本稿では、小説の中に描かれた職場や仕事を紹介し、人事とは何かを探ってみたい。もちろん、小説はフィクションである。しかし、優れた文化的コンテンツの中には、現実の社会を鋭く切り取り、働く人々たちの潜在意識を顕在化させてくれる作品がある。人事担当者として専門知識やスキルを身に付けるだけならば、小説など読まずに、ビジネス書を読めばよいのだろう。ただし、最近のビジネス書の中にも、一見ビジネスとは遠いアートや文化が紹介されることもある。働く人たちの感覚や感情に近づくための教養力が求められているとは言えまいか。小説を読みながら人事について考える時間もきっと必要だと思うのである。
執筆者:法政大学キャリアデザイン学部教授 梅崎 修 氏
大阪大学経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)
専門領域は労働経済学、教育経済学、人事組織経済学
近刊は『大学生の内定獲得: 就活支援・家族・きょうだい・地元をめぐって』(法政大学出版局)
今西祐行『肥後の石工』(講談社文庫)
◆児童文学の中に描かれた心情
◆児童文学の中に描かれた心情
今回は、いつもの連載とは趣向を変えて児童文学を取り上げたい。
大人になって児童文学を読まなくなる人は多いが、それは、児童文学は子どものためにわかりやすいお話という偏見からではないか。大人も児童文学の世界を味わうことはできるし、子どもとは別の読み方を楽しむことができる。
確かに児童文学の中には、子どもの成長への暖かいまなざしがあるものが多い。作者らは、物語を純粋に楽しんでもらいたいと思いつつ、子どもの成長を意識している。児童文学は、親子、友情、自然、社会、人生の物語であり、もちろん仕事の物語もある。
われわれは、過去に児童文学にお世話になって、様々な価値観を血肉化してきた。ただし、大人たちは、本当に子どもが成長した後の姿と言えるのであろうか。もしかしたら読書体験で気付かされた心情は忘れ去られているのではないか。だからこそ大人たちは、児童文学を通じて、かつて味わい、そして忘却しまった心情を思い出しつつ、再度、成長しなおすべきではないか。
◆職業に支えられる
◆職業に支えられる
今回、選んだ児童文学は、今西祐行の『肥後の石工』である。江戸時代後期に実在した肥後の石工、岩永三五郎が主人公の物語である。三五郎は、優れた技術を持った職人で、鹿児島市に今も残っている甲突川の五石橋(一部は川の氾濫で流される)の建設を指揮した。作者は、この史実をもとに自由に想像し、人々の土木建設にかける思いと、職人の誇りを描いていた。
物語は、三五郎が石工仲間と一緒に五石橋という歴史的建造物を完成させた時点から始まる。これら石橋は、敵の攻撃あった場合は、簡単に取り壊すことができるようになっており、その秘密を知る石工たちはつぎつぎと暗殺された。作らせておいて暗殺とはひどい話である。三五郎もまた帰宅が許されると、帰りの道中で刺客が現れた。
ところが、その刺客は、三五郎の立派な態度に圧倒され、刺客の命令を果たすことができない。そこで、ある子ども連れの乞食を殺し、その死体を三五郎であるいう嘘を上役に伝えた。
その後、宿命という糸は絡まっていく。殺された男の子ども二人(里と吉)を三五郎が一緒に生活することになる。ところが、その子たち、さらに殺された石工仲間の子どもで小さな頃から可愛がってきた宇助にも親殺しを疑われ、その誤解を解くために苦労する。彼は、自分だけが生き残ったことに自責の念にとらわれるが、そんな彼に、村人たちは裏切り者というレッテルを貼った。
そんな苦難の三五郎の心の支えとなったのが、先祖から受け継がれた技術であった。「三五郎には子どもがなかった。だれかにそれをじゅうぶんつたえてから死にたかった」のである。彼は、自分の身代わりになった男の子どもを石切場に連れていき、次のように話しかけた。
「石は生きとるんぞ。石にも心があっての、はらばたてよるたい。ゆだんすると、かみつきよる。やさしゅうしてやると、なーもせん。石はじーっとだまっとる」
石工という職業が、三五郎に苦難をもたらしたが、同時にこの職業への誇りが彼を支えてくれたのである。
◆土木に託す夢と仕事の意味
◆土木に託す夢と仕事の意味
もう一つ、忘れてはならないことは、三五郎が自分の技術を生かす本当の目的を発見したことである。彼は、失意を超えて、侍のためではなく、村人たちの依頼を受けて村民たちのために橋を架けることになる。作者は、人々が一つの目的に向けてともに汗を流すシーンを、「石をきざむ音、木をけずる音にまじって工事場にはあかるいわらい声、かけ声がたえなかった。」というように生き生きと描く。
むろん、このような明るさは、どんな工事でも生まれるわけではない。土木工事は重労働ゆえに、力を合わせる一つの目的が重要である。土木工事は、三五郎のような技術者だけで成り立つことはない。なぜ、作るのか(働くのか)という問いに答えられる価値が共有されなければならない。作者は、次のように説明する。
「百姓たちは、自分たちの手で、自分たちのための橋をつくることによろこびを感じていたにちがいない。もしこれが夫役の仕事であれば、いく人ものさむらいにみはられ、むちをもっておいまわされるのである。」
働く者たちの喜びは、三五郎の気持ちを徐々に変え、勇気づける。彼は、自信作であった甲突川の五石橋を否定し、仕事の意味を次のように発見する。
「わたしはありったけの知恵をしぼって、こわすための橋、人をわたすためではなく、人をおとすための橋ばかけました。もういちど、こんどは人をわたす橋、岸と岸をつなぐ橋ばかけたいとおもうとります。」
作者は、この三五郎の発見を全面的に肯定している。物語の最後に、甲突川の五石橋の記録には、三五郎の名前が残っているが、その後に彼が、百姓のためにつくった石橋の記録には、他の石工の名前はあっても彼の名前がないこと記されている。
ここからは、史実を超えた作者の想像の世界である。そして、三五郎の仕事の達成感は、記録の有無によって変わらないと作者は考えていると思う。なぜなら、作者は次のように物語を終わらせているからである。
「明治維新になって、新しく東京が首都になったとき、人々の目に最も江戸の町を新しい都、東京らしくしたのは、二重橋をはじめ、日本橋、江戸橋、万世橋、など、どこか西洋風な石のアーチ橋であったという。これらの橋をかけたのは、すべて三五郎のでしの肥後の石工たちであった。」
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