本稿では、小説の中に描かれた職場や仕事を紹介し、人事とは何かを探ってみたい。もちろん、小説はフィクションである。しかし、優れた文化的コンテンツの中には、現実の社会を鋭く切り取り、働く人々たちの潜在意識を顕在化させてくれる作品がある。人事担当者として専門知識やスキルを身に付けるだけならば、小説など読まずに、ビジネス書を読めばよいのだろう。ただし、最近のビジネス書の中にも、一見ビジネスとは遠いアートや文化が紹介されることもある。働く人たちの感覚や感情に近づくための教養力が求められているとは言えまいか。小説を読みながら人事について考える時間もきっと必要だと思うのである。

法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏

執筆者:法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏
大阪大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)
専門領域は労働経済学、教育経済学、人事組織経済学
近刊は『大学生の内定獲得: 就活支援・家族・きょうだい・地元をめぐって』(法政大学出版局)

◆予測不可能な危機の世界

今、世界は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行という危機に直面している。ここまで大事にになると誰が予測出来たろうか。日々の生活や仕事が大きく変化する中で、将来を予測し、未来を選択するという一連の行動が硬直しているように思える。事前に起こる確率分布がわからず、一度起こってしまうと、その影響は甚大であるような出来事に対しては、合理的に考えれば、決定を遅らせることが賢明な対応なのであろう。
しかし、そのように<未来=危機>と捉えてしまえば、我々は短い人生の中で何も選択できなくなってしまうのではないか。我々の仕事人生はあまりにも短い。じっくり様子を見ていると、残りの時間は少なくなるばかりだ。つまり、何も選ばないことも一つの選択なのである。
コロナ禍のような危機に直面すると、我々は、世界の不確実性を意識するようになるが、もともと世界は不確実であり、我々は、人生の有限性の中で、自分の限られた合理性を頼りに生きるしかない。
そうであれば、予測できない未来に向けて、いかに生きるかという課題に、我々はあらためて直面することになる。

◆暖簾とは何か

今回取り上げる仕事小説は、戦後社会派小説を代表する作家である山崎豊子のデビュー作品『暖簾』である。この小説は、明治、大正、昭和と親子二代にわたる大阪商人の不屈の仕事人生を描いた作品である。この小説は二部構成で、第一部は、故郷の淡路島から大阪に出た八田吾平が、『浪花屋』という昆布屋の丁稚に拾われ、大阪商人として成長し、活躍する姿が描かれる。そして第二部は、彼の息子が同じ商売で奮闘する物語である。吾平は、商人として才覚があり、苦労にめげないド根性もある。暖簾わけをして自分の店をもって大きくすることもできた。
ところが、吾平の生きた時代は、今以上に激動の危機の時代であった。本家の火事、第一次と二次の世界大戦、関東大震災、大阪の水害などの危機が訪れたが、小説の中の彼は、止まることをせずに、果敢に立ち向かっていく。ただし、この小説は、優れた商人の物語であるが、単なる成功物語でもなく、ましてやビジネス・ノウハウ本でもない。むしろ私は、優れた才覚や膨大な努力があっても予測不可能な大きな危機に対しては無力となるかもしれないのに、なぜ、吾平が商売を続けられたのかという、彼の非合理性に関心を持った。
その答えが、タイトルにもなっている「暖簾」である。吾平にとって、暖簾は商家の命であり、生死を賭けても守るものであった。暖簾は、大阪商人が遵奉する掟であった。つまり、彼は「わいは一人が躓いても転んでもそれだけやけど商売してる限り、この暖簾は最後まで残るもんや」と言う。つまり、個人の価値を越え、そして一商人の人生のスパンを越えるものとして暖簾という社会的価値がある。
実際、戦争や終戦後の混乱期に吾平の商売は行き詰まる。闇屋になって儲けることを彼は認めない。彼は、「暖簾という店の信用を象徴するものを持たない商法は、邪道だ」と考えたのである。
この小説を読むと、「暖簾」という信用の象徴的価値を信じることが、ある大阪商人を個人の狭い合理性から解き放ち、危機に立ち向かう力を生んでいることがわかる。しかし、この価値が、同時に目先に利得に対して飛びつかないという我慢を強いるのかもしれないのだ。

◆たった一つの人生を越えて

結局、暖簾は、吾平の一商人としての成功を生み出したのかと問われると、私にはわからない。彼は、暖簾と店を再興しようとするが、その道半ばで亡くなってしまう。最終的に、彼の商売(仕事)人生は失敗だったのであろうか。
私は、山崎豊子がこの小説を二部構成にすることによって、この問いに応えようとしたのではないかと想像する。第二部は、吾平の息子、孝平が戦地の捕虜収容所から帰還するところから始まる。彼は、大学でのインテリ商人であったが、父と同じ暖簾の価値を継承した、「丁稚精神」を持った大阪商人であった。彼の継承とは、妄信ではないし、懐古でもない。孝平は、暖簾を次のように考えた。

「昔のように古い暖簾さえ掲げておれば、安易に手堅く商いができた時代は去った。現代の暖簾の価値は、これを活用する人間によるものだ。徐々に、復活してきた顧客の暖簾の懐古に、安易にもたれてしまう者は、そのまま没落してしまう。暖簾の信用と重みによって、人のできない苦労も出来、人の出来ないりっぱなことも出来た人間だけが、暖簾を活かせて行けるのだった。」

実際、孝平は、目先の利益に流された商人が没落する中、商売を、暖簾を復興させる。読者は、親子二代の物語として暖簾の連続性を知るのである。
大きな危機に対して、個人の成功も失敗も予測不可能であり、未来に確かなものはない。しかし、それでもなお、自分を越えた社会的価値を信じてがむしゃらに生きた者だけが、危機に立ち向かえるし、自分の人生を越えて「生きる」ことができるのかもしれない。


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