本稿では、小説の中に描かれた職場や仕事を紹介し、人事とは何かを探ってみたい。もちろん、小説はフィクションである。しかし、優れた文化的コンテンツの中には、現実の社会を鋭く切り取り、働く人々たちの潜在意識を顕在化させてくれる作品がある。人事担当者として専門知識やスキルを身に付けるだけならば、小説など読まずに、ビジネス書を読めばよいのだろう。ただし、最近のビジネス書の中にも、一見ビジネスとは遠いアートや文化が紹介されることもある。働く人たちの感覚や感情に近づくための教養力が求められているとは言えまいか。小説を読みながら人事について考える時間もきっと必要だと思うのである。

法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏

執筆者:法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏
大阪大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)
専門領域は労働経済学、教育経済学、人事組織経済学
近刊は『大学生の内定獲得: 就活支援・家族・きょうだい・地元をめぐって』(法政大学出版局)

◆組織にとって優秀さとは?

人事の仕事を担う者、又は人事のメカニズムを研究するものにとって大きな問いは、組織にとって人材の<優秀さ>とは何かである。我々が、その優秀さをどのように定義をするかによって、評価処遇、採用、研修、昇進など企業内諸制度も変わってくる。

これを学校での優秀さと考えるならば、簡単に定義できるし、筆記試験で容易に測れる。しかし、学力は、優秀さの一部を占めるかもしれないが、その優秀さそのものではない。そもそも学力だけならば、採用面接や人事評価で苦労しないと言えよう。

仮に学力だけでは測れない賢さ(頭のよさ)が測れたとしよう。そのような賢さが経営の貴重な資源であることに異論はないが、少しでも会社で経験を積んだ者ならば、賢さだけの人が、リーダーとして尊敬されたり、部下を引っ張っていったりしないことを知っている。

では、我々が好ましいと思っている優秀な組織人とは誰なのだろうか。今回は、それを探るために山本周五郎著の『寝ぼけ署長』という連続短編集を読んでみる。この主人公は、いつもぐうぐう寝てばかりいるので、寝ぼけ署長とあだ名をつけられた。ところが、お人好しでぐうたらと思われていた署長は、次々と難事件を解決していく。そして、いつの間にか同僚や地域住民からも愛される存在に代わっていった。

私は、この寝ぼけ署長こそが組織における優秀さを体現していると考えたのである。

◆コミュニケーションの要因分解

寝てばかりの署長の犯罪捜査には、虫眼鏡による現場検証も、派手なアクションもない。その調査方法は、ただ人の話を聴くことである。彼のコミュニケーション術とは何か。

第一に、この署長が一見すると優秀に見えない点が優秀なのである。例えば、誰から見てもわかる賢さは、切れ味の鋭い刃物のようなもので、同僚すらも緊張させる。寝ぼけ署長は、「全体として疲れた牡牛という鈍重な感じ」だからこそ、周りの人々の心持ちを柔らかくさせる。さらに、署長は大変な教養人で、どうやら英、仏、独語や漢文が読めるらしいのだが、その教養は、人間に対する深い洞察を生み出すだけで、他人に対してひけらかしになっていない。そして、もちろん署長は愚鈍ではない。寝ぼけ署長の前で思わず話してしまう人たちの微かな発信を受け取っている。例えば署長は、次のように聴いて、難事件を解決しているのである。

「私はこうして、黙って、眼をつむって、聴いている。諸君はそれぞれ、自分の担当したことを、話す。その中に、問題の人がいる。その声が、その言葉が私の耳に入ってくるわけだ」

第二に、寝ぼけ署長の推理は、他人の認識の枠組みに囚われていない。例えば、顔色が悪い、又は生活に苦労しているという事実だけで嫌疑をかけてしまう疑惑の心理がある。多くの同僚の失敗を生み出す先入観がないのである。彼だけが人々の本質を掴んでいる。

第三に、寝ぼけ署長の他者への推理には、単に分析というだけでなく、深い共感に基づいている。犯罪とは、それがどんなに冷酷な行動であっても、悲しみ(それに伴う怒り)に基づいていることが多い。つまり、分析力と理解力は少し違うのである。寝ぼけ署長は多くを語らないが、部下の一人は、彼の言葉の節々から「署長は何か過去に大きな悲しみをもっている」と思うのであった。

◆正義の政治算術

さて、このように寝ぼけ署長のコミュニケーション術を整理してみると、彼はとびっきり優秀なキャリアカウンセラーのようである。

ただし、寝ぼけ署長は、共感力の優れたカウンセラーに止まらないことは、毛骨屋親分の回で確認できる。この短編で寝ぼけ署長は、町の露天商組合を牛耳り、お店から不当な組合費を集めている須川組と対決する。社会正義に対する寝ぼけ署長の行動は、警察の範疇を超えている。なにしろ、毛骨屋の親分という架空の事物になりすまし、新組合結成によって露天商の団結を高め、助川組の悪事を調査して脅し、最後には組長の子供(実は孫)の誘拐まがいの行動をするのですから、とんでもない警察署長である。

寝ぼけ署長は、社会正義の喪失を憂い、悲しみに寄り添うだけでのカウンセラーでもないし、社会正義だけを主張する評論家でもないことがわかる。彼は、知識を使って、社会正義をなすための政治算術を身に付けている。それが彼の政治交渉力であるし、新・協同組合という知恵であった。彼が知識のための知識を軽蔑していることは、次のような発言からもうかがえる。

「実行力の伴わない知識、社会的に個人の能力を高めざる知識、これらはただ知ることで終わる知識は恒に必ず人間をスポイルするだけだ」

我々は、寝ぼけ署長の中に理想の社会人モデルを発見できるのではないか。

悲しみを知り、どのような人間ともコミュニケーションできる幅があり、知識と教養を身に付け、組織内正義のためにそれを活かせる人物。これが、組織における優秀さの答えだ。


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