東電や東芝など巨大企業の不祥事が後を絶たない。ガバナンス論を中心に様々な原因が指摘されているが、最終的には組織と人に関わる問題なのである。不祥事が生じるメカニズム(組織)とそこに関わる人(人事)の背景には何があるのだろうか?人事考課を通して探ってみたい。

大阪産業大学経営学部商学科講師 中原 翔 氏

寄稿:大阪産業大学経営学部商学科講師 中原 翔 氏
2013年3月、神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期課程を修了。
2015年6月、(公財)神戸大学六甲台後援会第8回社会科学特別奨励賞(凌霜賞)受賞。
2016年3月、神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程を修了。
博士(経営学)。同年4月より現職。
専門は経営組織論、経営管理論、企業倫理論。

1.緒言

 本稿の目的は,巨大企業の不祥事(以下,巨大不祥事)としてエンロン事件を取り上げ,その人事考課システムに着目しながら,日本企業の人事考課システムを検討することにある。近年,組織の不祥事(以下,組織不祥事)が人々の耳目を集めている。エンロン事件のような,海外事例だけではない。国内でも様々な事例が注目を集めている。このような組織不祥事が日夜報道され続けると,特異な現象というよりもむしろ日常的な現象に思えてしまう。日常的な現象だからこそ,それを後世に語り継ぐことも重要である。このことに着目する樋口(2009)は,組織不祥事を当該組織の「財産」と位置づけている。

 とはいえ,それは「負の財産」に違いない。だからこそ,われわれは組織不祥事を未然に防止する施策を考えたり,実際にその施策を講じるのである。しかし,他方で組織不祥事とは自社に関係ない出来事とも思えてしまう。このような「非当事者性」もまた組織不祥事を考える上での重要なキーワードになるのだが,本稿ではより自組織に関係のある出来事として実例を考え直していく。このような問題意識から,本稿ではエンロン事件を実例として取り上げ,この事件がいかなる意味で組織運営に役立つのかを再検討する。より具体的には,エンロン事件の発生原因を「時価会計制度」ではなく「人事考課システム」に帰着させることで,(経理の観点ではなく)人事の観点から教訓を導いてみたい。

 本稿は,以下の流れに沿って議論を進めていく。第一に,そもそも組織不祥事とはどのように定義され,研究されているのか,組織不祥事研究の概要を押さえる。第二に,巨大不祥事の例としてエンロン事件の概要を述べ,この事件がいかなる事件として人々に認識されているかを確認する。第三に,エンロン事件における人事考課システムへの着目である。ここでは,あまり注目されてこなかったPRCシステムという人事考課システムに注目する。第四に,360度評価の功罪について議論する。

2.組織不祥事研究の概要

 ここからは,組織不祥事研究の概要について述べていきたい。そもそも,組織不祥事(organizationalcorruption)とは,「企業不祥事(corporate scandal)」とは異なり,企業のみならず政府,警察,消防,医療に関連する組織を対象とする(間嶋,2007)。そのため,組織不祥事研究においても単に企業の不祥事だけではなく,政府や医療の不祥事事例を扱っている。このような組織不祥事は,「公共の利害に反し,(顧客,株主,地域住民などを中心とした)社会や自然環境に重大な不利益をもたらす企業や病院,警察,官庁における組織的事象・現象のこと」(間嶋, 2007,2頁)と定義されている。

 このような組織不祥事について最も学術的に議論されているのは,組織不祥事がなぜ発生するのかという発生原因についての議論である。組織不祥事の発生原因については,主に(1)個人の行為(behavior)を発生原因と見なすものと,(2)組織の文化(culture)を発生原因と見なすものに類型化されている。例えば,前者であれば逸脱行為(deviant behavior)に始まり,反社会的行為(anti-social behavior)や反生産的職務行為(counterproductive behavior)が挙げられる。組織では,個人の行為が一体どの行為に該当するのかが特定されながら,その行為を未然防止するための施策が講じられることになる。後者については,組織文化論(organization culture theory)の観点から,組織不祥事が発生した組織の文化が分析されている。このように組織不祥事研究では,どのような発生原因があるかについて,行為と文化の観点から研究がなされている。これらの特徴をまとめると,以下のようになる。

図表1 組織不祥事研究の特徴
(1)組織不祥事とは,企業や様々な組織を含めた,重大な組織的事象である
(2)発生原因は,個人の行為と組織の文化に大別されている
出所)筆者作成

 ここで興味深いのが,これらの発生原因が実は米国や日本に古くから受け継がれている「ことわざ」と密接に関係しているということだ。米国には,“One bad apple spoils the barrel(腐ったリンゴが樽を腐らせてしまう)”ということわざがある。これはまさに個人の悪い行為それ自体が組織を破滅に導いてしまうことを指している。これをもじって,“One bad barrel spoils the apples(腐った樽がリンゴを腐らせてしまう)”という言い方をするそうだが,これは組織の悪い文化が個人の行為を悪質なものにしてしまうことを指している。日本においても,「腐ったミカン(の方程式)」という言い方が一時期広まったことがある。これもまた,米国の例と同様に「個人の悪い行為が組織全体を悪い方向へ導くこと」を指しているが,興味深いのはリンゴ(米国)でもミカン(日本)でも同じ現象を指すことだ。

 ここまで組織不祥事研究の概要を確認してきた。ここで指摘しておきたいことがある。というのも,組織不祥事研究においては様々な発生原因が特定されつつあるのだが,それはあくまで個人の行為か組織の文化に帰着されてしまうということである。つまり,いかなる組織不祥事であっても行為か文化の問題として考えられてしまう。しかし,そうである以上,組織内部のシステムや制度が議論の俎上にのぼることはあまりない。本稿が着目する人事考課システムについても殊更その傾向にある。

 しかし,われわれが考えなければならないのは,より広い視野で組織不祥事を考え直すことであり,行為や文化のみならず,その他の制度やシステムの問題として組織不祥事を考えてみることである。そうすることで,組織内部で実施される施策もまた,個人の行為を咎めるものであったり,組織の文化や風潮を是正することに終止しなくなる。つまり,行為,文化,システムといった様々な次元での施策を検討することが可能になるのである。

 このような検討から,本稿ではエンロン事件を取り上げ,そこで採用されていた制度やシステムに着目する。もともとエンロン事件は,時価会計制度の導入が発生原因であったと結論付けられている。もちろん,この考察自体は間違いではない。しかし,その他のシステム,特に人事考課システムに着目することで,現在,人事考課システムを運用する人々が有益な示唆を得られる可能性がある。そこで本稿では,エンロン事件の概要を示し,(陰ながら)指摘されていたPRCシステムという人事考課システムに着目する。そして,PRCシステムを取り上げることで,わが国で現在でも用いられている360度評価システムの功罪を考える。

3.事例:エンロン事件

 言うに及ばず,あらゆる事業活動に甚大なる被害をもたらしたエンロン事件は,今なお語り継がれる教訓的事件である。もともとエンロンは,1985 年7 月に天然ガス・パイプライン会社ヒューストンナチュラルガスとインターノース・オブ・オハマが合併して出来た会社である。規制緩和されつつあったエネルギー市場に積極的だったエンロンは,天然ガスや電力商品,そしてデリバティブ(金融派生商品)の取り扱いを開始し,順調に事業拡大していった。2000年には,売上高が1,000億円を突破し,全米第7位の超巨大企業に成長していたのである。

 ところが,2001年に入ると破綻までの道のりを辿ることになる。事業拡大路線を歩んでいたエンロンであったが,この頃に不正会計に対する疑念をもたれるようになった。というのも,創業当初からエンロンを急成長させてきたケネス・L・レイ(Kenneth L. Lay)がCEOを退いてジェフェリー・K・スキリング(Jefferey K.Skilling)に交代した後,スキリングはわずか数ヶ月後にCEOを自ら退いたのである。その後に明らかになったのは,「多くの経営陣が,投資家に対して株価の回復を吹聴しながら,自分たちは株を売却していた事実や,ヒューストンのアーサーアンダーセン会計事務所でも,エンロンに関連する書類の破棄が指示されていたなど,エンロン事件の隠蔽に深く関わっていたという事実であった」(堀口, 2012, 117 頁)。つまり,一方で経営陣はエンロン内部の不正会計を知りながらも,他方でエンロン外部の投資家らに対して株価の上昇を約束していたのであった。

 このことからエンロン事件の直接的な発生原因は二重帳簿などの不正会計であったと結論付けられている。そして,この不正会計を助長した会計制度こそ,時価会計制度であった。時価会計制度とは,例えば株式や債券,その他のデリバティブなどの金融商品を毎期末の時価で評価し,財務諸表に反映する会計制度である。これにより,エンロンは見かけ上の利益を水増しすることに成功し,仮に損失が出た場合にでも裏帳簿にそれを記載することで一時的に難を凌いでいたのであった。

 しかし,より重要なことは,エンロン事件を導いたのは時価会計制度だけではないということである。エンロン内部においても,(形骸化した)急成長を支えるための人事考課システムがあったからである。エンロンが破綻した当時に社内で働いていた人々へのインタビューを通じて製作された映画,『エンロン:巨大企業はいかにして崩壊したのか(原題は,“Enron:The Smartest Guys in the Room”)』では,この人事考課システムに言及する人物へのインタビューが行われている。神妙な面持ちでインタビューに答えるのは,ベサニー・マクリーン(Bethany McLean)である。彼女は言う。「(スキリングは)世の中を“進化論”的に見る人で“人を動かすのはお金だ”と言い切っていました。その後,彼は人事考課システムであるPRCを採用したのです。」

4.エンロンのPRCシステム

 映画の中でマクリーンが言及したPRCシステムとは,実際のところ,スキリングが会社への貢献度の低い社員を解雇すべく設計した人事考課システムであった。PRCとは,“Performance Review Committee(成果評価委員会)”の略語で,これは次のような特徴をもっていた。第一に,ある社員の同僚や上司といった人々によって多面的な評価を受けることである。つまり,今で言うところの360度評価システムである。しかし,PRCシステムは単なる360度評価ではなく,「他の人物を蹴落とすことで自らの立場を向上させる」という,猜疑心に満ちた運用がなされていた。第二に,5段階評価である。エンロン社員は,基本的に1から5までの数字で評価されていた。1が最高評価で,5が最低評価である。この点については情報が少なく筆者の推測の域を超えないが,1が最高評価だったということは加点方式というよりも減点方式に近かったのかもしれない。このような点数からも猜疑心に満ちた運用背景が伺える。第三に,人員整理である。先述したように,PRCシステムは単なる人事考課システムではない。他の社員を蹴落とす,あるいは無能と評される社員を解雇するために運用されていたのである。したがって,エンロンでは下位15%もの社員の人員整理が行われていた。もちろん,これは最低評価を受けた人物の人員整理である。最も多い時でエンロンの社員数は22,000名を超えていたため,その15%であれば,単純計算でも3,300名にも及ぶ社員が人員整理の対象となっていたことになる。

図表2 PRC システムの特徴
(1)360度評価システムであること
(2)5段階評価であること ただし,1が最高評価で,5が最低評価であること
(3)下位15%の社員を対象とした人員整理が目的であったこと
出所)筆者作成

 このように,エンロン内部で採用されていたPRCシステムは利益重視(成果重視)の人事考課システムとして機能していた。もちろん,この人事考課システムが直接的にエンロン事件を導いたとは言えないかもしれないが,それが社員を,ひいてはエンロンそれ自体をあらぬ方向へ導いていたことは紛れもない事実であろう。この事例からわれわれが学ぶべきは,現代でも様々な組織に導入されている360度評価システムがいかに機能していたか(していなかったのか)という反省である。次節では,360度評価システムの功罪に言及する。

5.360度評価システムの功罪

 360評価システムとは,一体どのような人事考課システムなのか。一言で言えば,上司や部下,そして同僚(あるいは,仕事上で取引関係にある異なる部門の社員)などの多方面の人物が一人の社員を評価する人事考課システムである。この360度評価システムが導入された背景には,評価者と被評価者の一対一関係でもたらされた限界がある。評価者が一人で被評価者を評価しているとどうしても主観的な評価にならざるを得ない。そのため,そうした主観性を排して,より客観的な評価に近づけるために360評価システムが導入されたのである(金井・高橋, 2004)。

 それ故に,360度評価システムのメリットは様々な意見を様々な人物から得られることにある。上司,部下,同僚,異なる部門の社員など,評価される社員と様々な関係にある社員が評価を行うため,評価が一人の意見に集約されずに済むのである。金井・高橋(2004)によれば,その評価結果を本人へフィードバックすることが重要なのであり,フィードバックを通じて特に本人が自覚していない行為について変更を迫ることが重要だとされている。以上が,360度評価システムのメリットである。

 ところが,いかなる人事考課システムにもデメリットはある。360度評価システムとて,その例外ではない。エンロン事件では,あまり指摘されなかったことだが,この360度評価システムは談合や口裏合わせといった,インフォーマル(informal; 非公式)なコミュニケーションを生みやすい。それ故,一見すると客観的な評価のように見えても,それが予め被評価者によってコントロールされていることはいくらでもある。ここで,学術研究
から示唆を得ておきたい。日常生活における人々の相互行為を研究した社会学者・アーヴィング・ゴッフマン(Erving Goffman)は,人々には,「役割を遂行すること」と「役割の遂行に関して演技を行うこと」が期待されていると言及した(e.g., Goffman, 1961, 1974)。これは,人々がフォーマル(formal; 公式的)には与えられた役割を遂行するが,インフォーマルにはその遂行のために他者を魅了する演技を行うということである。これを360度評価システムに当てはめると,フォーマルには個人は被評価者としての役割を遂行するものの,インフォーマルにはその役割を遂行すべく他者に向けた演技を行う。この演技こそ,すなわち談合や口裏合わせであり,インフォーマルに自分が他者よりも頑張っていることをアピールしたり,難しい仕事をアピールするなどして高い評価を得るのである。360度評価システムは,一方でフォーマルな人事考課システムとして機能しつつも,他方で談合や口裏合わせのようなインフォーマルな連帯をより強固にするという危険性を孕んでいる。

参考文献
金井壽宏・高橋潔(2004)『組織行動の考え方:ひとを活かし組織力を高める9つのキーコンセプト』東洋経済新報社。
樋口晴彦(2009)『不祥事は財産だ:プラスに転じる組織行動の基本則』祥伝社。
堀口真司(2012)「エンロン,ワールドコム事件の倫理的側面:Gibson(2007)Ethics and Businessのエピローグより」『国民経済雑誌』第206巻,第4 号, 115-129 頁
間嶋崇(2007)『組織不祥事:組織文化論による分析』文眞堂。
Goffman, E.(1961). Encounters: Two Studies in the Sociology of Interaction, Bobbs-Merrill.(佐藤毅・折橋徹彦訳『出会い:相互行為の社会学』誠信書房。)