エビデンスとの上手なつきあい方

 多くの企業(組織)で報酬制度・評価制度やタレントマネジメント、人事情報管理システムを導入する場面があるかと思います。その際、経営層からの依頼で人事部門が精力的に動けば動くほどライン(現場)の意向と乖離してしまう現実は意外と多いようです。何故なのでしょうか。

 現場の声を吸い上げましょう!社員の思いに真摯に向き合いましょう!など至極当然なスローガンを掲げるのは良いですが、具体的アクションとは何でしょうか。

 最近よく耳にする言葉にHRテック(HRテクノロジー)があります。要は、経験と勘を頼りにした人事から具体的事象(データやファクト)をベースとした人事に転換していきましょうという内容です。ここで、データやファクトを構成するのがエビデンス(証拠・根拠)です。人事情報管理システムを導入する際の根拠は何でしょうか?評価制度の妥当性を検証するための証拠はどこに存在するのでしょうか?

 アカデミック(研究)分野でエビデンスとは、(1)ある特定の場所・時間において(2)科学的に検証された(3)事象Xと事象Yとの関係と定義します。人事施策に限らず、「何らかの企画をたてる」ときにはエビデンスがあったほうがいいと思うでしょう。なぜなら、エビデンスがないと不安になるからです。人間だれしも失敗したくないですし、何らかの判断の拠り所になるような、過去の経験は「無いよりはあったほうがいい」でしょう。そうなると、どうやらエビデンスに基づいた人事施策導入は必須ですねという話に帰着しそうです。

 しかし、現実はそう単純ではないようです。人事の世界を見渡してみると、多くの企業で「エビデンス万能神話」が幅を利かせています。エビデンスを「万能のもの=すべてを予測する答え」と捉える見方が広がっているようです。しかし、場合によっては、このような見方が、却って関係者の視野を狭窄している気もします。また、場合によっては関係者の「思考停止」を招いているような気もします。

 先程述べましたように、エビデンスとは、(1)ある特定の場所・時間において、(2)科学的に検証された、(3)事象Xと事象Yとの関係のことを意味します。であるならば、研究知見とは、「限定された研究対象において導かれた、因果関係」であり、その知見の適用可能性や適用範囲には一定の「制約」があるということです。アカデミック(研究)分野では、そんなことは「百も承知」で、あらゆる科学的論文には「limitation(制約)」が述べられています。そして、科学者(サイエンティスト)ならば、この知見の「一般可能性(一般化できる範囲)」を必ず頭に思い浮かべると言われます。このことはプラクティカル(実務)のシーンでも同様ではないでしょうか。

 しかし、プラクティカル(実務)のシーンに当て嵌めようとすると、「limitation」や「一般化可能性」は忘れ去られ、奇々怪々な俗説やバイアス(先入観や誤解、根も葉もない噂)が一人歩きしてしまいがちです。

 当然ですが、A国はC国とは違う国です。そして、B市とD市は違う市なのです。そこに住む人々も、文化的背景も、社会背景も、全て異なるでしょう。場合によっては、時代も、導入された背景に異なるでしょう。組織内においても、A部署とB部署、C職種とD職種は異なるでしょう。特に「人事のような人(ヒト)にまつわる問題」は「薬品」ではありません。「薬品」をふりかけるがごとく、「Aのシャーレ」で起こったことが、「Bのシャーレ」で再現されるとは限らないのです。もちろん、エビデンスは、それを導入したいと思う皆さんが「考えるための参考」にはなるかもしれません。

 しかし、それを「そのまま、ザックリ適用」できるものと考えるのは、やや「非科学的な態度」と言えそうです。

 エビデンスは「答え」を提供するわけではありません。エビデンスは「結果の保証」も行ってくれるわけではありません。しかし、世の中に蔓延しているように見える「エビデンス万能神話」は、エビデンスを「答え」と見なす傾向があるように感じます。すなわち、「世の中のどこかで得られた科学的知見」は、「他のどこにでも通用する」と思われている節があります。おそらく、そんなことはありません。エビデンスは「ホームラン(大成功)」を約束するものではないようです。エビデンスとは「空振り三振(はしにも棒にもかからないような、無駄な失敗や無駄な議論)」を防ぐ程度の効果をもつものだと考えるくらいで「丁度良い」のではないでしょうか。

 話を人事施策導入に戻すと、結局は、「人事担当者自身が当事者意識を高め、主体的に考えることであり、決断すること」なのです。先程の例で言えば、結局は、バッターボックスに立つ「人事担当者」が現場を真摯に見つめ、深く考え抜いて、バットを振り切ることだということになります。人事担当者が膨大なデータに埋もれながら格闘し、「エビデンスバカ」に陥ってしまうことは避けなければなりません。


JSHRM 執行役員『Insights』編集長 岡田 英之
【プロフィール】
1996年早稲田大学卒
2016年東京都立大学大学院 社会科学研究科博士前期課程修了〈経営学修士(MBA)〉
1996年新卒にて、大手旅行会社エイチ・アイ・エス(H.I.S)入社、人事部に配属される。その後、伊藤忠商事グループ企業、講談社グループ企業、外資系企業等にて20年間以上に亘り、人事・コンサルティング業務に従事する現在、株式会社グローブハート経営統括本部長、組織・人事コンサルティング部長、グループ支援部長
■日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員 ■2級キャリアコンサルティング技能士 ■産業カウンセラー ■大学キャリアコンサルタント ■東京都立大学大学院(経営学修士MBA)