私たちが人事担当や人材ビジネスパーソンとして「人材マネジメント」を実現していく上で表面的に綺麗でも薄く、浅い議論や業務遂行に終始しないため、もっと「人を知る」必要があると考えます。
そこでこの連載では、人や組織、コミュニケーション等に関わる社会的活動や研究を行っている方などにインタビューを行っていきます。
聞き手:インサイト編集部員 荒川 勝彦
ゲスト:中央大学陸上競技部 駅伝監督 藤原 正和 氏
兵庫県出身。西脇工業高等学校、中央大学卒業。2003 年本田技研工業株式会社入社。世界陸上競技選手権大会男子マラソン過去3 回日本代表。ユニバーシアード北京大会ハーフマラソン、2010 年東京マラソン優勝者。初マラソン日本最高記録・マラソン日本学生最高記録保持者。2016 年現役を引退し、中央大学陸上競技部駅伝監督就任。
荒川勝彦(編集部会) 本日は、中央大学の駅伝監督の藤原正和さんにお越しいただきました。藤原さんは、今年の4月に母校中央大学の駅伝監督に就任されたばかりです。まずは、ご自身が現役選手だったころの経歴について、お聞かせください。
◆不調の時期を乗り越え世界へ
◆不調の時期を乗り越え世界へ
藤原正和(中央大学陸上競技部駅伝監督) 1999年に中央大学に入学して、卒業まで陸上部に在籍していました。戦績としては、3大駅伝(出雲・全日本・箱根)には4年間全部出場させてもらい、箱根駅伝では区間賞を2回、それと2年生のころは往路で優勝を果たしています。充実した競技生活を過ごすうちに、だんだんと世界で戦いたいという思いが強くなり、オリンピックを意識して走るようになりました。卒業前に出場した選考会では新記録を樹立し、世界選手権の代表になることができました。
ただ、ホンダに入社後、担当コーチが急に交代して練習環境も大きく変わりました。そこにうまく適応することができずに故障をしてしまい、世界選手権も欠場せざるを得なくなってしまいました。その後も、遅れを取り戻そうという思いばかりが強くて、けがや体
調不良を繰り返すことになります。
その後、引退も視野に入れつつ、やり方をがらっと変えて取り組んだところ、10年ぶりに世界陸上に出場、その次の福岡国際マラソンの4位入賞(日本人では首位)を経て、昨年の世界陸上北京大会にも出場させていただきました。この辺は、会社の昇進試験もあったりして、朝出社して20時まで仕事、その後にやっと軽く練習という生活が続いていたのですが、一般的な社会人の苦労も学んで精神的に成長できたことが、成果につながったのではないかと感じています。
その後、リオオリンピックも目指していたものの選考会の舞台には立てず、中央大学からお誘いをいただいたこともあり、引退して、今の仕事に就くことにしました。
◆教えることの難しさ
荒川 昨年まで現役選手として活躍されていたのですね。指導側になって、何か思うことはありますか。
藤原 今の立場になって、人に何かを教えるというのはすごく大変だと感じています。私自身が思っている「当たり前」と、選手たちの感じている「当たり前」のレベルに圧倒的な差があるんです。私がそのレベルまで降りるべきか、選手をこちらまで引き上げるべきなのか、どちらが正しいのだろうと考えてしまいます。
荒川 具体的に、どういったところでその「差」を感じられましたか。
藤原 「次のこの練習は大事なポイントだから、準備してきて」と言っておいたのですが、彼らは気持ちの準備と捉えたようなんです。気持ちもそうですが、私としては、前日の夜からストレッチを多めにやるなり、ケアの道具を使って足の疲れを抜いておくなりして準備をするという指示のつもりでした。そういう、言葉1つでも全然ポイントが違っているということが、最初のころは多かったですね。
しかも、身体の準備をすると分かったところで、選手はストレッチのやり方も知らない、ケア用品はあるのに使い方を知らない、面白いテレビ番組があるから翌日を考えずに夜更かししてしまう。1つずつ教えてはいますが、結局、競技に対してどこまで本気になるかの熱量の差があると感じています。
今の1年生は、入部後すぐに教えているので割とすっと私の指導が入っていくようなのですが、学年が上がるにつれて難しいですね。4年生になると、普通に就職する選手がほとんどですし、この先続ける子でも、今までやってきたからいけるだろうと考えているようで不安に感じます。何のために実業団に行くのかと聞いても、「いい会社に就職できる」「走ることで食べていきたい」など、私からすると漠然とした答えしか返ってこないのです。お金をもらって走るというのはそんなに簡単なことではないとか、競技に対する熱量とか、そういう気持ちの部分を教えるのは本当に大変で、きついことを言ってもなかなか心に響いていないと感じています。そこは試行錯誤している段階ではあります。
ただ、私は選手たちをこういうふうに社会に出したいという思いを持っていますが、結局は彼ら自身がそう思わないと、どんな指導も入っていかないのかなと思っています。
◆波紋を呼んだ1年生キャプテン擁立
◆波紋を呼んだ1年生キャプテン擁立
荒川 監督就任後、選手たちとどういうやりとりをしてこられたのですか。
藤原 3月の記者会見のあと、その足でキャプテンとマネジャー長にチーム状況を聞きにいきました。そのときに、今の4年生と2、3年生は別で活動させられていることを初めて聞かされました。4年生のある選手が試験の悪かった点数をSNSにアップしたことが分かって、3年間教育してもまだそんなことをしてしまう、これは一度チームと切り離して考え方を変えさせようということだったようです。
コーチもついていなかったので、当然4年生たちはまともに練習ができていません。それで、慌てて2、3年の話も聞いて、一緒のチームとしてまたやっていこうということでスタートさせました。
荒川 大変なタイミングで引き継がれたのですね。結構気を遣われたのではないですか。
藤原 そうですね。まずは選手みんなのことを知るためにも、4月の終わりまでは絶対に怒らずに、とにかく話をしようと心掛けました。その中で、チームの山積みの課題を1つずつクリアにして、その結果を見てという作業を繰り返していきました。
ただ、5000メートルまでの距離はある程度走れるようにはなったものの、1万メートルは付け焼き刃程度にしか練習していないので、6月の全日本の予選会では全く結果を残せませんでした。さすがに当日の夜は、4年生もショックを受けていたようです。ですが、次の日になるとけろっと忘れたように普通どおりでした。伝統ある名門チームとしてこれはまずいと思いました。以前から、キャプテンにはチームを率いていこうという感覚が欠如しているのを感じていましたので、4年生で話し合って、新しいキャプテンを決めてもらいました。
その後、新しい体制での全体ミーティングということで、全学年で意見を出し合う場をつくりました。ところが、4年生たちが選手だけでやるというので任せていたら、ミーティングは10分程度の短時間で終わってしまって。今後のチームの指針を聞けると思ったのに新しいキャプテンと副キャプテンの紹介程度で、意見を言う場もつくってもらえないのはおかしいと、下の学年の選手たちが言いに来たのです。
もうこれは、4年生にはチームを率いる資質がないのだろうと思いましたね。それですぐに全員を集めて話し合わせたのですが、4年生は言い訳ばかり。出てくる方針も、「全員で掃除をしましょう」というレベル。そのときに1年生たちが出した意見が、私の思う、本来あるべき姿を指していたのです。2、3年生もそのレベルの意見は出してこなかったので、競技力もあるし、意識も高い、これは1年生しかないということで、キャプテンと副キャプテンを1年生にすることをその場で決定しました。
そこから、まずは型にはめて、あるべき強いチームとはこうなんだという状態に持っていこうとしています。ようやく雰囲気も変わり、選手たちも自己ベストも出せるようになってきました。
◆それぞれの反応
荒川 1年生のキャプテンというのは、大胆な決断ですよね。上の学年は、かなり反発したのではないですか。
藤原 もちろん1年生が上に立つということで、2、3年生も下に指示されるのは何となくむかつくという思いがあったようです。
荒川 どうやって、受け入れていったのでしょうか。
藤原 1年生たちは、今までのいろいろな悪習にメスを入れていきました。スポーツ推薦で入学した人の寮は、最低でも5000メートルで14分40秒を切らないと入れません。ですが、今の2~4年には、その記録を出せていない選手もいます。走れないのなら寮を出たほうがいいのではないかと1年生が言い始めて、2、3年生はさすがにまずいと思ったようです。反発というよりも、追い込まれて何かやらなくてはと考え始めたようです。
4年生は、やはり権限を奪われたという意識があったようです。年下の言うことを聞くのは抵抗があると言ってきた選手もいました。取りあえず次の試合までは頑張れと話して、7月の大会で5000メートルを走らせたのですが、その4年生は14分9秒、1年生キャプテンは13分台でゴール。結局、「大学生活の最後に箱根に出たいので頑張ります」という方向に変わってくれました。
一方で、1万メートルに出場したら32分もかかってしまい、私にしかられて気持ちが折れてしまった選手もいます。コーチがいろいろアプローチもしてくれていますが、この期間ではもう変わらないかもしれません。残りの学生生活では面白くない時間を過ごさせてしまいますが、時がたてば、いつか気付くときがくるのだと思います。
◆先を見据えて指導にあたる
◆先を見据えて指導にあたる
荒川 今後、どういうことをやっていこうと考えられていますか。
藤原 まずは、海外合宿を定期的に行って、世界に出て行くような選手を育成したいですね。若いころから世界のレベルを経験して、場慣れをして、日本以外の世界観も学ばせたいです。あとは、一般生で入部するような学生も含めて、一度でも箱根に出られるような力を付けて卒業させたいですね。4年間を通じて、社会に出ても恥ずかしくないような人材を育てて、送り出したいという思いがあります。
私自身も箱根駅伝で総合優勝はできなかったので、そこを目標にしています。ある程度の選手をスカウトできないと難しいので、時間はかかりますが、2025年を目標にと学内では言っています。
荒川 2025年、楽しみに待っています。では、最後に読者の方にメッセージをお願いします。
藤原 私自身も試行錯誤しながら指導を行っていて、正しい答えはないと思いますが、5年、10年先にその人の人生や、会社の業績がよくなるようにという思いでやっていくのがいいのではないでしょうか。その場では評価されなくても、何年かあとに感謝の言葉が聞けるようなやり方が、本来の仕事のあり方だと思います。
荒川 ありがとうございました。