現在、企業社会では「女性活躍推進」が喧伝されています。女性管理職比率の向上、育児・介護による離職の削減など、確かに、女性にとって働きやすい職場環境を整備することは重要です。
しかし、女性活躍を促進していくためには、むしろ男性の生き方や働き方こそ変えなければなりません。長時間残業、休日出勤、度重なる出張など無限定な働き方では家庭との両立が難しくなるばかりです。これからの男性の生き方・働き方について、男性学という分野から提言・発信されている武蔵大学社会学部助教の田中俊之さんにお話を伺います。
ゲスト:武蔵大学 社会学部 助教 田中 俊之 氏
1975年、東京都生まれ。武蔵大学社会学部助教。博士(社会学)。社会学・男性学・キャリア教育論を主な研究分野とする。著書 『男性学の新展開』青弓社、『男がつらいよ―絶望の時代の希望の男性学』KADOKAWA、『〈40男〉はなぜ嫌われるか』イースト新書、『男が働かない、いいじゃないか!』講談社プラスα新書、小島慶子×田中俊之『不自由な男たち――その生きづらさは、どこから来るのか』日本では“男”であることと“働く”ということとの結びつきがあまりにも強すぎる」と警鐘を鳴らしている男性学の第一人者。
聞き手・文:岡田 英之(Insights編集長)
岡田英之(編集部会) 今回は男の生き方・キャリアに関し、武蔵大学の田中先生に「男性学」という観点からお話を伺います。まず自己紹介として、これまでの研究活動と現在関心を持たれている分野についてお話しいただきたいと思います。
◆「高度成長期以後に常識化した「働く=雇われる」
◆「高度成長期以後に常識化した「働く=雇われる」
田中俊之(武蔵大学社会学部助教) 私の研究分野の関心というのは、戦後の日本社会における男性像の変遷です。それは働くことと密接に関わっています。
高度成長期初期は、雇われて働く人は4割程度でした。しかし高度成長期を過ぎると、雇われて働く人が8割を超え、今では「働く=企業に雇われる」となっています。ごく短期間に常識化しているはずなのに、今や動かしがたい認識となっていることはかなり興味深いです。
そこで性別による役割分業、つまり、「男は仕事・女は家庭が当たり前」というルールが確立していったわけですね。今は「共働きが普通ですよ」と言いながらも、「スタンダードは、男は仕事・女は家庭でしょ」という意識が割と残っています。構造上無理なのに意識は残っているのは、ますます興味深いことだと思います。
岡田 「働く=雇用される」というのは最近の話ということですね。雇用以外の働き方はどこへいったのでしょうか。
田中 経済発展を優先した結果として、雇われる以外の働き方は消えていったのだと考えられます。
岡田 先生は社会学者でもあるわけですが、男性学以外の研究は何かありますか。
田中 結婚・恋愛、サブカルチャー領域にも興味があります。例えばオタクはなぜ差別されるのか。女性のオタクだっているのに、オタクというと男が想起されます。ここにはジェンダーバイアスがあります。性別による偏見。例えば医者や政治家、大学の教員というとすぐ男の人をイメージするというようなことですね。
オタクの話は従来の女性学からは説明できないので、男性学の視点から言うと、男性内の序列があるということです。「男の中の駄目なやつ」としてオタクが必要とされているのではないか、そういう議論をしたりしています。
岡田 この頃は女性の運転手なども見かけるので、ジェンダーバイアスはだいぶ解消されてきたように思うのですが。
田中 職業によっては解消されている側面もあるかもしれません。しかし、私が調査している範囲では、企業の管理職などの社会的に高い地位に就いた女性は「女を捨てて出世した」と言われています。その女性を例外として処理しているので、ブレークスルーが起きないのです。つまり「特殊な人が出てきて部長になっているだけで、女性全般が管理職に向いているわけではない。だから男の比率が高くても問題はない」ということになってしまうのです。
◆一般的に女子学生のほうが成績はいい
岡田 企業は女性の管理職比率を高めようとしていますが、全然高まっていません。今後は変わっていくのでしょうか。
田中 人材マネジメントの観点からは、変えていく企業のほうが有利です。一般の大学では女子学生のほうが成績は良く、男子のほうが悪いんです。企業の採用担当からも、「成績どおりに採ったら女子ばかりになるから、男子にげたを履かせている」という話も聞きます。
一般的に、男の子は大ざっぱでもいい、でも、女の子は細やかにというしつけをされます。今、どこの企業でも求めているのは繊細さや細やかさです。私が経営者だったら優秀な女子生徒を採って、彼女たちが辞めないような条件を整えたほうがいいと思いますね。
現状ではフェアに競争すると本当は大雑把で成績がよくない男性が負けてしまいます。負けても、ジェンダーバイアスがあるから「女ごときに」みたいな人が出てくるわけです。労務管理としては、そういう人をどうなだめるかのほうが重要かもしれないですね。
岡田 そこで「女ごときに何ができるんだ」という差別意識が見え隠れするわけですね。
田中 だからブレークスルーした女性が出てきたときに「あいつは例外だ」という物言いになるのだと思うんです。例外だったら全体としての男性の地位は、脅かされないわけですからね。
岡田 最初は例外かもしれないけれど、少しずつ増えていくことによって、いつしかマジョリティーになるのですか。
田中 もちろんそうです。最終的には「性別に関係ない」となると思います。フラットに全体を見られる人が管理職になっていくでしょう。
◆多様化していく男の在り方
◆多様化していく男の在り方
岡田 先生の著書『男が働かない、いいじゃないか!』ですが、この男性学というのはこれから急速に広がっていく気がしています。男性学を詳しく説明していただけますか。
田中 実は男性学という学問はないんです。あるのは男性性(男らしさ)の研究(masculinity studeis)です。ジェンダーの議論においては、男や女といった二分法を前提にはしません。むしろ、現実には多様な人がいるにも関わらず、なぜ男女という区分がこれだけ機能しているのかを考察します。でも、一般の人に分かりやすく話すために、「男性だから抱えてしまう悩みがありますよね」というところから話を始めているわけです。男性性研究は、男に注目しているというよりも、その社会において男とはどういうものとされているかということを研究しているんです。
岡田 そうすると、先生の男性学というのが世の中的に曲解されている可能性もありますね。
田中 女性が抱えている問題は確かにあったから、女性学というのはポピュラーだし、差別の解消とか、割と実践的なんです。そういう水準として一般の人に話すときには、男性ならではの苦しみを解決していくというのは、学術的なエッセンスを踏まえた生き方学としてはあり得ると思うんですね。ですから、誤解を与えないように注意しながらも、分かりやすさを重視して男性学を紹介しています。
岡田 社会的背景によって男性の在り方も多様化してくる。今はその転換点ということですが、今までは多様化していなかったんですか。
田中 多様化しない構造になっていると思うんです。男の人だけが働いて女の人が家にいる社会だと、男の人は絶対仕事を辞められないんです。お父さんが仕事を辞めた途端に一家が路頭に迷う。路頭に迷う人が増えれば社会が崩壊してしまいます。
岡田 お父さんの稼ぎで家族4人のライフサイクルを回すというのが、これまでの一般的な家族の在り方でした。その柱が折れると一気に家庭が崩壊してしまうということですね。
田中 定年退職者にインタビュー調査をすると、「自分自身は今まで何をやってきたんだろう」という話が共通しています。多くの男性は「自分が男性だからこういう行動パターンをとっている」という気づきすらない状況です。男性学という男性性研究を噛み砕いた視点でもかなり男性にはお役に立つと思います。
◆男性はもっと自分を大切にすべき
田中社会自体が「男の人は雑に扱ってもいい」みたいな感じがある。男性はもっと自分を大切にしてほしいと思います。
あと、彼ら自身は何をしたいのか。やりたいことはあると思いますが、結婚して、家のローン組んで、子どもが大学行っていたら、自分がやりたいことなんてあり得ないですよね。これは世に問うてもいいのではないかと思うんです。「俺が寝ないで働いて、家族みんなが幸せになるなら俺が幸せだ」という人がいてもいいとは思いますが、それは誰もができることではないですよね。
男性学が男らしいことを全て否定していると誤解されるのは困ります。私は多様な人がいてもいいと思っているんです。だから、誰かがやっていることにたいして、それは駄目だとか、何か意識を高めようとか、啓発してやろうという話が好きではないんです。そういうことをする権利は誰にもないと思います。そういう意味で、私はイクメンだけが子育て世代の父親のあり方という風潮には疑問を持っています。
岡田 育児をするメンズが素晴らしい。だから父親も育児休暇を取ろうという風潮ですよね。それは危険だということですか。
田中 男性と女性が対等に扱われて、長時間労働が解消されている中だったら主張してもいいと思うんです。共働き化の主張も同じように危険です。保育園が整備されていて誰でも入れられる世の中で共働き化というのは分かるけれど、そういう条件がない中でキャッチフレーズだけやるのはどんなものかと思います。
残業で夜中の10、11 時に帰ってきてそれから育児、というのは一般の人には不可能ですよ。その問題は政府や公的なサービスが担わなければいけないのに、「個人の努力でカバーしてください」ということですからね。
岡田 イクメンというのは男性にとってプレッシャーだということですか。
田中 それは難しいところですね。でも、働いてさえいればいいと思っている人が主流だったわけだから、それだけでは十分ではないという問い掛けをしたということでもちろん意味はあったとは思います。
◆生産性を上げたら労働時間を短縮してほしい
◆生産性を上げたら労働時間を短縮してほしい
岡田 男性は背負っているものは変わらないけれど、これまで受けたことがない異質のプレッシャーをパートナーから受けている。相談する人もいないので、この男性学が読まれているのではないかという気がするのですが。
田中 確かにおっしゃる通りですね。ただ、少なくとも日本の場合、男性よりも女性のほうが我慢している部分が大きいのではないでしょうか。あと、企業が生産性を上げるのはもちろん重要だと思うけれど、生産性が上がったなら労働時間を短くしてほしいんですよね。より生産性を上げて、まだ成長していこうというのはちょっと理解できないんです。
岡田 より生産性を上げて、さらにそこで稼げ的な雰囲気を感じるということですね。
田中 日本でさらなる成長というのは絵に描いた餅にしか見えないので、低成長にふさわしい働き方を追求したほうがいいと思います。一億総活躍とか、女性が輝くとか言うけれど、もういっぱいいっぱいで苦しい人もいると思うんです。男はこうあるべき、女はこうあるべきという選択肢がそれぞれ1個しかないというのはちょっと疑問です。
◆状況が悪い今が生き方を転換するチャンス
岡田 今の男性の働き方は見直す必要があるということですが、男性の働き方を変える仕掛けみたいなものはないでしょうか。
田中 誰かのためというのは駄目ですね。今はみんな「なぜ俺は働いているのか」「なぜ生きているのか」ということを考えないようにしているんです。「僕ら男性の人生は何なのか」ということを、もう少し真剣に考えたほうがいいと思います。
男性はそんなに雑に扱われる必要もないし、自分がやりたいことをやるべきにもかかわらず、そのような扱いを受けているんです。この手の議論をしたときに、「ローンがあるんだから仕方ない」「男の生き方は仕事中心が当たり前だ」という、「仕方がない」と「当たり前」を言ったらおしまいだと思います。
私の言っていることで、自分が否定されたと思い、攻撃されていると感じる人がいるようですが、そうではなくて、私は「あなたはもっと敬意を払われるべきだし、大切にされていい存在ですよ」と言っているわけです。でも、それは考えても仕方がないし、考えたくないことだから、攻撃されたと思ってしまうわけですね。
だから働いている男性には、誰が味方なのかをよく考えていただきたい。私以外にも、精神科医の先生が男性の生きづらさみたいな本を書いていますし、この動きはもう止まらないと思います。そうすると、「言ってもいいんだ」となっていくので、これからは変わらざるを得ないのではないですかね。
岡田 若い世代は修正可能ですが、中高年は先生の本を読んでも、今からどうしたらいいのか分かりません。自分のポストにしがみつく「老害中年」の問題もあります。どうすれば中高年の皆さんに切り替わってもらえるのでしょうか。
田中 今は経済的な状況がとても悪いわけです。企業にしがみついていても得られるメリットがないということは非常に幸いです。メリットがあるうちは離れられない。そこから離脱していくことは非常に大きなデメリットとなるからです。でも、一つの企業に固執することにさほどメリットがないとなれば、適切な距離を取ればいいと思うんです。
この経済的な状況の悪さが、男性が生き方を転換するという意味で非常にチャンスだと思います。経済的なメリットがあると辞められないけれど、「どうもお父さんだけが働いていても駄目らしいぞ」となれば、「これは新しい生き方が必要だよね」という議論に接続しやすいと思います。
男性学というのは約30年前からあったのに、なぜはやらなかったかというと、男の人の働き方を見直そうという議論が通用しなかったんですよ。男性が仕事中心の生き方をすることは明らかな社会の前提で、そんなところを疑っては駄目だという感じだった。それがここ2~3年、私がいろいろな人の前でしゃべるチャンスが与えられているのは社会が変化してきたからです。
男性学というのは、本来は非常にマイナー学問です。それが注目されているということは、それだけ雇用の劣化が進んでいるということです。だからそれはチャンスだろうと思うんです。
◆中高年は手放すことを考えよう
◆中高年は手放すことを考えよう
岡田 何の準備もしてこなかった中高年が、キャリアシフトチェンジなんてできるんでしょうか。
田中 当然できるわけがないと思います。でも、40歳になったら人生はあと半分です。中高年はしがみつくことを考えるよりも、手放していくことを考えるべきだと思うんです。そこに求めていても仕方がないし、もう次の世代に譲る順番なんですよ。譲っていくしかないわけです。
そこで足かせになるのが、性別役割分業モデルで、お父さんが手放したら家族が路頭に迷ってしまうということです。
岡田 そういう状況になったときに、それはどうなんでしょうか。
田中 それは設計ミスだと思うんですよ。そもそも、性別役割分業をして日本を経済的に成長させなければならないとなったときの、失政のツケなんだと思っているんです。だからえらいことをしてくれたなと思うんですけども。
岡田 それは政治の責任ですか。
田中 政治の責任だと私は思います。高度成長期には国が主導して専業主婦を養成しているわけですよ。右肩上がりのときはいいですけど、低成長が来たらあっという間に破綻する話ですよね。
◆行政に期待せず、自分のできることをやる
岡田 その時代は終わったと、もう20年ぐらい言っているけれど、いまだに切り替わらないですよね。でも、どこかのタイミングで切り替わらなくてはいけません。そのときには行政が何かサポートしなければいけないと考えているのですが。
田中 それは非常にスピードが遅いものに期待することになります。現実が駄目になっていくスピード感に対して、国がやれることのスピード感はとても遅いですから。これは個人レベルで違う対策もとっておかないとまずいのではないかと思いますね。
自分の住んでいる地域で、地域活動をして知り合いをつくっていく。つまり、自分の住んでいる街を自分の街にしていくということは、今すぐできる対策だと思っています。
岡田 地域活動をすることが解決策なんですか。
田中 私はそうだと思うんです。普段から近所の人と交流している、地域のイベントに参加している、ボランティアでお祭りの手伝いをしている等があれば、何かあったときにご近所の力を借りることができます。自分ができることをやらないで、公的に支援をすべきだと言うのはおかしな要求だと思うんですね。最近の人は自治会とか地域活動とかを嫌がりますよね。でも、そうやってコストを払って近所にネットワークができれば、何かあったときに力になってもらえるんです。
岡田 それは社会学で言うところのソーシャルキャピタルということですか。
田中 そうです。社会関係資本ですね。
岡田 社会保障の分配論とか財政的な話ではなくて、つながりというものを戦略的にやるべきだということですか。
田中 全部自助努力にされてしまうと、それはそれで問題です。でも、政治にお願いしていると間に合いませんからね。そして人脈作りは直接的にはお金がかからないことです。ですから、今の若い人の極端な個人主義については見直すべきだと思っています。
岡田 Facebook などのバーチャルなソーシャルネットワークではなく、ある意味暑苦しいリアルなネットワークということですね。
田中 まあ限度はありますけれど。そうすると行政と個人をつなぐ媒体は必要になるので、NPO 的なものがもっと機能しなくてはいけません。実は行政の方たちも意外と市民とのつながりを持っていないんです。
◆命と仕事、生涯と仕事のバランスを考える
◆命と仕事、生涯と仕事のバランスを考える
岡田 最後に読者にメッセージをお願いします。
田中 ワーク・ライフ・バランスといったときのライフの意味をもっと真剣に考えるべきではないかと思います。
ライフには「生活」のほかに「生命」という意味があります。そして本当に命を削って働いている人がいるわけです。自分の健康よりも仕事が優先されるようなことが横行するならば、人事の方は何かしら考えなければいけないと思います。
もう一つ「生涯」という意味があります。仕事というのは自分の生涯の中の一部です。そのことを多くの人は忘れているのではないでしょうか。仕事をしているから友達もいらない、趣味もいらないと言いますけれど、仕事を辞めた途端に、趣味もなければ友達もいない人になってしまいます。生涯と仕事のバランスは考えたほうがいいと思います。
目先の生活と仕事のバランスというよく言われるレベルではなく、命と仕事のバランス、生涯と仕事のバランスを考えることが、従業員に対する企業の社会的な責任ではないかと思います。それはぜひ考えていただきたいですね。
岡田 生命の危機に直面するような働き方を強いられている人は、現実にいますからね。
田中 何度も言いますが、男性はもう少し大切にされるべきだし、自分の命を大切にすべきだと私は思うんです。
岡田 こういう働き方をしてきた人は、居場所を複数確保することができない。唯一居心地がよかった職場が、今は居心地が悪くなってきた。いよいよ考えていかないと難しいということです。でも、そこまで余裕がないので、どうしてもさまよってしまう。
田中 でも、こんな状況の中で経済成長を目指すなら、その「命削って働きます」という道しかないわけですよね。
◆マイナーチェンジは自分の首を絞めるだけ
岡田 最終的には自覚なんですかね。会社が変わることや法律が変わることに期待すると時間がかかるから、自分自身で行動を変える、考え方を変えることが必要となってくるということですか。
田中 当然ですね。国や企業の変化はとても必要なことですが、一番つらいことだからみんなやらないんだと思うんです。「国が悪い。公的なサポートがない。ブラック企業はどうしようもない」と言うのは、敵が外にいるので楽だと思います。でも、企業批判や国の批判というのは確かに耳障りがいいですが、それでは何も変わらないと思います。
ただ、この問題を真剣に考えると、根本的に生き方を変えなければいけなくなる。それが怖いので、マイナーチェンジで済ませたい人は、国が悪い、会社が悪いと言っているんです。正直、私が言っていることが一番過激だと思うんですね。根本的に男性の仕事中心の生き方を変えましょうという提案をしているので。
岡田 「このタイミングで言われましても」という中年世代は、マイナーチェンジを考えるということですね。でも、マイナーチェンジでも、変えないよりはいいですか。
田中 マイナーチェンジはモデルの変化がないので、結局自分の首を絞めているだけです。マイナーチェンジはよく言われる「ゆでガエル」だと思うんですよ。「マイナーチェンジして気持ちいい職場になったね」などと言っているうちに、ゆでられて死ぬことになりかねません。だから、変わるのだったら妥協せずに、抜本的に変えたほうがいいと思います。
岡田 ありがとうございました。