JSHRM会員の誌面交流の場として、会員の方から寄せられた自己紹介や日ごろ考えていること、問題・課題意識などをご紹介します。

ゲスト:JSHRM前執行役員(丸紅新電力株式会社 人事総務部) 長谷川宏二 氏

あの時、私は誰にも話すことのできない焦燥を抱え、一人悶々とした日々を過ごしていた。

新卒で入社した会社で12年余りを人事で過ごし、その間に採用・労務・制度・研修それぞれの川上から川下までを経験し、人事担当としてひとかどになっているという自負があった。
そもそも当時拡大期にあったその会社において、“人事課”は我々世代を採用する際に、全国から所謂上位校の大学生を獲得するために新設された組織だった。部長も(当時係長であった後の)課長も、ビジネスサイドから異動してきた方々で、そこに新入社員の私が加わったのであった。つまり、人事に関して社内に学ぶべき先例もノウハウもなく、上司に指示を仰いでみたところで、上司が答えを持ち合わせている訳もなかった。そのため、私は実務で直面する“?”に対して、都度書籍に当たり、時に自腹を切ってセミナーや通信講座を受講し、甚だ生煮えな知識を頼りに徒手空拳で実務に臨み、実践を通して得られた知見を体内化していったのだった。

30代に入る頃からマネジメントに携わりたいという志向が高まった私は、その一歩として課長となる機会を窺っていた。しかし会社は、2001年9月アメリカ同時多発テロの発生により大きな痛手を被り、さらにテロにより急減した需要を急回復させんとして業界全体でのめり込んだ価格競争の結果、止む無く縮小均衡の道を歩み始めた。
会社が身を縮めんとする中で、人事だけが未来に向けて希望に溢れる大きな絵を描くことは出来ない。この会社でつくづく学んだことだ。速度の高低はあれども、会社が成長することを目指し現に業績という成果を創出出来ない限り人事にできることは限られる。言い換えれば経営があって初めて人事がある。余談だが、つまり経営と乖離した人事などある筈がないのだが、人事の界隈では時として「経営人事」なる言説が立ち現れることがある。私は本心で経営人事でない人事など有り得ないと思っているのだが、敢えて「経営人事」が殊更に強調されるということは、そうでない人事が存在するということなのだろうか。私が勉強不足なのかもしれない。

話を戻す。縮小均衡に陥った会社において、私は人事担当として手応えを感じるような仕事ができる未来を思い浮かべることが出来なくなっていた。加えて、評価は十分得られていたがそれでも早期に課長に登用される余地はないと思わざるを得なかった。
そして私は悩んだ末に、愛着ひとしおなこの会社を辞め、当時創業6年にして東証二部にいたベンチャー企業に人事課長として入社した。2004年のことだ。

その会社で、私は初めて人事のプロフェッショナルだと思える人に出会った。人事部長、上司である。年齢的には私と数歳しか違わないその人は、しかし思考の深さ、伝えるスキル、熱量、行動量、そして胆力等々、もちろん複数社で築いた実績も、全てにおいて圧倒的な違いがあった。プロ野球の世界にドラフトで指名されて勇躍キャンプに参加した新人選手が、一軍の主力選手を目の当たりにしてここはとんでもない場所なのだと思うということを聞いたことがあるが、その時の私は正しくその心境だった。到底叶わないと思いながらも、私はその人を自分のロールモデルとして、個性の違いを加味してアレンジしつつも、今も面影を追い続けている。

当時その会社は、急成長というよりは膨張といった方が合っている、人事労務的には多分に無理のある、つまり今でいうところのブラックな状態だった(その会社の名誉のために付言すると、現在はサービス業における働き方改革に関する多くの先駆的な取り組みにより、その方面で話題になる程である)。その中にあって、私は主に労務担当マネジャーとしての貢献が求められていたのだが、正直なところ、この難度の高い環境において結果を出すために必要な持ち物を当時は全く持っていなかった。恰も泳げない人間が必死に水中でもがいているかの如き時を過ごし、体調を崩した私はその場を去った。己が未だアマチュアであることを痛切に思い知らされたのだった。

一敗地にまみれた私だったが、幸いにして程なくして縁に恵まれ、前年に新興市場に上場したばかりの菓子メーカーで人事部の係長としての職を得た。2005年のことだ。
前年の苦い経験を経て、私は多種多様な人材が集う工場や店舗を有するような業界で人事のプロフェッショナルとして活躍する為には、ベースとして労務に対する深く広い知識と洞察がなくてはならず、その上で各現場のマネジメントの抱える人事労務に関わる悩み事に対し、専門家として相手に寄り添った形で納得感のある刺さるソリューションを出し続けなければならないことを学んでいた。一つ二つと役に立つ、相手にとっては助かったと思える事象が出てくることで、私に対して“人事の専門家”という信認が生まれてくる。各組織の領袖の中に私に対する信認が生まれて初めて、その後に自分からの提案に耳を傾けるようになってくれる、という訳である。

会社の中で地歩を固めるために、一度は管理職から下がったところからスタートできることは却って好都合だと思っていた。マネジメントを再び担うその時までに強化するべきところをしっかり固めていければと思っていたのだが、そうはいかなかった。私をこの会社に引いてくれた部長が、入社3カ月後に体調を崩して会社を離れてしまった。その上、私より1カ月先に入社していた次長という人は実は問題のある人で、部長が不在となると次第に会社に来る日が少なくなった。そしていつしか全く来なくなり、結局翌年の年明けに会社を去った。かくして私は入社半年後に課長代理になり、その1年後には人事課長となった。

多分に外的要因により30代半ば、入社半年で実質的に創業およそ半世紀になる会社の人事を背負うことになった、支援者のいない私は、切実に学ぶ必要に迫られていた。学ぶべきことは人事マネジメントの全てについて、労務についてだ。それも報道や書物に書かれた綺麗に整った情報・知識のみでは足らず、実践知、すなわち成功の陰にある失敗も、建前の裏にある本音も含めて学ぶことが必要だと思っていた。そのためには、様々な実践の場にいる当事者に直接アクセスすることが必要なことは明らかだった。

しかし、人事の世界では無名に等しい会社の、かつ個人として何らのネットワークも持たない無名の人事担当にとって、人事マネジメントにおける様々な実践の当事者に直接アクセスすることなど、願いはすれども到底叶うことのない夢にしか思えなかった。けれど、それを渇望する自分がいた。
一体どうすれば良いのだろう?
私は誰にも話すことのできない焦燥を抱え、一人悶々とした日々を過ごしていた。

そんな私に、一通の封書が届いた。
それは日本生産性本部(JPC)からだった。この会社がJPCの賛助会員であったことから、会員向けにJPCから定期的に公開研修等のチラシが送られてくるのだった。多くのDMと変わらず、さほどの意識もなく開封し中身をパラパラとめくっていた私は、1枚のチラシを目にして手を止めた。

「日本人材マネジメント協会 人材マネジメントアドバンス講座 第6期募集」
 全8回、隔週土曜日10:00~18:00
講師:現役の企業人事トップ 
受講生:人事マネージャークラス
内容:講師による問題提起、受講者による課題討議と相互ベンチマーク

もしかしたら、求めているものがここにあるかもしれない。
確証は持てないけれど、これに賭けてみよう。
経済的負担、時間的問題に正直躊躇もしたが、渇望が勝った。
かくして私は藁をもすがる思いでアドバンス講座を受講した。2006年6月のことだ。
ここからJSHRMとの関係が生まれ、今に至る。

爾来17年、その間自主研究会そして協会の運営にも参画する中で、JSHRMは私に企業人事として生きていく上での全てを与えてくれた。
あの時もし会社でDMを手にしていなければ、もしアドバンス講座を受講していなければ、今頃私はどうなっていたことだろう。今となっては想像することも難しいし、恐ろしい。

でも思うのだ。
今も日本のあちこちに、当時の私と同じ思いを抱えた企業人事がいるに違いない、と。
そんな人達にとって欠くことのできないJSHRMであって欲しいと思うし、一人でも多くの企業人事がJSHRMの存在に気付いて欲しい、と。

こうした人達のために自分が何かできるのならば、微力ながらJSHRMに貢献していきたいと思っている。

(了)