転換点を迎えた現在、AI、限定正社員、メンバーシップ型雇用、同一労働同一賃金…、HRM施策に関連するキーワードを通して、人事の本質とは何か? という深遠な問いが私たちに新しい視点を提供してくれるかもしれません。

<聞き手>:編集部 岡田 英之

名古屋大学大学院 経済学研究科准 教授 江夏 幾多郎 氏

ゲスト:名古屋大学大学院 経済学研究科准 教授 江夏 幾多郎 氏
名古屋大学大学院経済学研究科准教授。博士(商学。一橋大学)。名古屋大学大学院経済学研究科講師を経て、2011年より現職。専攻は人事管理論。主な著作に、「人事システムの内的整合性とその非線形効果―人事施策の充実度における正規従業員と非正規従業員の差異に着目した実証分析」(2012年、『組織科学』第45巻3号。第13回労働関係論文優秀賞受賞対象論文)、『人事評価における「曖昧」と「納得」』(2014年、NHK出版新書)。

岡田英之(編集部会) 今回は、名古屋大学大学院の江夏幾多郎准教授にお越しいただきました。働き手の多様化に伴い、雇用改革が必要だと言われ始めて随分経ちましたが、企業の現場ではなかなか改革が進んでいません。なぜスローガン通りに進まないのでしょうか。今回はHRMの観点から、多様化に対して人事が貢献できるポイントを伺いたいと思います。
 まずはこれまでの研究活動や、現在ご関心のある事柄を含めて自己紹介をお願いします。

◆現場の視点で人事制度を見つめる

江夏幾多郎(名古屋大学大学院准教授) 私は人事制度、特に評価・報酬に着目して研究してきました。経営層や人事から公式的な方針や規則が示されたとき、それを現場はどのように受け入れ、活用しているのか。その方針や規則はどう解釈され、ときにはどう無視や歪曲が起こるのか。運用していくための現場の知恵とはどんなものか。そういうことに注目してきました。
 しかし、従業員が生き生きと働くためには、評価・報酬の役割がすべてではありません。賃金の基準などについての合意はもちろん必要ですが、労使のコミュニケーションのベースが賃金になりすぎるのは良くありません。働く人にとっては、仕事の中身や人間関係、従業員を一人前の人間として扱う職場になっているかといったことが、実はとても重要です。ですから、人事が関わるべき範囲は、評価・報酬にとどまらずとても広いのです。

◆HRテクノロジーの落とし穴

江夏 また、今後研究したいこととして、人事はIT、ビッグデータ、AIといかに付き合っていくべきかということが挙げられます。

 昨今はHRとテクノロジーの融合を目指して、人事領域でもIT化が進んでいます。従来型の人事は、人事担当者の勘や経験といった暗黙知によって行われきました。それを改善するために、ビッグデータからAIが統計的に導き出すデータを活用して、評価などの人事問題を解決しようとする流れがあります。しかし、AIの意思決定の仕組みやAIが出してきた答えの背景にあるメカニズムを人事担当者が正確に理解し、きちんと現場に伝えられなければ、ブラックボックス人事という点では従来と大差ありません。

 今後はITを理解して使える人事担当者に何が求められるか、人事担当者の顔が見える活動を支援するITシステムとはどのようなものなのかということについて、現場でアクションリサーチを重ねていきたいと考えています。

◆人事の「見える化」とはどういうことなのか

岡田 ITを導入することで人事業務の見える化を促進し、プロセスを効率化してコストを抑えようという話は、90年代後半からありました。それをやりすぎると、これまで人事担当者が見つけてきた暗黙知の中にある真実も、見えなくなってしまうということでしょうか。

江夏 そもそも「見える」とは何でしょうか。統計的に処理されたデータから物事を見るだけでは足りないと思うのです。従来は現場との対話の経験を重ねる中で、大事なことについての直観が養われることが少なくありませんでした。担当者の勘や経験による人事の危うさはもちろんありますが、ビッグデータやAIを活用して得られる最適解は、あくまで従来の情報や枠組みの中で判断されるものです。激しいビジネス環境の変化に対応していくためには、人間の直観が「何を見るべきか」を示し、統計学的に析出される「見るべきもの」の間の相互作用を通じた「見える化」が必要だと思います。それが具体的にいかなるものなのかについては、社会全体で答えが出されなければなりませんが。

岡田 横浜国立大学の服部泰宏先生が、エビデンス・ベーストを提唱されています。人の判断には主観やバイアスが入るので可視化が難しい。そこをビッグデータから得られるエビデンスを基に科学的に判断することで、可視化すると同時に、人事担当者の直観が研ぎ澄まされたものになっていくということですが、この点についてはどう思われますか。

江夏 基本的には同感ですが、エビデンスに翻弄される担当者もいると思います。例えば職場における適性についてAさんは85.1%、Bさんは85.2%だった場合に、はたして「Bさんを採るべきだ」と言い切れるのか。統計的に有意な差があったとして、現状適合的な人材を採るのが果たしていいのかどうか。データは直観に基づく実践を推し進めるものであったとしても、データに触れるから直観が磨かれるということは、あまりないのではないでしょうか。人事領域におけるデータと是々非々で向き合える、直観とは何で、それはどのように養われるのか。純粋な学術研究からは外れるかもしれませんが、理論や実務から学んでいきたいと思います。

◆実践の中で磨かれる分析力と直観力

気になる、現場を直視する機会減少の人事。

岡田 今後は人事担当の実務家たちに、データを読むための統計学的手法と、そのうえで直観力を磨くためのリテラシーを教育する必要があるということですね。

江夏 そうです。直観を磨くこととデータを読む作業は、形式知と暗黙知の関係と同じで不可分なものだと思います。データに触れる中で自分の直観に気づき、また自分の直観通りに物事を進めるためにデータ収集の対象や手法を定めるという循環関係です。この循環の向こうには、人事担当者が投げ込まれている人事部門や現場があります。循環の善し悪しは、投げ込まれている場での経験の善し悪しに左右されるでしょう。
 ポスト・バブル以降、人事は間接部門の圧縮やコンプライアンス対応などに追われ、現場で管理者や従業員一人ひとりと真剣にやり取りする機会、人事の本質を複合的に捉える機会が減ってきました。そのあたりは気がかりです。

◆多様な立場の「間」を考える

岡田 バブル崩壊から20年、非正規雇用も増え、働き方の多様化は促進されていますが、そもそも「多様」をどう捉えるべきなのでしょうか。

江夏 職場管理としての多様性は、ポイントが2つあります。1つは、さまざまな働き方や職場への関わり方を前提とした雇用制度に整えるという、雇用システムに関する多様性。もう1つはダイバーシティ・マネジメントと言われる、異質な人とどうコラボレーションしていくかです。
 昨今注目されているのは、どちらかと言えば雇用システムに関する多様性ですね。ここ5年ほどは、フルコミットを求められるいわゆる正社員と、非正社員としばしば呼ばれるそれ以外の労働者の間を埋めていく取り組みが注目されています。

岡田 「間」とは何でしょうか。

江夏 さまざまな立場の間にある格差のことです。もともと戦後からずっと、多様な働き方が企業の中には存在していました。ただ、30~40年前はお互い比較対象になかったため、公平性・公正性の問題は特に生じなかったのです。これに対してポスト・バブル以降は、「正社員」になりたくてもなれない人々が「非正社員」の約3割になり、労働力の10%を占めるようになったので、ここで初めて公平・公正の問題が出てきました。最近は、「そもそも会社にフルコミットはしたくないが、末端的な働き方も嫌だ」というある意味わがままな、自分自身を大事にする人が増えて、公平・公正がますますクローズアップされてきています。
 しかし、組織とはそもそも、能力に限りのある人たちが助け合い、目的を達成するためにあるのです。多様化のニーズに応えることは、これからの組織の発展のために不可欠なことなのではないでしょうか。

◆個別性を前提とした管理方法を模索すべき

岡田 正規・非正規の中間に位置する概念として「限定正社員」という働き方が提唱されています。しかし、限定のされ方が人それぞれ違うとなると、雇用管理システムや人事管理システムで管理できるのでしょうか。

江夏 雇用管理の前に、まず職場の管理があると思います。例えば、勤務時間が限定されている場合は、実務として一人ひとりの就労ニーズを反映しながら、職務の配分や連携をとる必要があります。制約のない従来型の働き方を前提にできない以上、学生バイトのシフトを組むような発想がより多くの職場で求められるでしょう。操業時間の圧縮も含め、パズルを組むように連携の形を考えて、まずは操業できる状態にする必要があります。
 また集団での作業の仕方も、「みんなの仕事をみんなで行う」やり方から、「自分の仕事を自分で行う」人々の間の接続をシステマティックに行うことで達成されるよう案チームワークが必要になるでしょう。良し悪しとは別に、雇用関係の基軸が職務や役割にならざるを得ないと思います。
 職務や役割をどのように明確化するべきかは、現在は複雑なものとされている管理職業務を制約のある社員でも行える方法を探ることが、ヒントになると思います。部下を効果的に管理監督したり、彼らを支援したりするために、権限委譲やリモートワーク、クラウドワーク、業務の自動化・機械化といった手法を、今後はもっと真剣に検討すべきです。
 多様な働き方を尊重・促進する上では、人事制度の前段階として社内組織の変革が必要だと思います。

◆制度設計で社内の意識をシフトする

岡田 バーナードの組織論では、組織がメンバーに与える誘因とメンバーが組織に与える貢献のバランスが重要とされています。働き方が違っても、そのバランスが取れさえすれば、組織を維持できるかもしれません。しかし、日本人のメンタリティや職場の風土に多様な働き方は合うのでしょうか。
 組織に参加する人間の背景や事情は、一人ひとり違うのが普通です。なのに、事情が違うと、和を乱す勝手な振る舞いとみなされて、いじめやハラスメントの対象になったりします。そうなると経営者も面倒なので、フルコミットできる人材だけを採用しようとするなど、ダイバーシファイされなくなるのではないでしょうか。

江夏 いくら制度を作っても、運用する側とされる側の双方が、多様性を受け入れないことはあると思います。しかし、制度によって職場での衝突を緩和できる部分もあります。
 例えば、時短勤務の社員に対してフルタイム勤務の社員が文句を言うことがあります。ところが、メンバーシップ性の大小が、実は会社の業績や従業員間の優劣とは関係なかった、ということも多々あるでしょう。そういう会社では、成果主義など、メンバーシップ性とは異なるインセンティブシステムにすれば、誰も文句を言う筋合いはなくなるのです。短い時間でより多くの成果を創出することを可能にする能力を特定してそれを評価項目に入れるという新しい能力主義も、原理的には可能です。
 ただ、会社はあくまで利益を追求する私的な集まりです。「私」、すなわち会視野の中核的な目的が共有される人々に限り、多様性が認められるのでしょう。もしもメンバーシップ性の共有が大前提となる会社であるなら、それを受け入れられない人を雇わないことには合理性があります。会社の中で基軸となる価値観が何であるかということが大事です。

岡田 人事制度の運用が、多様性やダイバーシティの実現に大きく作用するのですね。われわれは賃金や評価制度に目を向けがちですが、メンバーシップや組織をデザインする前に根本に立ち返り、会社としてどこまで多様性を受け入れられるのかを明確にするべきですね。

江夏 そうです。本当は、日本企業にもダイバーシティはありました。男性・大卒・正社員ばかりの企業であっても、仕事はいまいちなのに飲み会になると輝く人もいれば、その逆もいて、決して均一ではなかったのです。ダイバーシティの話が好きな人は「元来日本企業にダイバーシティは存在しなかった」と言いますが、それはちょっと違います。色んなダイバーシティを同時に捉える視点が必要です。

◆多様化の中で人事制度のあり方とは

岡田 人事制度は、財務につながる原資をコントロールしています。今後ますます組織内の雇用形態が多様化していく中で、新しい人事制度も必要になってくるでしょうが、全ての社員をカバーすることは難しいと思います。どこまでが人事の仕事範囲でしょうか。

江夏 完璧な制度はありません。状況に応じて微修正をしなくてはいけませんが、その修正に納得してもらうには、背景にある雇用関係の基本的な考え方について合意が必要です。

岡田 最大公約数で作った評価基準に対して漏れる人が出てきて、個別対応が必要な事案も増えています。運用における曖昧さと納得をマネジメントしていくためには、やはり暗黙知や経験則が必要です。どうすれば経験値の足りない若い人事担当者でもうまく運用できるでしょうか。

江夏 人事コンサルタントなどの外部者の知恵を借りて、内省するとともに自社の制度を最適化することも、方法の一つです。制度の運用を現場任せにせず、現場のビジネスの流れを体感しながら、自社の人材や求められる職務遂行能力の特徴を把握することは必要です。ただしそれを自力で行いきるのは無理だから、現場の管理者や外部者とのパートナーシップ、相互チェックが必要になります。人事担当者が「これがわが社に最適な人事制度だ」と自信を持って言い切れることが大事です。それによって、現場から信任を得られるのです。

岡田 基本的な雇用関係についての合意を築こうにも、多様化により基本的理念にも幅が出てきて、筋を通すことが難しくなりませんか。

江夏 基本理念は統一するべきです。会社は一つの共同体ですから、人事の基本方針に関してはぶれるべきではありません。働き方や貢献の仕方に多様性があることはいいでしょうが、振り幅が大きいと曖昧性が助長されてしまいます。多様化すればするほど、人がばらけないための強固な価値軸が必要です。
 また、社長や人事の責任者が、自分自身の発言としてポリシーを発信する必要があります。すぐに理解・納得してもらえないとしても、ひとまずは社員全員が真剣に受け取ることが大事です。メッセージの発してへの共感の後から、メッセージへの理解・納得が生まれることもあります。

◆多様化を支えるコミュニケーション

岡田 やはり現場とのコミュニケーションがカギですね。人事制度に対して、人事と現場が同じ意識を持てるような、質の高いコミュニケーションをするためには何が必要でしょうか。

江夏 職場へ足を運ぶことは当然必要です。現場の操業の実態を知り、現場を支えている能力が何かについて一緒に考えることが大事です。望ましい形態について意見を交わすことで、質が上がっていくと思います。

岡田 人事が大量のデータに忙殺されたり、近視眼的な対応に追われて現場に行かなくなったことが、うまく運用できない原因でしょうか。

江夏 現場の状況は刻々と変わっていくので、日々状況を捉え直す必要があります。また、30 年前に従業員の心理を捉えられた飲みニケーションなどの手法が今も通用するとは言い切れません。人事制度の設計など全般に言えることですが、人事担当者の方々は多大に努力されていると思います。でも、やり方がずれていてはその努力が無駄になり、従業員のマインドを捉えきれなくなってしまいます。

岡田 なるほど。ただ、現場では、コミュニケーションとは「交渉」であるといったケースも多く、経費や時間がかかります。もし経営者にコミュニケーションコストの削減を迫られたらどうするべきでしょうか。

江夏 日頃から現場に入って人事業務フローを把握していれば、トップが見えていない社員像や現場の実情をトップに訴えることができます。エビデンスと実績を示し、「ここでのコスト削減は無理」とはっきり言うことも、人事部としての生存権を獲得し、リソースを獲得することにつながるのではないでしょうか。

岡田 ここまでのお話を伺って、全ての部門を一つの人事で見ることは不可能だと思いました。製造や研究といった部門ごとに専門の人事を置いて、日常的に現場を見て、その部門に合った人事施策を考える仕組みが必要ではないでしょうか。

江夏 人事ビジネスパートナー(HRBP)を活用し、本社がバックアップするという形ですね。それも有効だと思います。

◆文化的多様性は評価の対象外

岡田 最近ではカルチャーの多様化も含めた人事制度への要望が増えているようです。従来通りではなく、プラスαの制度設計が必要でしょうか。

江夏 人事評価というと金額で差をつけることになりますが、文化的な多様性は優劣が付けられない問題です。多様性を尊重するからこそ、文化的多様性に関わりそうな事柄については評価項目に入れないことも必要ではないでしょうか。量的に差がある部分だけを評価基準に入れることは、多様性の経営という点でも大事だと思います。評価とは直接関係ないですが、年齢を人事管理の一つの判断基準にすべきか否かというのも、多分に文化的な問題です。

岡田 モチベーションの点ではどうでしょう。多様な承認欲求にはどう応えるべきでしょうか。

江夏 そこはインフォーマルな部分です。あなたの特性として尊重はするけれども、会社が求め評価する部分ではない。社員として絶対にしてほしいことはこれなのだと、ルールとして明言すべきだと思います。

岡田 人事は何をどう評価するかということを考えがちですが、「何を評価しないか」についても、説得力をもって説明できるようにするべきなのですね。

◆異なる基準では比べられない

岡田 働き方の多様化とともに「同一労働同一賃金」の議論も国会や委員会で始まりました。賛否両論ありますがどのようにお考えですか。

江夏 いわゆる正規と非正規では、そもそも賃金の払い方が違います。片や職能給的な月給。片や職務給的な自給。異なる基準で見たときに差があったとしても、これが公正であるかどうかの判断は難しいと思います。同じ100メートルでも、ハードルを飛びながら11秒で走る人と、真直ぐ10秒で走る人のどちらが早いのか、という議論に近いでしょう。もちろん、労働者の生活や尊厳のために賃金水準を合わせるべき、という論点はありえます。
 同一労働同一賃金の議論を実態的に行うには、まず何を「労働」と定義するのかを決め、働き方に違いがあっても賃金の支払い方法はすり合わせるべきだと思います。これは、日本独自の追加的議論となるでしょう。
 今は、一人の人がキャリアの中で多様な働き方を経験しうる時代です。雇用区分ごとに賃金ポリシーが違いすぎると、働き方の移行や微調整が難しく、運用しにくいと思い
ます。ジョブや職務遂行能力、姿勢など、どの基準を採るにしても一つに決めて、働き方の間の差を設けるべきです。そして、基準の定義に際しては、より多くの人が理解でき
るような明確性、様々な立場の人が納得できるような不偏性、状況の変化に応じた柔軟性、が必要になります。制度設計者にとっては面倒でしょうが、いろんな広のいろんな思いを暗室ですり合わせにくくなってきている昨今ですから。

◆基本給をジョブベースにしても組織は回るか

働きたい人が働きたい働き方で動く状況づくりが必要では

岡田 同一労働同一賃金の背景には、正規・非正規の賃金格差問題があると思います。限定正社員のような働き方を普及させるには、格差を縮めなくてはなりません。そのためには、やはりジョブベースで賃金を決めることが公正だと思います。ただ、日本では業務以外の役割を社員に求められることがよくあります。「自分の仕事ではない」と拒否されたら、組織がうまく回らなくなるのではないでしょうか。

江夏 基本給がジョブベースになるからと言って、必ずしも業務以外の関わりが拒否されるとは限らないと思います。組織における役割外行動(Organizational Citizenship Behavior; OCB)は、会社との一体感や、公正な扱いへのお礼として引き出されるものです。

岡田 OCB の概念は、日本的なライフタイムコミットメントを前提としたものではないでしょうか。

江夏 役割外行動とは、各自の役割が決まっているアメリカで生まれた概念です。日本はそもそも役割が明確化されておらず、役割の内外を問わず何でもやることを求められます。基本給をジョブベースにした場合の役割外行動については、査定で付加的に処遇することもできます。今後制約的な働き方が増えてくれば、業務での役割を明確化せざるを得ません。ジョブという概念が日本に合うかどうかより、そのやり方を問うべきだと思います。

◆労働人口の減少に備えて人材の再配分を

岡田 今後ジョブベースになれば、労働力がますます不足すると言われています。確かに特定の業種、業態においては人手不足が生じていますが、賃金の市場メカニズムが働けば、需要と供給の関係で賃金水準が適正化して人が集まるはずです。行政の言う「一億総活躍」は本当に必要でしょうか。

江夏 その名称はさておき、全ての働きたい人が働きたい働き方で働く、という自由は必要でしょう。労働市場への人々の参入、労働市場内での人の流動が進まない理由の一つには、転職の難しさや離職のリスクがあるのではないでしょうか。労働力の適正配分を考えれば、移動しやすいように企業の内外を整備しなくてはいけません。「どこで何をしてどれだけもらってきたか」ということが明確になることは、労働市場や能力開発機関におけるパスポートになるでしょう。

岡田 雇用保蔵という言葉がありますね。企業内失業している人の労働力が生かされないのは、社会的にもマイナスです。しかし再配置しようにも企業内労働市場に手頃な仕事はなく、企業外労働市場で活用したくても雇用保障や賃金の問題で進まないことがあります。どうすれば適正配置できるでしょうか。

江夏 そもそも日本人は、特定の企業を想定しない一般的なキャリア教育を受けていません。あるいは、本当は他の企業でもやっていけるのに、「エンプロイアビリティがないために無理だ」と思い込んでしまいます。そして40、50代になると、マインドもスキルも変えづらくなります。これはとても根深い問題です。

◆若い内から定期的なキャリアの棚卸しが必要

岡田 最近巷では、雇用保蔵された人たちを「老害」と呼ぶようです。彼らは組織にしがみつこうとするので、自身の存在をアピールして周囲に迷惑がられ、企業も処遇に困っている。この点についてはどう思われますか。

江夏 彼らに新しい仕事を作ってこなかった企業の責任もありますから、一概に彼らを責められません。
 高度成長期にはどんどん新しい仕事やポジションも増えました。時代が変わってからは、企業は自ら新しい仕事を創出し、社員たちに新しい課題をどんどん与えるべきだったのです。それをやってこなかったので、今の状況に適応した彼らは、老害と言われる行動を取ってしまっているのだと思います。

岡田 世代論的な部分もありますね。老害のような社会的ロスは、労働力の減少を考えれば避けるべきです。これからの若い人たち向けには何ができるでしょうか。

江夏 東京大学大学院の柳川範之先生が「40歳定年説」を唱えていらっしゃいましたが、若いうちから自分のキャリアを考える習慣はとても大事だと思います。
 また、フルコミット社員以外の働き方やキャリア開発の仕方など、転職や離職を前向きに捉えられるロールモデルがもっと必要です。積極的にキャリアを築いていく一人ひとりの行動が企業の新陳代謝を進め、やがて社会全体のためにもなると思います。

◆学生のフルコミット志向が変わらないのはなぜか

岡田 多様な働き方が広がる一方で、フルコミット企業で高賃金、雇用も終身に近い企業を志望する学生が増えていると聞きます。学生の就活や働くことに対する意識は変化しているのでしょうか。

江夏 学生は規模や安定性を基準にして企業を選んでいるのであって、フルコミット企業を意図的に選んでいるわけではありません。そもそも企業で働く意味や、企業との労働と報酬の交換に関しての基礎知識が足りていない状況です。

岡田 大学はここ10年ほどキャリア教育に力を入れています。自律的に働けるようなワークやインターンシップも行っているにも関わらず、学生の人気企業ランキングは何十年も同じです。加えて、3年以内の離職も3割を越えています。これはなぜでしょうか。企業の問題なのか、キャリア教育が空回りしているのか。

江夏 大学で捉えている自律の範囲が狭いのだと思います。自律には、雇用契約や企業で成果を出すメカニズムなどの基本的事柄に対する理解が必要です。また、本来は「企業と関わりつつも、キャリアを作る主導権はあくまで自分にある」という意識は持つ必要があります。自分の人生設計を基に適職を決めるという、本来の自律は教えられていなのでしょう。

岡田 キャリア教育が就活に勝つためのテクニカルなものになっていて、労働法や働く意味、企業が社員に何を求めているかという根本的なところは飛ばされているということでしょうか。

江夏 本来のキャリア教育とは、「自分の色を持て」というものです。自分に合った会社を選び、企業と適度な距離感で、お互いWinWinの関係を築くためのものですが、今の教育は学生の白地性に磨きをかけ、どこでもそこの色に染まれるようにしているだけなのかもしれません。

◆多様化の波をチャンスに変えていく

岡田 最後に読者にメッセージをお願いします。

江夏 多様な働き方が尊重され促進されるようになると、これまで接触のなかった労働力とも出会うことになります。そういう人材を受け入れると、職場に波風が立ちますし、企業風土改革や制度変革など大変なことも多いでしょう。ですが、多様な働き方を実現することは、これまでの無駄をなくし、収益率の高い新しい仕事に目を向けることになります。つまり、組織やチームをよりよく作り変える機会にもなり得るのです。
 また、一人ひとりが希望どおりに生きられるようになることは、社会正義の実現にも通じます。現状対応型のネガティブな発想は捨て、経営者や人事責任者が率先して、信念や期待感をもって、多様化の波を前向きに受け止めてほしいと思います。

岡田 ありがとうございました。

取材日は夏日でした。


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