本稿では、小説の中に描かれた職場や仕事を紹介し、人事とは何かを探ってみたい。もちろん、小説はフィクションである。しかし、優れた文化的コンテンツの中には、現実の社会を鋭く切り取り、働く人々たちの潜在意識を顕在化させてくれる作品がある。人事担当者として専門知識やスキルを身に付けるだけならば、小説など読まずに、ビジネス書を読めばよいのだろう。ただし、最近のビジネス書の中にも、一見ビジネスとは遠いアートや文化が紹介されることもある。働く人たちの感覚や感情に近づくための教養力が求められているとは言えまいか。小説を読みながら人事について考える時間もきっと必要だと思うのである。

法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏

執筆者:法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏
大阪大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)
専門領域は労働経済学、教育経済学、人事組織経済学
近刊は『大学生の内定獲得: 就活支援・家族・きょうだい・地元をめぐって』(法政大学出版局)

◆死と隣り合わせのリーダーシップ

今回取り上げる小説『八甲田山死の彷徨』は、日露戦争直前、厳寒の八甲田山で行われた二つの部隊による雪中行軍訓練を題材としている。一つの部隊(弘前歩兵第31聯隊)は厳選された小隊編成ながら11日間にもおよぶ長距離の雪中走破を成功させる。しかしもう一部隊(青森歩兵第5聯隊)は、参加者210名中199名が死亡するという大遭難事故を起こしてしまう。作者の新田次郎は、史実を基にしたフィクションとして登場人物たちの人生を描いた。

この小説は、第31聯隊の徳島大尉、第5聯隊の神田大尉という二人の優秀なリーダーが、なぜここまでの結果の差を生んでしまったのかという問いを突き付ける。彼らの差が無能と有能の差ではないだけに、リーダーシップとは何か、組織はどうあるべきかを考えずにはいられないのである。そして、死と隣り合わせのリーダーシップだからこそ、主人公たちの一つひとつの判断の切実さが我々の心の中に彼らの存在感を残すのである。

◆「中間」管理職論

まず、全てのリーダーは一人を除いて中間管理職であることを確認しておきたい。「上」がいて「下」がいるのが中間管理職だとすると、組織の本当のトップにだけは「上」がいないが、他の全ての管理職は「上」「下」に挟まれた「中間」の存在と言えよう。この中間管理職として優秀さは、部下としての優秀さとは大きく異なる。そして、この違いが結果の差を生み出した。

二人の大尉は、上司から競わされて雪中行軍の計画を立てるが、最初からそのやり方が異なる。徳島大尉は、上司に対して「すべてをおまかせ願いたいのです。雪中行軍の指揮官のこの徳島にすべてを任せて頂かないかぎり、雪地獄に勝てません」と強く言う。そのように宣言したのは、雪山の怖さを訴え、そして軍の場当たり主義的浅慮までも批判した「後」、そして雪中行軍実施計画書を差し出す「前」であった。これは徳島大尉の説得術であろう。

そして最後に、徳島大尉は自らの覚悟を示した。隊の編成を下士官と見習士官を主力にしたのである。つまり、彼らは自ら軍人を望んで入隊した者たちであり、、国民に対して申しわけが立つ。この先を見通した覚悟の前に上司はうなずくしかなかったのである。

一方、神田大尉の場合、彼もまた小隊編成案を提案したが、山田少佐によって却下され、中隊案を選択した。さらにこの上司は「大隊本部が随行する形式の実行計画を作成して貰いたい」という一方的な発言をする。そこに議論の余地はなかった。

大隊本部が随行すれば、大隊本部の山田少佐がリーダーなのか、中隊の神田大尉がリーダーなのかが不明になり、指揮命令系統は絡まってしまう。

遭難後、軍人としては優秀な神田大尉はリーダーとして権限を持てず、上司の山田少佐との入れ子構造の判断を続けなければならなかった。そして山田少佐は、現場から遠く、思いつきで判断する無能な指揮官であった。地元案内人の協力を拒否し、下士官に突き上げられて無謀な前進を指示し、部下の間違った判断を信じた。

死の彷徨の原因は、出発前における中間管理職の権限確保の失敗にあったと言えよう。神田大尉は、有能な軍人であったが、彼は以下のように心の中で思う。いや、強いて思い込もうとしたのである。

(山田少佐が指揮官として自ら号令を掛ける以上、自分は指揮官としての権限を返上して一嚮導将校として甘んじておればよいのだ)

嚮導将校とは、雪中の道案内人である。一方、徳島大尉は、複数の地元の案内人にこの仕事を依頼した。軍人としてのプライドを捨て去り、最も詳しい人が判断できる体制を作り上げたのである。徳島大尉は次のように言う。

「将校たる者は、その人間が信用できるかどうか見極めるだけの能力がなければならない。(中略)他人を信ずることのできない者は自分自身をも見失ってしまうものだ」

その信頼は性別にかかわらない。案内人の若い女性に隊全体が信頼を置いた時、隊員たちは彼女に牽かれた。大尉も中尉も少尉もなく、指揮官は軍人でもない地元の女性になったのである。

二人のリーダーが「上」にどう対したのか、そして「下」にどう対したのかを知れば、その帰結は明らかである。

◆被害者としての管理職

神田大尉の意見は正しく、本人も優秀であったが、その優秀さは活かされなかった。それは個人の問題だけではない。

神田大尉は、当時の軍隊の管理職において珍しく、士族出ではなかった。彼は、自分は平民出の将校であり、士官学校も卒業していないという反省を持っていた。この反省の持続は、彼に対して組織が背負わせたものである。彼が大尉まで昇進したことは、彼の才能や努力を示していたが、同時にリーダーシップを以下のように歪めていた。

「彼は、仕事に尽瘁(じんすい)していた。与えられた仕事に全力を傾倒してかかっていた。独断専行について特に慎んだ。彼の権限を外れることについては必ず上官の耳に入れて置くように心掛けていた。それまで累進(るいしん)して来た彼の処世術でもあった。」

神田大尉の歪みは、彼個人の問題ではなく組織や社会の問題あると作者は考えていたと思う。なぜなら、終章では、事故の後日談が詳細に物語られているからである。
軍の首脳部に対して批判的だった世論は、止むを得ない遭難であったと考えるようになり、雪と勇敢に戦った美談となった。そして忘れられた。小説の最後一文は以下の通りである。

「この事件の関係者は一人として責任を問われるものもなく、転任させられる者もなかった。すべては、そのままの体制で日露戦争へと進軍していったのである。」

この批判は、そのまま今の日本社会まで一本道でつながっている。