老後資金2,000万円騒動から垣間見える心理的安全性の勘違い

金融庁が6月3日に公表した資産形成に関する金融審議会報告書が論議を呼んでいます。
報告書では、平均寿命の延びにあわせて資産形成を促す狙いで、年金暮らしの無職夫婦では、毎月の生活費が平均5万円不足する可能性を指摘し、20~30年生きれば、およそ1,300万~2,000万円が必要と分析しました。
金融庁のねらいは、少子高齢化の加速により公的年金制度の持続可能性や給付と負担のバランスを考慮した上で、個人ベースでの老後資金の準備を促すことで、公助から自助へと
国民の意識改革を促しただけです。
この件に関し、永田町(政治)や企業の反応には大変興味深いものがありました。永田町(政治)では、シルバー民主主義と言われているように、高齢者の票田を失わないように火消しに必死でした。企業においては、この騒動を商売に結びつけようと必死でした。いずれも私利私欲に満ち溢れた行動です。先程も述べたように、金融庁の意図が、公助から自助への意識改革であるとすれば、皮肉にも、永田町(政治)や企業の動きも私利私欲という自助かもしれません。永田町(政治)も企業も人間が集合し組織を形成しています。こうした組織に対し、私たちはどのように考えればよいのでしょうか。
ここ数年、心理的安全性(Psychological Safety)という概念が、人事・人材開発・組織開発の分野で注目されるようになりました。心理的安全性は、アカデミックの世界では歴史の古い(少なくとも20年ほど)概念です。実務の現場では、最近になり某IT企業グーグルが、この概念を、独自に、「自社のデータ」を用いて研究したことが契機になって、よく知られるようになりました。「心理的安全性=チームで仲良くすること」、「心理的安全性=安心・安全な労働環境をつくること」と解釈されるようになってきているところもあるようです。上記の永田町(政治)や企業の多くでは、私利私欲という大義名分の下、心理的安全性をこのように解釈しているかもしれません。
しかし、こうした解釈には大きな勘違いが含まれています。「心理的安全性」は、「リスクをとること」つまり「リスクテイキング」と隣り合わせの概念であるということです。この「リスクテイキング」によって、「対人関係上の亀裂」すなわち「他者から刺されたり」「他者からやられたりすること」が起こらないといったことに起因した概念であるということです。心理的安全性とは「ぬるま湯」でもなければ、単なる「関係の質」を高めることでもないのです。関係の質を高めて、みんなで仲良く私利私欲を追求し、おいしい思いを共有することではないのです。
心理的安全性とは、「リスクをとること」「他者から刺されないこと」といったコンテキストに存在する、とてもハードな概念であるということです。そこには、緊張感と責任感、リスクに対する緻密な計算が存在するのです。こうした前提を共有しない似非心理的安全性は、お友達(内集団)にとっては、心地よいものであり、長期に亘り堅持しようとします。当然アンチ集団(外集団)には敵意を剥き出しにし、自分たちの私利私欲を冒されないよう防御します。
令和という新しい時代を迎え、平成時代に先送りしてきた多くの課題が露見されつつあります。今回の年金問題もそのひとつです。こうした課題に対し、お友達(内集団)を構成するメンバー同士の心地よさを最優先してしまう体質が温存されています。このことが
日本経済の長期低迷を招き、生産性の低下や社会保障制度不安に繋がっていることにいまだに気がつきません。立正大学学長の吉川氏は、「経営者や組織のリーダーがリスクを取っていかないとイノベーションは生まれない」と指摘しています。かつてシュンペーターは、『資本主義、社会主義、民主主義』の中で、「経営者は官僚機構で働くサラリーマンの心理を身につける。その闘争心、執着心は、会社の所有と所有に伴う責任を身をもって知る人間のそれと同じはずがない」と言っています。リーダーのみならず私たち個人も所有(オーナーシップ)という意識を持って組織やキャリアに向き合っていく時代です。そうすることでお友達(内集団)の馴れ合いとは違った緊張感のある心理的安全性が確保できるのかもしれません。

JSHRM 執行役員
Insights編集長 岡田 英之

目次


岡田 英之

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