昨今、ビジネスパーソンの間で静かな「哲学ブーム」が起こっているのをご存知でしょうか。書店のビジネス書コーナーに足を運ぶと、哲学に関する本が増えていることに気づきます。例えば、『使える哲学』、『武器になる哲学』など、「難解で役に立たない」という哲学のイメージを打破するタイトルがつけられています。恐らく多くのビジネスパーソンが、ビジネスの現場で役立てられるようなヒントを哲学から引き出そうという関心が高まっているのでしょう。

 もともと哲学とは、西洋から日本に入って来たものが主流です。英語で表現するとフィロソフィーのことです。それが哲学と訳されています。フィロソフィーとは何かというと、これは哲学発祥の地、古代ギリシャの言葉で「知を愛する」という意味のようです。そこから、物事の本質を探究し続けることだと説明されたりするのが一般的なようです。物事の本質が理解できれば、失敗したり騙されたりすることなく、正しい判断ができるような気がします。企業の様々な意思決定場面でも同様でしょう。

 勿論、「どのような視点で判断するか」という際に、本能や直感、身体、感情、経験、意志、欲望などが影響してくることは避けられません。これらは個々人によって異なるものですので、哲学的思考を行った結果として導き出される物事の本質も、人によって変わってくるわけです。こうした相対化できる視点が大切なのかも知れません。

 今回の特集2では、ビジネスシーンに活かす哲学的思考ついて、関西外国語大学 英語国際学部 准教授の戸谷 洋志さんにお話を伺います。

(編集長:岡田英之)

ゲスト:関西外国語大学 英語国際学部 准教授 戸谷 洋志 氏

1988年生まれ。2011年法政大学文学部哲学科卒、2019年大阪大学大学院文学研究科博士課程満期退学、「ハンス・ヨナスにおける倫理思想の体系について 形而上学の概念を手がかりに」で文学博士。 2019年大阪大学特任助教、2021年関西外国語大学准教授。
関西外国語大学 英語国際学部 准教授 戸谷 洋志 氏
存在と時間 ハイデガー
Jポップで考える哲学

ビジネスパーソンにとっての「哲学的思考」
~混迷するビジネス環境において、哲学にヒントを求めるには~

岡田英之(編集部会):本日は、関西外国語大学准教授の戸谷洋志さんにお越しいただきました。戸谷さんはNHKの『100分de名著』にも出られているのでご存知の方も増えていると思いますが、改めて簡単にご専門の分野や今現在関心を持たれているテーマなどから、自己紹介をお願いいたします。

◆ビジネスパーソンが哲学にヒントを求める背景

戸谷 洋志(関西外国語大学 英語国際学部 准教授):私は、関西外国語大学という大学で准教授を務めております。専門は哲学で、現代ドイツの倫理思想です。ハンス・ヨナスという哲学者とその周辺にいる哲学者、例えばNHKの『100分de名著』でもとりあげたハイデガー、ハンナ・アーレントなどの哲学者たちを主な研究対象にしております。
 テーマベースではテクノロジーと人間に関心を寄せていまして、テクノロジーという抽象的なレベルでもそうですし、原子力の問題、ゲノム編集の問題など社会課題と人間がどのようにかかわるべきかに関心があります。あとは市民の方との共創を重視しておりまして、「哲学カフェ」「哲学対話」と呼ばれる対話型ワークショップを大学外で定期的に行っています。そういった場では、専門用語ではなく日常的な言葉で対話しながら研究活動と実践活動をしているといったところです。

岡田:ありがとうございます。哲学カフェ、私も興味ありますし参加したい会員がいそうだと思って聞いていました。今ビジネス界隈で哲学がブームです。そのあたり先生が感じられているところからお聞きしたいです。

戸谷:私も、正直ビジネスマンの方々が哲学に注目されているのはなぜだろうと思っていました。印象としてあるのは、世の中のすべての人が共通して目指せる目標みたいなものがなくなりつつあるのかなと。例えば、明治維新、第2次世界大戦後は大きな目標があったと思うのです。それが高度経済成長期も終わり、バブルも崩壊し、世界的にもお金の豊かさだけが人生の豊かさではないことに気づく人が増えてきました。昨今は戦争が起きたりコロナウイルスがはやったりして、これからの社会がどこに向かっていくか、日本だけではなくて世界的にも分からなくなりつつあります。

岡田:なるほど、おっしゃるとおりですね。

戸谷:自分の人生にとって何が大事かということではなくて、社会がこれからどこに向かうかを上から押し付けられることなく、一人ひとりが考えなければいけない時代。それ自体はそう悪い環境ではないと思うのですが、何も考えないですむ時代ではない。ビジネスマンが業務レベルだけでなく広い視野で物事を考えなければいけない時代だからこそ、哲学が重視されているのかなと思っています。

岡田:哲学をビジネスにどのように役立ててればいいのか、何かヒントをいただけないでしょうか?

戸谷:私は哲学って何ですかと聞かれるときに、「哲学とは物事の前提を問い直す学問です」と答えています。前提とは、違った言い方だと「当たり前」「常識」になると思います。そもそも物事がうまく回っているときは人間、自分が何を当たり前にしているかも気づかないのです。でも、当たり前が機能しなくなる大きな破局、変革が個人レベルでも社会レベルでも起こるときがあります。個人なら親が死ぬ、結婚する、離婚する、子供が生まれたけれども障害を抱えているなど、それまでの当たり前を問い直さなければいけない瞬間、これは誰にでも何度も起きるんです。
 社会全体を見ても、戦争とか、ジェンダーの問題、コロナウイルスの問題が今起きています。そういったときに概念的なレベルで当たり前を問い直せるかどうかが、変革が起きた後の世界で生き残っていけるかどうかを左右すると思います。実は教科書に出てくるような概念はそんなに重要じゃなくて、自分自身を問い直すことができる思考の柔軟さが、専門家以外の方にとっての哲学の価値ではないかと思います。

物事の前提を問い直すことの重要性

◆ダイバーシティ&インクルージョンはなぜうまくいかないのか?

岡田:前提を問い直すとなったときに、全く哲学の素養がないビジネスパーソンたちは、まずどのような行動(アクション)をすればよいのでしょうか?

戸谷:一つ例をあげると、企業の研修会で、その企業で最も重視する価値は何か哲学対話で考えてもらったことがあります。会社のビジョンの文章は一体何を意味するのか、この文章のこことここが矛盾しているとか会話していく中で、より深い問題意識と洞察に到達できることがあります。ただ、うまくいっている時にはやらなくてもいいかなと思っています、正直。

岡田:そうなのですね。

戸谷:何か状況が大きく変わって新しい展開を示さないといけない時は、何が自分たちの組織にとって整合的かを概念レベルで言語化する必要が出てきます。コロナが流行したとき、大学ではどうやって授業をすることが大学の理念と整合しているのか考え直さなければいけなくなりました。学生のニーズを満たすことが最も重要ならオンデマンド配信でコンテンツだけを流す。それが学生も一番楽です。でも学生を成長させることが重要であれば同時配信にするほうがいい。そうではなく大学とは「場」だと。学生の居場所であることを重視するなら、がんばって少人数のクラスにして大学で授業する、など様々な選択肢があるわけです。

岡田:企業ならテレワーク、通勤をどうするといったときの考え方の根本のところですね。ところで、この概念化するって、どのようなイメージのことなのでしょうか?今週の放送では、同調圧力の話もあって、企業社会とドンピシャの内容でした。そこで「じん」「現存在」という言葉か登場し、聞いたこともない概念ですが、多分これが概念化なのかなと思いました。これは「世間」と「人間」のことですよね。

戸谷:「概念化」を別の言い方にすると、「特殊なもの個別なものを、普遍的なもので説明する」になると思います。例えば、歩いていて黒いふわふわした生き物を見た時に、その生き物はその時間その場所であった特殊な個別のものですが、今までの記憶を呼び起こして、「あの大きさで、あの形で、ああいう動きをするのは猫だ」と思うわけです。世人については、何か不祥事が起きたときにそれぞれ事情は違っても、人は「誰しもが同じことをやっていたので、仕方がないですよ」と、責任逃れをする性質がある。なぜ誰にもあるのだろうと考えた時に、例えば、ハイデガーの話で世人という概念があって、「人間は世人に飲み込まれているから」と説明ができる。これが概念によって物事を理解するということですね。

岡田:AIにこれは猫である、これは犬であると認識させる場面があるじゃないですか。機械学習パターン認識って言うのでしょうか。これに近いのでしょうか。

戸谷:極めて近いです。実際、哲学者のさまざまな概念をAIに学習させて、マッピングさせて理性という概念とはこういうキーワードが関連している、など研究している人もいます。

岡田:ハイデガーはドイツ人なので、世人はドイツ語をある種無理くりに日本語に変換した言葉ですね。当然タイの人にはタイ語で、中東の人にはアラビア語で変換される。言語体系によって変換されるときになんかニュアンスが違ってきちゃうと思うんですが、それって一般化されていることになるのでしょうか。

戸谷:難しいです。当然、ドイツ語の言語体系と日本語の言語体系は違います。ならば「世人、世間」と元のドイツ語の「ダス・マン」は、本当はイコールじゃないはずです。しかし、そんなこと言ったら翻訳なんか一切できないじゃないかって話になるのです。この問題は、乗り越えられるという立場の人と乗り越えられないという立場の人がいて意見が衝突しています。簡単にはどちらとも答えがたいところですね。

岡田:企業でもダイバーシティ&インクルージョンが進んでいて、組織内に外国籍の方が増えています。当然、宗教観も違いますし、外国籍の方に日本独特のサービス残業を説明しても「なぜ無休で残業するんだWhy?」となります。言語体系および言語が背負っている民族性、文化、歴史などの違いがあって壁にぶつかってなかなか難しい。

戸谷:その通りですね。価値観が衝突してコンフリクトが起きたときに、それが文化的な価値観の違いだとその場で分かればまだましですが、ただ怠けているだけに見えたり、仕事をなめているだけに見えたりしてしまうわけです。相手の価値観はもちろん、自分が一定の日本的な価値観に基づいて判断していることにも気づいていなかったりします。これからの時代、概念的に考えるとは、自分が寄りかかっている概念の背景にある体系、自分の価値観の前提そのものに立ち返らないといけないのかもしれないです。

概念レベルで言語化するとは

◆企業でアイヒマンの立場にならないために

岡田:ハンナ・アーレントの書いた『エルサレムのアイヒマン』。いわゆるナチスで、ヒトラーの命を受けてユダヤ人の大量虐殺に加担させられたわけですね。あれを見ていると企業不祥事が起こるメカニズムに似ていると思うのです。國分功一郎という哲学者の先生の言葉に「中動態」があります。「すべてお前がやったんだろう」という能動態や「僕はやらされました」の受動態だけではない世界観。アイヒマンも中動態的なのか、なぜあんなことになったのかずっと気になっていて、そこをお聞きしたかったのです。

戸谷:国分さんも中動態の例でアイヒマンを取り上げていたと思います。一つの例としてはカツアゲですね。強制的に何かさせられている状態。お金を出しているのは自分でも、お金を出した責任があるとは言えない。アイヒマンも同じようなところがあるのではないかということです。ただ、彼にまったく責任がないかというとそうでもなくて、この話がややこしいのは、彼すごい優秀な人だったのですよ。

岡田:アイヒマンは優秀だった。

戸谷:倫理観は凡人だったかもしれませんが、業務遂行能力は極めて高かった。彼は、ユダヤ人を強制収容所に列車で送り込むダイヤの調整をしていたのですが、アイヒマンが赴任する前は賄賂やいじめ、女性ユダヤ人に対するハラスメントがあったり滅茶苦茶だったのです。それに対しアイヒマンは今風で言えば完璧なマネジメントを行って、しっかりとドイツの兵士たちもコンプライアンスを守って粛々と業務遂行できるような環境作りをしていったらしいのです。その能力がものすごく高かったから大きな仕事を任されていったと言われています。僕の推測ですけれども、アイヒマンは多分、自分の仕事にものすごくやりがいを感じていたと思うのです。だからこそあんなに大きな問題に発展していった。ある種の職場で発揮される優秀さが倫理的ではない方向に悪用されることがやはりあると。だから、優秀さだけを目指していくのは危険なことかと思います。

岡田とても示唆に富んでいます。会社でも優秀だと評価されたくて、特に若手とかは上司の指示に従ってアウトプットを出すことに猪突猛進する。尊いんだけれども倫理観が作動しないとおかしなことになるタイミングがあります。最後に、哲学におけるアナロジー思考についておうかがいしたいです。

戸谷:アナロジーは哲学の世界では非常に重要な概念で、アリストテレスはアナロジーという働きが、先程の概念化のプロセスの本質だと考えていたんですね。物事の説明は、常にアナロジーにもとづいてより上位の概念を考えて説明するプロセスだとまとめています。さらに、カントがこの上位概念は拡張されていくと説明しました。ある国は黒い猫しかいないので猫といえば黒猫だった。でも、ある日白い猫がやってきた時、私たちは猫の概念を拡張して白いけど猫だと判断できるわけです。例外が表れた際に、そのように柔軟にルールを変えて概念化していく知的な営みがなければ、この世界の多様性を説明はできないとカントは考えたんです。

岡田:わかりやすいです。

戸谷:カントはその能力を「判断力」と呼んでいました。今のルールを現実に合わせて変えていく知的能力でありながらも説得力を持っている能力です。めちゃくちゃにルールを変えちゃいけないわけです。何でもかんでも猫と言ってはいけない。論理的に理詰めで考えるだけではなくて、今まで当たり前だと思っていたことを柔軟に発想転換していく、そうありながらもある種の説得力を持って語ることができる能力です。
 これは身に着けるのが非常に難しくて、実践を繰り返して訓練するしかないのですけど、それができる人はリーダーシップを発揮すると思うし、大きな変化が起きている時代はそうした能力を持っている人が求められていると思います。

岡田:例えば通勤ってあります。日本人にとって通勤はいわば当たり前でしたが、コロナ禍でテレワークが入ってきて例外もあるよとなりました。そこで今、「コロナが落ち着いたんだから出社しろよ」という上司に対して、どのように説得力ある説明ができるのでしょうか?

戸谷:押さえておかなければいけないポイントは、会社のマネジメント方針です。コロナ前の世界で通勤が果たしていた役割とコロナ後の世界での通勤の役割は違うと思うんです。その違いを説明する際に、単にネット記事とかで世の中はもうこうなっているからうちもではなく、「この会社の考え方だったら、コロナ後の世界に適応するには、こうしたほうがビジョンと整合しているのではないでしょうか?」と説明することが重要で、これは会社によって違いますし、そこで判断力が問われると思います。

岡田:読者の人事担当者、より哲学に近づいてみたい皆さんにメッセージをお願い致します。

戸谷:専門家以外の方々と話すときに強調することなのですが、哲学的に考えていくと答えが出るってことはほとんどないのです。哲学的に考えることで得られることは、今まで当たり前だと思っていたことが相対化されて別の考え方ができるようになるだけで、どれがベストアンサーかは結局分からないんですよ。
 答えが出ないことは決して悪いことではないのです。答えが出ないからといって考えるのをやめてしまうのはすごくもったいなくて、同じところをもしかしたらグルグル回ってしまったり、堂々巡りになった結果、何が一番正しいのかわからなくなったりしてしまうかもしれないのですが、それでも考え続けることが大切です。かといって答えが出ないままでずっといたら何もできないので、意思決定をする濃度と哲学的に思考する濃度を意図的に切り替えていく。今は即座に意思決定する必要はないからぐるぐるぼんやりと普段考えないようなことを考えてみる。意思決定をするときには、普段考えていた思考の豊かさをもって多くの選択肢から一つを選ぶこと、濃度を切り替えることが、哲学的な思考を育てる時間を作る意味で重要だと思います。

岡田:ありがとうございました。以上で本日の収録を終了します。

当たり前だと思われていたことを相対化する

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