日本では、毎年100万人前後が発症するという、うつ病。ここ数年のコロナ禍でその傾向は強まり、さらに不安障害に悩む人も増えていると言われます。

 NTTデータ経営研究所などの調査によると、ビジネスパーソンの約50%は精神的な健康度が低く、うつ病や不安障害などの精神疾患のリスクが上昇していると報告しています。特にコロナ禍でストレスや悩みが増加した人は6割に達しているよいうです。特にストレスや悩みが増加した人は、長く企業に勤め、テレワークを定期的に行える環境におり、同居者もいる40~50代が多いようです。生活が安定しており、社会的に成功しているようにみえる人でも、ストレスや悩みが増加している可能性があります。さらに、こうした方々がメンタルクリニックを受診したり、企業内外の相談窓口を利用したりというケースは約30%と低く、当事者に相談への抵抗感があることや、解決方法が分からない、相談窓口そのものを認知していないなどの課題があるようです。

 今回の特集2では、『元サラリーマンの精神科医が教える 働く人のためのメンタルヘルス術』を上梓されましたVISION PARTNER メンタルクリニック四谷院長の尾林誉史医師にお話を伺います。

(編集長:岡田英之)

VISION PARTNER グループ 代表
VISION PARTNER メンタルクリニック四谷 院長
 尾林 誉史 氏

ゲスト:VISION PARTNER グループ 代表 VISION PARTNER メンタルクリニック四谷 院長 尾林 誉史 氏

東京大学理学部化学科卒業後、株式会社リクルートに入社。退職後、弘前大学医学部医学科に学士編入し、東京都立松沢病院にて臨床初期研修修了後、東京大学医学部附属病院精神神経科に所属。
現在、18社の企業にて産業医およびカウンセリング業務を務める他、メディアでも精力的に発信を行なっている。著書多数。

働く人のためのメンタルヘルス術

令和時代の理想的産業医とは~求められるマネジメントスキルと複眼的アプローチスキル~

岡田英之(編集部会):本日は、VISION PARTNERメンタルクリニック四谷の尾林誉史院長にお越しいただきました。尾林さんは産業医の先生で、いろいろなメディアにプロフィールがご掲載されていますけれども、改めて産業医を志された経緯などから自己紹介をお願いできますでしょうか。

◆ビジネスマンから産業医になった理由

尾林 誉史(VISION PARTNERメンタルクリニック四谷院長):私は、新卒でリクルートという会社に入社いたしまして、主に営業をしておりました。2001年の入社でしたが、ちょうど1990年代あたりから、日本でもうつなどのメンタルヘルスに関する社会的啓蒙活動が、わずかですが進んできていた時期だと記憶しております。
私自身、比較的タフなサラリーマン時代を過ごしておりまして、仕事と自身の間で大変に葛藤したり悩んだりしながら生活しておりました。また、周りにかなり多くのメンタル不調に陥る人たちを、幸か不幸かたくさん目の当たりにしておりました。自分の中では全く予期しなかった社会課題。働く上での見過ごせない大変に重要な問題だなという感覚を日々持ち続け、それが大きくなったことが、広い意味で産業医を目指したきっかけとなります。

岡田:ご自身のご経験がベースにあったのですね。

尾林:とはいえ、それが産業医になることと即結びついたわけではなかったのですが、たまたま同僚がメンタル不調に陥り、産業医面談というものに当時初めて同席する機会を得ました。産業医、ドクターといえば雲の上の人、困ったときに助けてくれる存在という感覚を漠然ともっていましたので、すがるような思いでお力を借りようと臨んだことをよく覚えております。ただ、面談に同席してみるとまあ思いのほかシンプルなものであったなと。

岡田:なるほど。

尾林:それを契機に産業医という仕事を知るのですが、産業医という仕事は、実は医師免許を持っている先生であれば、言葉は悪いのですがいとも簡単にできてしまうんですね。もちろん、先生方みなさん素晴らしい知識や経験をお持ちだと思うものの、単に医師免許を持っていれば誰もが産業医をできるものではないのではないか?と素朴な疑問を持ちました。
 それとドクターというのは、やはり働くビジネスパーソンの日々の苦労とか、困難みたいなものをわかるよしもないと思いました。どちらが正しい正しくないではなくて、そういったミスマッチ感やギャップ、産業医に期待する役割と実際に置かれている先生の役割がかなり乖離していることに疑問を感じたんですね。
 私にとって、メンタル不調に悩む職場の方たちは昔からの友達であり、日々苦労をわかちあっていましたので、そんな経験がある産業医がいてもいいんじゃないかと思いました。医者になりたいというよりは産業医という仕事自体が、サラリーマン経験を経て苦労がわかるからこそやりがいを持って勤められる仕事ではないかと考えました。であれば医師免許をとらなければならない。ちょうど30歳で人生の前半戦~中盤戦最後のチャンスだと思いまして、一念発起して会社を辞め、勉強を始めたというのが経緯です。

岡田:今お話を聞いてとても心を揺さぶられました。ドクターになる前に先生が感じられたことを、多くの人事担当者も感じていると思います。私たちも、従業員が産業医面談をした際に診断書を書いていただくんですが、大体多くの診断書に「適応障害」と、4文字だけが寂しく書かれているんですね。その4文字だけを頼りにストレスで苦しんでいる本人、ご家族、休職者がいる部署の人たちとコミュニケーションをとります。彼がここまで追い込まれた原因は何なんだろうと、適応障害という4文字をネットとかで調べれば調べるほど、それだけでは解せないものを感じます。産業医の先生は一般には内科の先生が多いので、なかなかメンタルヘルス、ビジネスパーソンのストレスについての会話が上手く深まらない…そんなことが多くの人事担当者の悩みではないかと思います。

産業を志した「キッカケ」

◆コロナ禍における企業のメンタルヘルスマネジメント

岡田:先生の本やメールマガジンの中に、メンタル不調の人がリカバリーして復職することをマネジメントサイクルとして捉えること、産業医の先生に企業の人材マネジメントのサイクルに入ってもらうということが書かれています。たしかに、外部のプロフェッショナルなドクターとしての医学的なアプローチも大事なんですけれども、もう少しマネジメント、経営的なアプローチも含めて産業医の先生からアドバイスをいただきたい、そんなことが今後は必要なのかなと思いましたが、その辺いかがでしょうか。

尾林:はい、将に私の言いたいことを代弁していただきました。私自身も、まだまだいろいろ研鑽している部分があるのですが、これからの産業医にはマネジメントという観点が欠かせないスキルになってくると思います。休職、復職、それに伴って退職なんて話も当然出てくるケースが多々ございますので、法的な観点でもしっかりとした素養、知識が最低限求められます。人事労務という観点から会社にどういう人材が必要なのか、従業員さんをどういうふうに扱って育成していくべきなのか、きちんとその方の内面に寄り添って、会社としてのある種の都合も聞きながら、弁護士さん、社労士さん、人事労務の現場の方々とタッグを組んで進めていったほうがみんなにとって良い解決策が生まれます。本当に産業医に求められる視点はかなり複眼的であると、日々を重ねれば重ねるほど痛感しております。

岡田:コロナ禍になってリモートワークが普及しています。各企業のメンタルヘルスマネジメントはどのような状況なのでしょうか?

尾林:リモートが常態化して一番悲鳴をあげているのは、新卒と中途入社の方たちです。産業医という立場でも、臨床の現場で精神科医として立っている肌感としても、相談内容としても多いと感じます。若い人たちが、企業の有形無形のカルチャー、そこに存在する人たちの顔や人となりみたいなものが全く見えない状態からスタートしないといけない。ある程度のキャリア、人生観、仕事観が培われた中堅の30~40代くらいの方でもなじめない、わからない、ついていけない、会社の中で果たす役割みたいなものが見いだせないと、非常に悩んでいらっしゃる例を顕著に見ています。

岡田:新入社員、中途採用で転職した方が、新しい環境になかなか馴染めないで、ストレスをかかえて先生のもとに行くのですね。対処法としては、まずはどんなことをすればよいのでしょうか。

尾林:今後は、当然ハイブリッド型の働き方になっていくと思いますけれども、大きなキーワードはセルフケアだと思っているんですね。組織が従来のヒエラルキー型からネットワーク型にシフトしていくなか、受けた指示や命令だけをこなすという働き方ではすまなくなり、いろいろな方と当意即妙かつ臨機応変に対応していくことが求められます。一人ひとりが柔軟に対応する力、受け流す力、ときには質問力、鈍感力を蓄えていかないとなかなか生きづらい、行き詰まってしまう時代だと思います。
 クリニックを受診される方には、一見関係なさそうなこんな話もさせていただいた上で、トーンとして自分のことをまず大切にできないと他人のことも大切にできない、という順番を示してあげて、時代に適した行動、振る舞いを一緒に考えていきます。「自分はこんなこともできない」「自分はこれくらいのことしかまだやれない」と、自分に対する期待値が非常に低い方がいらっしゃるので、少し自分に対する寛容さの度合いを高めていただく。
 メンタル不調の方の特性の一つでもあるのですが、人に頼りにくい、人に相談するのがヘタな人も多いので「意外と思い切ってこんなかたちで相談してみたら、思いのほかちゃんと教えてくれるかも」「こう思い込んでいたのはこの一面からしか見ていなかったからで、別の角度から見たら意外と大したことはないんじゃないか」と、視点をちょっと変えていただく。無理やり医学的に言えば、認知行動療法的といいますか、そういう気づきと発見の連続をしていただくことを臨床上は心がけています。

コロナ禍におけるメンタルヘルスマネジメント

◆健康経営におけるメンタルヘルス施策は三次予防がポイント

岡田:健康経営という文脈で、メンタルヘルスマネジメントに取り入れるべき施策は何があるでしょうか?

尾林:特別目新しいことではないのですが、実はどこの企業さんもやりきれていないと思うのは、従業員さんのセルフケア、メンタルヘルスに予算や時間を割いたり、制度を手厚くしたりすることだと思うんですね。僕はメンタル不調の方たちとたくさん面接してきて、非常に時間もかかる治療、関わり方をしている自負もあるんですが、しっかりとメンタル不調の時期を過ごしていけると、まず2度3度と再発を繰り返すということはないんです。

岡田:再発しないのですね。

尾林:逆によく「先生、元に戻りますか?治るんでしょうか?」と聞かれるんですが、そのときは「戻りません」と言います。皆さん絶望的な顔になるんですけれども「あなたは、よりパワーアップして社会に戻れますよ」という話をちゃんとするんですね。それにはいろいろ根拠があって、一つは自分自身の限界を知ることになるのでアクセルとブレーキのバランス、自分のキャパシティを把握するようになります。メンタル不調の方は、ご自身の人生を振り返ることになりますので、自分の良いところ、できなかったこと、避けていたことに対する対処法、気づきみたいなものが必ず生まれるんですね。
 実は、僕はここのポイントは休職の仕方にほかならないと思っています。健康経営におけるメンタルヘルスは、一次予防的な施策も当然大切なのですが、メンタル不調が起こってしまったあとの三次予防も手を抜かず、しっかりと従業員さんの休職プロセスを支援してあげることが重要だと思います。しっかりした休職プロセスを経れば、その人は必ず企業にとって欠かせない人材、会社にとって大きな役割の人材になって戻ってきます。僕は何人もそういう人たちを見ています。

岡田:すごく、いいお話をうかがいしました。メンタル不調者は国民病と言っていいくらい多いです。おっしゃったようにメンタル不調になってもリカバリーに成功すれば、むしろその人の人生、ライフキャリアが豊かになる。そういう人が職場に増えて情報を共有できれば、組織のレジリエンスも高まる。そんなイメージであっていますか?

尾林:大変言い得て妙だと思います。補足というほどでもないですが、やはり人は大切にされただけ報いたいと思うのだと思います。自分が辛い状態のときこそどのように自分を支えてくれたのか、自分に接してくれたのかで、この人たちに報いたい、この会社のためにまた頑張りたいという得も言われぬ気持ちになります。この方はこれ以上難しいのかな…というときこそしっかり支えてあげる。企業として勇気のいる決断ですし、言うほど綺麗事じゃないだろうというハードルを一つ越えていただけると、従業員さんとのリレーションも深まると思います。

岡田:DI(ダイバーシティ・インクルージョン)についてうかがいます。多様化はいいことですがコミュニケーション上ダイバーシティがストレッサーになるという話も最近聞くんですね。先生はどのようなご意見でしょうか。

尾林:相手のことをしっかり理解しよう、受け入れようと小手先でやるのはとてもパワーを要することだと思うんです。多様性が叫ばれる時代においては、他者を知っていく前にまず自分は何者であるかに思いをはせる。土台にあるのは自己理解だと、つまらないことをと思われるかもしれませんが私は思ってしまうので。何語を学ばなければいけないと手段に走るよりは、一人ひとりが「私はこういう人間です」と自己紹介がしっかりできる人になっていくことが、みんなでうまくやっていくための素養であり、武器であると思っています。

岡田:組織が多様化するほどWho are you?という質問にちゃんと答えられるかということですね。なかなか難しいですよね。最後に人事担当者にメンタルヘルスマネジメントについてのメッセージをお願いします。

尾林:産業医という仕事、ドクターという仕事、これもハイブリッドですからまだまだ伸びしろがあると思います。企業もまだその利用価値に気づいていなかったり、当の産業医の先生方もどのように力を発揮したらいいか、何を身につければ産業医として充実するのかを、見いだせていなかったりする状況が続いていると思うんですね。
 「先生方に物申すなんて」と、心ある人事労務の方々は遠慮されるんですけれども、産業医として企業に加わっていただくからには、その先生の力を発揮していただかないともったいないので、どうぞ皆さんの熱意とお気持ちで、産業医の先生をうまく導いてほしいという気持ちを持っています。
 多分、働き方、動き方を悩んでいらっしゃる産業医の先生も多いと思うので、「先生こんなこと一緒にできませんか?」と、お声掛けとかお力添えがあると、より良い産業医生活と人事活動に結びつくと思いますので、これを結びの言葉にさせていただきます。

岡田:ありがとうございます。以上で本日のレコーディングを終了いたします。

健康経営時代のメンタルヘルス