【評者】高橋一基(フェニックス研究会前代表)

『聞く技術 聞いてもらう技術』 東畑開人著(amazon)

人事として配属された当初、他人の話を聞く機会が多いことに戸惑った記憶がある。学生時代は同級生や年齢の近い人からの悩みを聞くことがほとんどだったが、人事として配属されると、親と子ほども年齢が離れた社員の悩みを聞かなければならない。しかも、自分が経験したことのない重い悩みばかりで、20代半ばの若者には相槌すら言葉を選んでしまった。
年齢なりの場数を踏んだこともあり、多少は話を聞くことに慣れてきたが、「そもそもなぜ、人は他人に悩みを聞いてほしくなるのか」という疑問は残った。この疑問を解消できるのではないかと思って評者は本書を手に取ったので、紹介したい。

第一章では、聞くことは社会の中でグルグル循環していて、その循環が社会全体のリソース不足などで余裕がなくなり、循環が壊れてしまうことを説明している。第二章では、聞くことの中核にある孤独の問題が論じられている。ここで重要なのは「孤立」と「孤独」の違いだ。「孤立とは心の内側では悪しき他者に取り巻かれている状態であり、孤独とは心の内側にぽつんと一人でいられる個室を備えている状態」(p119)とした上で、孤立を防ぐ・解消するために、「聞いてもらう技術」が必要になる。
第三章では、孤立やつながりをもたらす起点として「ふつう」という言葉を分析している。人を孤立させる悪しき「ふつう」と、つながりの回復を促す良き「ふつう」があり、その違いは「理解をもたらすか」。本書での例を挙げると、「それくらいふつうでしょ」と言われると、それ以上理解を深めることができない一方で、「それはふつうの状態じゃないよ」という言葉をかけると、相互理解に資するものになる。
第四章では、誰に聞いてもらうべきかという問いへの答えとして、「友人的第三者」という概念を挙げている。この言葉は誤解されやすいので、著者の説明をそのまま引くと、「友人的第三者の力点は『第三者』のほうにあります。問題から少し離れたところにいる誰かというのは、助けを求めると基本的に親切にしてくれるものだと思うんですね。そして、親切にしたりされたりしている関係を、僕らは『友人』と呼ぶのだと思うわけです」。つまり、自分の問題から距離があって、親切にしてくれそうな人を頼ろうということだ。

上記はどれも、「聞くこと」と「聞いてもらうこと」を循環させるために、どのような問題が立ちはだかっているかを概観したものである。では、そもそもなぜ、聞くことと聞いてもらうことの循環が必要なのか。その回答として、本書のあとがきに「責任の分担」と端的に記されている。本書の核心はここにある、と評者は思う。聞いてもらうことは自分が抱えている問題の一部を他者に引き受けてもらうことで、聞くことは責任の分担に協力することだと捉えると、話を聞くことの意味合いが違って捉えられるだろう。本書を通して、話を聞くことが仕事の一部になっていることの意義と重みを、改めて実感している。