リベラルアーツの流行が意味すること

 近年、主にビジネスシーンにおいて、リベラルアーツという言葉が頻繁に聞かれるようになりました。リベラルアーツについては、様々な定義が存在しますが、リベラルアーツ教育に力を入れている桜美林大学のホームページによると、「複雑化した現代社会では、ある特定分野の専門的な知識が求められる一方で、幅広い知識を身につけ、異なる考え方やアプローチ方法が理解できるような総合力が必要とされています。リベラルアーツはさまざまな学問領域を自由かつ積極的に学ぶことで、実社会で活躍し豊かな人生を送ることができる総合力のある人間を育成する」と記載しています。『総合力』という言葉が強調されているように感じます。では、総合力とはどのような能力なのでしょうか。要素分解することは可能なのでしょうか。総合力に加えて人間力という言葉もあります。かつて経済産業省が21世紀を担う人材要件のひとつとして社会人基礎力というものを打ち出し、その中で人間力という言葉を多用しました。社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力を意味するです。総合力にしても人間力にしても今ひとつ漠然としていて捉えどころがないの印象を受けます。言葉の受け手の属性やリテラシーによって意味内容が大きく変化してしまうのではないかとも感じます。そもそも誤解や勘違い、挙句の果てには悪用されるリスクを孕んだ言葉なのかも知れません。リベラルアーツという言葉も同様に感じます。

 現実にはリベラルアーツの重要性を語る人が増えています。彼らは、環境問題や民族問題などの地球規模の諸問題が深刻化している現代において、問題解決には専門分野を超えた柔軟で自由な発想に基づく対応が必要だと言います。また、人種、国籍、思想、文化などを越えて持続可能な社会へ導く責任ある地球市民が必要とされていると説きます。あるいは、遺伝子工学など先端分野の進歩の結果、生き物そのものをデザインする時代に入るなど、アートとサイエンスを跨いだ学問のあり方が問われているとも説きます。は理解できたでしょうか。社会経済が抱える複雑な問題に対して既存の学問や知見の枠組みでは対処できないことは理解できるかと思われます。既存の学問や知見をとにかく総動員して対処しようという姿勢にも一定の共感はできます。しかし、本来のリベラルアーツとは異なるようなやるせなさも覚えます。過度に細分化され、蛸壺化した学問領域や知見の弊害が社会経済問題の解決を遠のかせているようにも感じます。こうした弊害を取り除く意味でのリベラルアーツであれば合点がいくのですが、問題の複雑さを前にした際に、思考停止し、安易に既存の学問や知見を総動員してみることがリベラルアーツであるならば、恐らくその先に解(未来への希望)は見つからないでしょう。

 リベラルアーツ教育に注力している大学や専門機関、民間企業も増加傾向にあるようです。しかし、お粗末な内容が多いとのようです。もしかすると人材育成目的のリベラルアーツではなく、組織を存続させる目的でのリベラルアーツなのかも知れません。問題や課題の本質から眼をそらし、言い得て妙な便利な言葉としてリベラルアーツが利用されているのかも知れません。本来は、こうした言葉が流行してしまう私たちの社会経済が抱える真の問題にこそ眼を向けるべきなのかも知れません。問題の本質に迫るために既存の学問や知見をどのように活用し、新しい視点を獲得できるか。新しい視点を獲得する教育プログラムを考える際に、リベラルアーツを正しく理解し、活用する。このことが将にリベラルアーツ教育であるような気がします。決して問題の本質から眼をそらしたり、問題を摺り替えたりするための便利な代物がリベラルアーツではありません。

岡田 英之

JSHRM 執行役員
Insights編集長 岡田 英之