コロナ禍で私たちの暮らしや生活が揺らぎ、企業や社会の仕組みにも変化が求められています。コロナウイルスに限らず、気候変動による激甚災害の増加、テロの脅威などこれまで想定してこなかったリスクが私たちの社会を脅かしています。こうしたリスクに晒されると多くの国民は考えます『私たちはどんな社会に生きているのだろう?これからどんな社会を生きるのだろう?』と…。
今回の特集2では、政治学、社会思想史がご専門の早稲田大学の藤井先生と民主主義や公共性、格差と貧困などのキーワードを手がかりに私たちの社会について考えてみたいと思います。
企業人事担当者の皆さまも組織という枠を超えて、より広い視野でコロナ禍での社会の在り方について考えてみるヒントを提供できれば幸いです。
聞き手・文:岡田 英之(Insights編集長)
ゲスト:早稲田大学講師 藤井 達夫 氏
1973年岐阜県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻博士後期課程退学(単位取得)。現在、同大学院ほかで非常勤講師として教鞭をとる。近年の研究の関心は、現代民主主義理論。『平成の正体』(イースト新書)、共著に『公共性の政治理論』(ナカニシヤ出版)、共訳に『熟議民主主義ハンドブック』(現代人文社)など。
コロナ禍の今こそ考えるべき私たちの社会の仕組み
岡田 英之(編集部会):本日は早稲田大学講師の藤井達夫先生にお越しいただきました。それでは藤井先生、ご専門分野と現在ご関心を持たれているところあたりから自己紹介をお願いできますでしょうか。
◆中国モデルに惹かれる人々、ゆらぐ民主主義
◆中国モデルに惹かれる人々、ゆらぐ民主主義
藤井 達夫(早稲田大学講師):藤井達夫と申します。私は政治学や社会思想を中心として研究しており、現在いろいろな大学で教えています。今、関心を持っているのはやはり民主主義ですね。ちょうど本を2冊執筆中なので、簡単に本の内容を通して自己紹介をさせていただきます。
岡田:あ、そうですね。自己紹介かたがた絶賛執筆中の本の宣伝というか、ご紹介をお願いします。
藤井:1冊目はノンフィクションライターの中村淳彦さんとの対談本です。いわゆるコロナ禍においてアンダークラスと呼ばれる人たちの労働の状況がどうなっているかを中村さんの貴重な取材をもとに、私がアカデミックな視点からコメントをする本で11月に出ます。コロナのもとでの日本の社会がどうなっていくかについて対談しています。もう一冊は民主主義をテーマにした新書で、テーマの一つが「中国モデル」と民主主義との比較です。
岡田:中国モデルとは何でしょうか?
藤井:超大国の一角を形成する現代の中国の統治モデルです。アメリカ、日本、ヨーロッパもそうですが基本的に民主主義国家であり、重要なのは「自由」です。民主主義諸国は、第二次世界大戦後、自由のもとで経済発展をとげて、富を蓄積し豊かな社会を実現し、さらに治安や外交上の安定も実現してきました。それがコロナあるいはその少し前から、どうもおかしい。例えば、コロナ対策に関しても、うまくいっていない国は民主主義諸国に多いように思われます。
岡田:なるほど、そうかもしれませんね。
藤井:これは代償だと思うのです。民主主義であるがゆえの。コロナの封じ込めに成功したと言われている国々、例えば中国は国民の基本的人権を簡単に制約できる。あるいは東南アジアで押さえ込みに成功した国々は聞くところによると、家族1人が罹患すると家族全員が強制的に隔離させられる。あるいは、もっとひどい場合は、4次あるいは5次感染者まで隔離対象となっているなんて話もあるようです。
岡田:私、お聞きしたかったのですが、PCR検査が拡大しないのは精度の問題もありますが、そもそも人権の問題があって強制できないからですよね?やはり人権というのが民主主義の国にとって重要なファクターなのでしょうか?しかし、我々一般人は普段はあまり意識していない。改めて人権というものについてご説明いただけますか?
藤井:人権とは、人間が生まれながらに持っている権利のことです。一番有名なのが自由権。身体の自由、経済活動の自由、表現の自由を実現するための権利ですね。社会権には教育を受ける権利、労働する権利、参政権などが含まれます。様々な人権が存在しますが、それが保障するのは個人の自由です。これこそ民主主義国家における根源的な価値なのです。
一方、自由や人権を重視せず豊かさと治安を保証するような統治モデルを、私は自著で中国モデルと呼んでいます。これが実は多くの民主主義諸国に影響を与えていて、中国モデルに誘惑される人々も出てきています。民主主義からの逃走が起きている。今だからこそ、民主主義ってどういうものだろうと振り返るべきだという意図で書いている本ですね。
岡田:非常に面白そうですね。楽しみです。
◆アンダークラスによって支えられていた社会
◆アンダークラスによって支えられていた社会
岡田:早速お聞きします。コロナでこれまではにわかに議論されてきた格差の問題。アンダークラス、階級、階層、ウーバーイーツのように雇用契約なしで働く人。実はこういった方々で日本経済が成り立っていることが多くの日本人に理解されたと思います。
日本にいると表立って所得や住んでいる場所がどうとか言えないのでなかなか顕在化しないですが、現実に格差は広がっている。それに対してどう対応するのかですよね?国として格差というものをどこまで許容すればいいのかについて、藤井先生の知見をいただければと思います。
藤井:非常に難しくて…資本主義社会、簡単に言えば「私有」を前提とする私たちの社会において、ある程度の格差は仕方がない。問題はご指摘の通りどこまで許容できるかですが、これはある意味政治的な合意となります。ただ、貧困層、外国人労働者、いわゆるアンダークラスの人たちも、そう簡単に切り捨てられないことははっきりしています。なぜなら、現在のコロナ禍を例に挙げるなら、そうした人たちを切り捨てると、そこでいわゆるクラスターが起きてしまうからです。
岡田:仰るとおりですね。
藤井:実は以前から、ハーバード大学の公衆衛生学の教授が「格差の大きい社会ほど平均寿命が縮む」と指摘していました。格差は貧しい人たちだけではなくてアッパークラス、勝ち組と言われる人たちの健康にも影響を及ぼしているのです。格差は社会全体を衰退させると警告しているのですが、これを知った人たちは大きな衝撃を受けたものの、普通の人たちにはこうした情報はなかなか届かなかった。
ところが今回のコロナ。良い例がシンガポールです。外国人労働者を放置したらそこにクラスターが発生してしまって押さえ込みに苦労した。コロナによって社会のそうした底辺層、弱者を切り捨てると社会全体にダメージが及ぶということを、多くの方が理解したと思います。
岡田:アンダークラスといっても、なかには所得水準では計測出来ない幸福感、アイデンティティをもっている人もいます。例えばエッセンシャルワーカーの方々。顕著だったのは看護師さん、介護士、そういった社会を支えてくれる人たちが、コロナでバタバタ倒れていなくなるとこうなるのかと、誰もが身近に感じたのではないかと思います。
藤井:そうですね。介護士など低賃金なのに過酷な状況で働く人の重要性がクローズアップされたと思います。同じく水商売。例えば居酒屋、イタリアン、フレンチ、中華料理あるいは夜の店々。そういったところが利用できなくなると、我々の生活は本当に窮屈でつまらないものになってしまいます。岡田さんが言うようにそうした人たちの仕事で、私たちの社会が維持されていたことを多くの人が認識したと思うんです。
岡田:労働力の再生産ですよね。働くと疲れるので睡眠をとったり娯楽を楽しんだりして労働力をリカバリーする。その再生産機能を担っていたわけですね。結局、格差はどこまでなら許容されると思われますか?
藤井:時代によっても変わると思います。現在は新自由主義というものが浸透しています。格差がどの程度許容されるかを考える上で問題になるのが、現代人の心の中に、新自由主義的なメンタリティが非常に深く根ざしていることだと思います。
岡田:自己責任というフレーズですね。
◆貧困、自然災害、感染症、どこまでが自己責任か?
◆貧困、自然災害、感染症、どこまでが自己責任か?
藤井:まさにそうです。もちろん、子供の貧困が問題になると子ども食堂が広がったりもしますが、全体的には「貧困に苦しむ人の自己責任」と考える人が増えています。裏返せば不安な社会なので、切り捨てというか、ないものにしたい、目をそらす風潮が残念ながらこれからも広がっていくと思っています。
新自由主義の特徴は市場をモデルにした競争をとおして経済合理性をとことん追求していく。そうやって無駄や余剰を削っていきます。今回のような危機的な状況で何がわかったかというと、我々の社会は新自由主義のもとで、もう余裕がなくなっているということなのです。
岡田:コロナ、熊本の災害、九州の大雨などがあると、「これって自己責任じゃないよね」と、自己責任論の限界に気づいた人も多く存在すると思います。「自己責任で自粛してください」と言われても、ちょっと厳しいなと。
藤井:コロナに関しては自己責任ではなんともならないです。もし、それを言ってしまったら政府は終わりだと思います。何のために存在するのかわからないということになると思うんですね。
岡田:ここで先生にお聞きしたいのですが、公共、コモンセンスと言うじゃないですか。今後もコロナみたいな感染症、予想もしなかった災害、地震などがおこったときに重要になる「公共」という役割について、やはりもう一回我々国民もしっかり学ぶべきだと思うんですね。パブリックとは何かということなのですが…。
藤井:すごく核心的な問いです。実は、民主主義に関する私の新書のテーマでもあります。。私は共有、公共どちらの言葉でもいいと思います。我々が生きていくときに絶対必要なものがあります。水、空気などですね。それらは公共のものです。しかし、それらだけではありません。資本主義とはおそらく人類史上、最も多くの富を蓄積して生み出した経済、社会の在り方だと思いますが、やはり私物化できないものがあるはずです。自然環境、社会のつながり、政治制度、私は資本や労働も公共の部分があると思います。
もし、水や空気が私物化されたら、私たちは人の許可を得て、例えばお金を払ってそれを使用しないと生きていけなくなります。これは極端な例ですが、生存の重要な部分は公共のものによって支えられていますし、それだけでなく、私たちの自由も公共のものがなければ維持することはできません。私物化してはいけないものがある。そこからちゃんと考え直すべきだと思うんですね。
岡田:水、空気、つながり、労働などですね。
藤井:カール・ポランニーというオーストリアの経済人類学者の「経済は社会の中に埋め込まれていた」という有名な言葉があります。市場経済において需要と供給の関係に従った交換が行われ、他人の物が別な人のものになり私有を生み出します。ところが市場経済が発展するなか、市場の中に社会が飲み込まれてしまった。ポランニーはこれを人間にとって非常に危機的な状況だと言っているんですね。
おっしゃるとおり、私たちは何を公共のものとして守っていくべきかを、議論しなければいけないところにきています。ここから始めないと新自由主義をどうこうといっても、埒があかないと今は思っています。
岡田:先生、やはりコロナ でPCR 検査をしたり、陽性者の方が病院に入院したり、療養施設みたいな所に収容されたりすることはパブリック、公共としてやるべきですよね。
藤井:そのとおりだと思います。誰もが感染する可能性がありますし、感染した場合に誰かに感染させる可能性もありますから。これはやはり共有、公共のものとして国の責任のもとでやるべきだと私は思います。
◆加速するミドル層の格差、貧困化について
◆加速するミドル層の格差、貧困化について
岡田:今回のコロナ、相手は微生物で目に見えないし言葉もしゃべれないし、話しかけられないけれど、国家的危機なので「すみません、みなさんの人権をある程度制約させていただいてよろしいでしょうか」という話ですね。人権を制約してまでも優先しなければいけないことについて「それだったら人権を制約してもいい」というコンセンサス、許可を国民から得る必要がある。どうも、そういう議論はあまりないですね。
藤井:いや、今日の岡田さんの話は非常に重要な点をご指摘いただいています。そこが本当に重要な点で、安倍政権には欠けています。今はウイルスという目に見えない敵との戦争が行われているまさに有事。有事だからこそ我々は説明を求めなければいけない。政府が説明責任を果たす必要があるのは、民主主義国だからこそです。それを求める声も少ないし、民主主義の問題と考える人も少ないのはとても残念なことです。
もちろん、歴史を振り返れば、例外的な状況で主権的権力を政府(執行権力)に委任するという考え方もありました。しかしそれは、独裁に繋がる可能性もあり、非常に危険です。ヨーロッパも日本も20世紀に非常に苦い経験がありますから。慎重に議論すべき問題で難しい。むしろ、政府(執行権力)の権力を拡大させようとする現在のグローバルな傾向に対して、それを暴走させないようコントロールするための新しい民主主義の在り方、システムですね。そちらを模索する必要があるのではと私は考えています。
岡田:新しい民主主義のスタイルとは?
藤井:重要なのは、むしろ平時における民主主義の在り方だと思います。今選ばれている政治家は平時に選ばれた人たちです。民主主義の原理を尊重しつつ、例外的な状況にも対応できる有能で優れた人たちを民主的に選ぶ制度的な改革が必要です。政党政治の下での選挙を基盤にした代表制度の改革ですね。さらに、この改革に加えて、政治権力を行使する政治家に説明責任と結果責任をしっかりと果たさせる仕組みも必要になります。おそらく、コロナ禍などをとおして、ますます否定しがたくなっているのは、選挙だけでは、政治権力を行使する人たちに責任を十分に果たさせることは不可能だということでしょう。したがって、この点でも代表制度の改革は、中国モデルの誘惑に対抗して民主主義を維持していくには不可避であるように思われます。
岡田:ありがとうございます。人事領域のテーマで何かありましたらお願いします。
藤井:コロナで今日のようなオンラインリモートワークが普及していくなか、ますます経営の合理化が進みます。企業内で使えない人、本当はいらなかった人があぶり出されていくという状況です。これからジョブ型雇用の導入が進むのでホワイトカラーの首切りが始まっていくと思うのですが、中年男性の貧困化が加速することを危惧しています。
岡田:橘木俊詔先生が『中年格差』という本を出されていますね。ミドル層の格差が広がって、貧困中年のような人が増えた際、社会的コストをどう負担するかですよね。ズバリお聞きしますが、富裕層、仮に年収2000~3000万円の人たちの所得税負担を上げることは、国民のコンセンサス的には難しいでしょうか?
藤井:1980年代の最高税率がおおよそ7割くらいだったので不可能ではないでしょうが、新自由主義がここまで浸透すると難しいと思います。中高年の貧困が拡大した場合、現行のセイフティネットは確実に機能不全に陥るでしょう。今回10万円が支給されましたが、給付型などを含め新しいモデルを考える良い機会かもしれません。ともかく、政治が正面から向き合って国民と議論を積み重ねていくような働きかけが必要です。今、世界中でそういう試みが行われています。
岡田:ありがとうございます。では、以上で収録を終わりにさせていただきます。