つのだろうと考えるうち、だんだんと自分が行ってみたくなったんです。当時私がいた総合商社には休職制度がありませんでしたから、自分で作ってそれを利用しました。

TM:KBSを選んだのはなぜでしょうか?

島貫:今でこそ国内にもたくさんのビジネススクールがありますが、当時は選択肢が限られていて、最も歴史と実績を持つのがKBSでした。受験を思い立ったのが夏頃で、秋に受験して翌年春に入学しました。

TM:少しさかのぼりますが、大学では何を学ばれていましたか?

島貫:法学部の政治学科で計量政治学を学んでいました。有権者の投票行動や行政機関の意思決定プロセス、地方自治体の政策決定などが主なテーマでしたが、当時は研究者になろうとは思いませんでした。

TM:就職では最初から商社の人事部を希望されたのですか?

島貫:金融業界も受けましたし、商社に限って就職活動をしていたわけではありません。ただ、商社が自分の個性を一番活かせる感じがした…というか、商社の仕事がより自分の能力を引き出してくれる気がしたんです。当初は貿易などの仕事をしたいと思っていたのですが、内定者面談の場で「最も商社のことがわかる部署に配属してください」と希望したからなのか、人事部門に配属されてしまったというわけです。

TM:ビジネススクールではどのようなことを学ばれましたか?

島貫:当時、人事の業界では高橋俊介先生が「戦略人事」や「キャリア自律」というコンセプトを広げておられました。「経営に貢献する人事部門」にならなければいけないという考えに触れて、自分の仕事に対する視点が広がったと思います。ビジネススクールではさまざまなバックグラウンドを持つ優秀な人たちにたくさん出会いましたが、そうした一人ひとりの強みを生かせる組織をどう作るか、そのための人材マネジメントをどう実践するかが私にとって大きな関心事になりました。

TM:一橋大学の博士課程を選ばれたのはなぜですか?

島貫:守島基博先生(現学習院大学教授)に学びたかったからです。先生は一橋大学に移籍しておられましたが、KBSで非常勤講師をされていて、私も授業を受講しました。一橋の博士課程では守島ゼミに入りまして、今でも先生は人事という研究分野の面白さを教えてくれた恩人だと思っています。
また一橋に入学してから、佐藤博樹先生(現中央大学教授)が東京大学社会科学研究所の人材ビジネスや派遣労働の研究会に、東大の大学院生でないにもかかわらず誘ってくださって、出稽古のような形で参加させていただきました。

◆人事管理という研究領域と「派遣労働」

TM:MBAは幅広い領域を扱いますが、最初から人事の領域に注目されていたのですか?

島貫:いえ、当初は経営学の中に人事管理に関する知見が蓄積されていることを知りませんでした。人事管理はそれぞれの企業が独自の考えで行うものと思っていましたし、人事管理に関するノウハウはそれぞれの企業ごとに蓄積されていると考えていましたから。人事という研究領域があることを知ってとても驚きましたし、より深く知りたいと感じました。

TM:博士課程では派遣労働を研究テーマにされていますが、これはなぜですか?

島貫:動機のひとつが、実務経験を通して感じた問題意識です。人材育成や研修を担当していた頃、派遣社員の方々と一緒に仕事をする機会がありました。でも、派遣社員と通常の社員には同じ人材マネジメントを行えません。たとえば、会社で引き続き働いてほしい優秀な従業員にはボーナスや昇給で報いると思いますが、派遣社員とは雇用関係がないためにそうした方法を使えません。そもそも派遣社員の給与は派遣会社が決めるため、派遣社員の方々がどれくらい給与をもらっていたのかも知りませんでした。ではどうやって派遣社員の方々のモチベーションを維持して、自社に貢献してもらうのか…?これが当時持っていた問題意識です。少し硬い表現をすると、「労働者との雇用関係の有無は、人材マネジメントにどのような影響をもたらすのか」ということになりますが、この問いは今後も引き続き考えていきたいと思っています。
博士課程に在籍中は、守島先生や佐藤先生からさまざまな調査や研究の機会をいただきました。派遣労働だけでなく、ポスト成果主義賃金制度や、自律的なキャリア形成、経営者育成など、幅広い知見についてご指導いただきました。また、さまざまな企業にインタビューして、教育教材のビジネスケースも作成しました。当時株式会社ニチレイの経営企画部長だった木谷宏先生(現広島大学教授)に支援いただいて作成したビジネスケースは、今も大学の授業や経営者・人事マネジャー研修などで活用しています。

◆「強い人事部門」とは

TM:現在の研究についてお伺いしたいのですが、人事の領域の中でも特に「人事部門」を研究対象とされているのははぜでしょうか?

島貫:これまでの人事管理研究のほとんどは、人事施策や人事制度に関するものでした。たとえば成果主義、キャリア形成支援、ワーク・ライフ・バランスなどの研究の多くは、人事施策に焦点を当てています。これに対し人事部門に関する研究は相対的に少なく、日本ではほとんど研究が行われていません。
日本企業の伝統的な雇用慣行、たとえば長期雇用や年功賃金といった特徴の裏に「強い人事部門」があることはよく知られていますが、表の雇用慣行の特徴が変わりつつあるとすれば、裏の人事部門の特徴にも何らかの変化が生じているのでは?という問題意識が、人事部門の研究をする動機となりました。

TM:人事の現場にいたときの実務経験は、今の研究に活かされていますか?

島貫:それはあまりないですね。研究の現場に来て感じたのは、当たり前のことですが、勤務先で経験した人事の実務は特定企業の人事管理であり、特殊なものであるということです。その経験は人事管理のテキストブックに書いてあるような標準的なものでもありませんし、日本企業の平均的なものでもありません。人事の実務経験があることは研究テーマの着想には役立つかもしれませんが、人事の研究ができることには必ずしもつながらないと思います。

TM:「強い人事部門」について教えてください。

島貫:欧米の研究成果によると、人事部門の強さ、つまり社内影響力は、「取締役会に人事担当役員が含まれているかどうか」で測れるとされています。この考え方に基づいて日本企業のデータで分析したところ、1990年代前半には上場企業の約半数の取締役会に人事担当役員が含まれていましたが、現在はこの割合が30%程度まで減少しています。
2000年前後からコーポレート・ガバナンス改革などで取締役会の人数が減っていきますが、その結果として取締役の席を失ったのが、人事担当役員だったというわけです。また、かつて人事担当役員は「常務取締役」であった企業でも、あるときから「平取締役」になり、いまでは「執行役員」になっている企業もあるでしょう。人事部門の社内影響力が従来よりも弱くなった背景には、人事部門が企業経営に十分貢献できていないと経営者が感じていることがあると考えられます。

TM:人事部門が経営者にアピールするにはどうすればよいのでしょうか?

島貫:人事部門の皆さんからは、人事制度や人事施策が経常利益などの経営業績の向上に役立っていることを経営者に示したいという話をよく聞きますが、最終的な経営業績は人や組織だけでなく事業戦略や外部環境などいろいろな要因に影響されるので、人事部門の貢献度合いを証明するのは難しいと思います。
それよりも大事なことは、経営業績に影響を与え得る人事管理の重要な指標について人事部門の皆さんが深く考え、その指標に対し貢献していることをエビデンスを示して説明することでしょう。たとえば、人事部門の人たちに「従業員の離職率は皆さんの会社にとって重要な指標ですか?」と質問すると、人によってバラバラの答えが返ってきます。全社員の離職率が重要であるという人もいれば、若手社員の離職率が特に重要であるという人、ハイポテンシャルな従業員の離職率こそが重要であるという人もいます。離職率はゼロに近いほどよいという人もいれば、数パーセント程度の離職はむしろ適切だという人もいます。なぜそう考えるのか、その理由や論理をエビデンスに基づいて明確にしていけば、最終的な経営業績に頼らずとも、経営者に人事部門の貢献を説明することができるでしょう。実際に外資系企業は、人事管理の重要な指標を複数設定してそうした取り組みをしています。

TM:人事部門の強さを経営企画や財務と比較されていますが、これはなぜですか?

島貫:過去の研究によると、アメリカ企業では財務部門が最も強いと言われています。実際、CEOとCFOがタッグを組んで経営を主導している企業はたくさんあります。また日本企業は伝統的に経営企画部門が強いとされています。このため、人事部門の社内影響力の比較対象として、財務部門と経営企画部門を選びました。
この3部門で近年の取締役会の役員数を見てみると、経営企画担当役員と財務担当役員の人数はほぼ変わりません。人数が減って影響力を低下させているのは人事部門だけです。また興味深いのは、取締役会に含まれる人事担当役員の2割程度は経営企画や財務との兼務役員になっていることです。その人事部門は経営企画部門や財務部門の影響を受けているかもしれません。

TM:ちなみにアメリカではいかがですか?

島貫:一般的には、取締役会に含まれる人事担当役員は財務担当役員よりも少なく、経営の中で人事部門の影響力は相対的に弱いと言われています。そうした背景もあって、米国ではミシガン大学のウルリッチ教授らのような研究者を巻き込んで、「人事部門はもっと戦略に貢献して社内影響力を高めるべき」という動きが起こっているわけです。

TM:どうすれば「強い人事部門」になれるでしょうか?

島貫:人事の専門性をテコにして、それに基づくパワーや影響力を持てるようになる必要があると思います。かつての強い人事部門は「権威」や「権限」に依存していました。ですがパワーの源泉には、権威や権限だけでなく「専門性」や「情報」なども含まれます。経営のグローバル化や職場のダイバーシティが進展し、現場が自律的な人材マネジメントを行っていく流れの中で、これからの人事部門は権威や権限に頼らずに、専門性や情報に基づく強さを模索すべきです。端的にいえば、「人事部門に人事管理の知識やノウハウを聞こう」「人事部門の情報を参考にしよう」と頼られる存在になることです。

◆企業は副業とどのように向き合うか

TM:人事の質問から少し離れますが、企業は従業員の副業にどう向き合えば良いでしょうか?

島貫:そもそも「副業はだれのためのものか?」を考える必要があります。もし従業員本人のキャリアや成長のためなら、企業はその目的に合う副業の内容や範囲を検討して認めればよいですし、他方で企業のためなら認める・認めないではなく、企業にメリットをもたらす副業の機会や仕組みを考案して促進すればよいでしょう。一律に論じる話ではなく、副業の目的に照らして判断すべき問題でしょう。
従業員のキャリアに対する人事の議論もこれと似ています。従業員のキャリアを企業が「開発」するのか、それとも従業員本人のキャリア形成を企業が「支援」するのか、いずれの立場から人材マネジメントを考えるかということです。人材不足のなかで企業が優秀な人材を惹きつけていくには、今後は後者のような従業員の意思を尊重してそれを支援していく方向に向かっていくと考えています。

人事担当者へのメッセージ

TM:本誌の読者である人事部門の方に、メッセージをお願いします。

島貫:これからの人事部門には、「強い人事部門」であって欲しいと思います。なぜなら、人事部門の社内影響力は企業内の労使関係にも大きく影響するからです。日本企業の強みは、経営と労働者の協調関係です。これまで両者の間に立って双方の意思を伝えていたのが人事部門でした。もし人事部門が弱くなると、従業員の意向や考えが経営者に伝わりにくくなってしまう可能性があります。
また人事担当者には、科学的・論理的な思考が求められます。人事施策を設計・構築し運用する際には、データによる裏付けやエビデンスをとることが重要です。一方で人事は人を扱う部門ですから、心や感情も無視できません。従業員の心の動きや働き方、キャリアを理解するには、現場に出て従業員とコミュニケートすることが必要であると思います。人事課題の把握と解決には、データ分析と従業員対話を並行して行い、科学的根拠と現場の事象を行き来することがいっそう重要になってきていると思います。

TM:本日は日本企業の人事部門が抱える課題についてお話いただきました。人事部門の役員をはじめ、それぞれの担当者にとっても大変有意義なお話だったと思います。本日はありがとうございました。以上で終わります。


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